xxxxxxx
朝鮮族ネット 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[特集] 沿海州訪問記

1.

ロシア旅行は初めてだ。 ロシアといっても延辺に接している沿海州ではないか。 ロシアに属している沿海州は、中国の延辺と果して どう違うのか。 中国からロシアへ、バス道に連続する空間をゆっくり移動しながら、異郷に対する想像と期待は食欲以上に膨らんだ。

土地は広く、風が激しい。 沿海州地域に入ってから出るまで、ずっとこんな感じだった。 また寒い。 気温が延吉より 3、4度は低いようだ。 絶え間なく吹き荒ぶ風のためにそう感じられたのだろうか? 沿海州によく出入りする延吉のある友人に天気を聞いた時、にやりと笑っ て "寒いぜ!"と言っていたから、厚い服を準備しなかったことをすぐ後悔した。


▲ ロシアでは非常に小さな州に過ぎない沿海州だが、このように広い平原がずっと広がる。
この広い土地が大部分そのまま捨てられていることに驚かされる。

こんなに広い地がそのまま捨てられているなんて... 雨水でジクジクする未鋪装区間がぽつりぽつりと現われる車道を抜けると、人通りのない かなり低い山と荒れてさびしい原野、湿地がずっと広がる。 満州のハルピンから長春と瀋陽を経て大連まで広がる、人間の偉大さに感嘆を禁 じ得ない、果てしなく続くとうもろこし畑とは、あまりにも好対照を成す。 始終そうだった。 ウスリースクやウラジオストクのような都市、 農村の近所にだけ耕作地がたまに目立つだけで、大部分の平原がそのまま放置されている。 隣接する延辺と沿海州なのに、耕作地の有無が このように大いに異なる風景を演出するということが驚くべきことだ。

異郷の感じがさらに鋭く感じられたのは、人跡を見つけた時だった。 夢幻の中のような雨道をひたすら走り、初めて出くわした見知らぬ人と家、 文字、 この三種類だけでも中国と地続きと言うよりは遥かに遠い西洋のある地方のような感じを与えるに十分だった。 どうして中国とこんなに違うのか...


▲ 典型的なロシア農家

しばらく滞在した中国からロシアに渡ったからなのか、しきりに中国と比較してしまう。 中国の農家はマッチ箱を立てたような模様に土ぼこりが 被った赤い煙瓦一色であり、こちらは木材の家屋と煙瓦の家が適当にまじっており、各々カラフルで模様も個性がある。塀と壁、屋根が古い家も 多いが、汚ない感じはあまりせず、家の周辺がよく整理されている方だ。 家ごとに壁と窓は多様な柄で飾られており、窓の敷居には間違いなく花が 置かれている。 中国の農村ではあまり感じられなかった農村の牧歌的な雰囲気が西洋の異質性にもかかわらずこちらでは感じられる。 こんな農村ならしばらく暮して休息したいという気にもなる。

都市の人々だけではなく安っぽい農家に住む人々も、専ら顔つきと身なりが端正だ。 特に若い女性たちの服の着こなしが素晴らしいのは、 服のブランドなどとは関係なく生まれつきのスラリとした体つきのせいだと勝手に見当をつけて見る。 表情も概してのびやかな方だ。 物静か な農村の村道で見知らぬ東洋人である私に出くわしても、警戒や好奇心の表情は露骨ではない。 目が合えば、私が知人でもあるかのように微笑 を帯びた顔で軽く目礼する人々もたまにいる。

人口密度が非常に低いが、都市には車が多い方だ。 特にウラジオストクのメイン・ストリートは交通渋滞が申告だ。それでも車と人がでたらめに もつれる無秩序や自動車のクラクションの神経質的な騒音がない。 通りは荒っぽくなく、車と人々の動きは悠々としている。

ロシアの第一印象はこのように好感で始まった。しかし目だけで見ていると、実際にその中に入って行って一歩でも動こうとすると、不便なことこ の上ない。 何よりも言葉が通じず、聾唖者同然であり、字も読むことができない盲人のようではないか。テロ予防のためだというが、警察の検問 も多い。 しかし過去の統制社会の名残で、また新しく賄賂天国になっているに違いない。

物価は月 2、 3百ドル位の所得でどのように生きて行けばよいかわからないほどに、 いやいくつかの品目は韓国と比べても相当に高い。 土地があ まりにも広いからだろうか、それとも先祖の故郷から余りにも遠く離れてしまったからであろうか、土地に根付く農業にはあまり関心がないと言う。 旧ソ連が崩壊し、集団農場を個人に払下げした時、土地管理が面倒で費用がかかるとぐずぐず言いながら返納までした彼らだそうだ。 そういえば元々 耕作する土地を求めてシベリアを経て極東のここまで来た彼らではない。 政府が派遣した軍人、公務員の家族、商人が大部分で、昔ここに初めて足を 踏みいれた開拓者と探険家の子孫もたまにいるだろう。

各部分がお互いに複雑に異存する計画経済が麻痺し、特に中心から一番遠く離れたこことは、あちこちに空白がたくさん生じたはずだ。 その空白は 中国、韓国、北朝鮮、日本のような近隣の国々との取引に注目させるようになったはずで、 それらの国々の人々を誘致するしかなかったはずだ。 中国同胞を含む中国人のロシアビジネスと高麗人の帰還、北朝鮮労動者の雇用、韓国企業の進出はこうして始まった。

2.

ウスリースクのバスターミナルに北東アジア平和連帯の金スンリョク局長が車に乗って出迎え出てくれることになったから、一応そこまで 行きさえすればよい。 しかし一人で出発して琿春・長嶺子にある中国とロシアの国境出入国を通過する 9時間の長い旅程は、ロシア語を一言 も理解出来ない私には、相当なストレスだった。

実際にロシア国境出入国審査台で、黄色い頭の背の高い女が純然とロシア文字だけ書かれた入国カードを突き出した時は、目の前が真っ暗になった。 しかし茫然とする時間はあまり長続きしなかった。 一緒にバスに乗って来た仲間の中から嬉しい朝鮮語があちこちで聞こえる。 ロシアに商売しに 出入りする同胞たちだ。 ロシアの役人の前では、外国人としていじけないように一言二言英語を喋ったりもしたが、 そのまま同胞たちに聞いたり 真似してみたら、煩わしい入国手続きを特に問題なく終えることができた。 決して好意的ではない本土人の視線の中で、中国同胞たちが根気良く 作った‘ロシアドリーム’の道のおかげを、私もやはり幾分受けることが出来たのだ。


▲ ウスリースク中国市場

中国同胞たちの ‘ロシアドリーム’ の現場を見回ることも今度の旅行の目的のうちの一つだった。 ウスリースク中国市場に入ルト、中国のある 大きな都市の市場へ来たように大きい。 あらゆる日用雑貨、果物、野菜、食堂、 売ってないものはない。昼市場と夜市場がきちんと交互に開かれる この市場で会った吉林市から来たという同胞のおばさんは、この市場の商人の半分ほどが同胞だという。売場の階上にあるタコ部屋みたいな宿所で眠り、 ロシアの節日を除けば、日曜日もなしにほとんど一年中働くと言う。 それで儲けるお金が一年に人民元で 10万元ほど。 中国で直接人形、アクセサリー などを卸売りで調達して売るから、自分は儲けが良い方だそうだ。


▲ 家が吉林市にあるという同胞のおばさん

市場の一角の野菜、青果売場は同胞たちが掌握している。 この市場から遠くない所に、毎日千トンほどのおびただしい物量が中国から入って来る果物、 野菜卸売市場があるが、市場の商人たちはここで品物を仕入れるという。 沿海州の野菜と果物市場は低価の中国産が占領している。 主に黒龍江省東寧、 綏芬河通商口を通じて品物が入って来るが、 これには中国同胞たちの役目も大きいと言う。 東寧・三岔口朝鮮族村で生産された野菜を持ちこんだ 中国同胞たちが、高麗人と協力して沿海州内の中国農産物の輸入と流通を相当部分掌握しており、今では農産物だけではなく各種消費財の輸入にまで 高麗人との協力が拡がっていると言う。 沿海州に帰って来た無一文の高麗人たちが初期定着に成功することができたのも、黒龍江省の同胞たちの このような支援によるところが大きい。 声を限りに叫ぶスローガンの掛け声も顔負けの、暖かい民族経済ネットワークであるといえよう。


▲ ウスリースク市内のある街頭市場で会った高麗人・玄エカテリーナ婆さん

安価な中国農産物の攻勢は菜園農業をして生計を続ける高麗人の顔に皺を増やす。 ウスリースク市内の稲妻市場で会った玄エカテリーナ婆さん。 ウズベキスタンに住んでから 8年前に沿海州に来たというこのお婆さんは、穏やかな顔付をした人だが、二つの心配があると言う。 中国の農産物のため 商売が以前のように順調でないということと、子供の心配。 子が二人だが、 二人とも大学を卒業したものの、まともな職場に就職がうまくできない。 自分はもう生きるだけ生きたから問題はないが、若い人々がこれから生きて行く前途が心配だそうだ。

中国の農産物の攻勢に勝ち抜かなければならないという、決して易しくない課題は、高麗人定着支援活動を繰り広げる北東アジア平和連帯の現地スタッフ たちにも負わされている。 主食である穀類と豆の農業は既に機械化、集団化されていて、中国の低価な農産物まで押し寄せている状況で入り込む余地が ほとんどない無一文の高麗人たちが自立、自活しようとすると、品質と価格で差別化出来る自然農法を普及するしかないと判断したようだ。 まだ初期の 実験段階だが、高麗人友情村とクレモバ村の高麗人農業の指導活動に力をつくす金ヒョンドンさんは、高麗人の同胞たちの底力に深い信頼を置き、未来を楽観する。

“元々高麗人はロシアで ‘農業民族’と呼ばれた。 この方々はどんな険難な条件でも生きて行くことができる能力を持っている。 今この方々を少しだけ 手伝ってあげれば、また農業民族として立派に立ち上がることができるだろう。 もしそんな能力がないのなら、この事業は始めから可能ではないことになり、 私たちも始めなかっただろう。”


▲ クレモバ村のある高麗人の家で、今年の農業計画を議論している.

自分の痒いところを掻いてくれる中国人たちの商業活動に感謝しなければならないロシア人たちだが ‘キタイスキ’(中国人)に対する ‘マウジェ’ (ロシア人)たちの本音は少々複雑なようだ。 ロシア全体にいる中国人の人口は正確には分からないが 、5百万人ぐらいではないかといわれる。 その広い ロシアの地に中国人が進出しない所がないほどだそうだ。 沿海州、極東地方がいつの間にか中国人によって占領されるのではないかと思う恐れが深い。 それに中国人は沿海州が話題に上がれば、 ‘そこは清の時代、海参威だったが...’ と言いながら、大抵は余韻を残すではないか。 去年一年だけもロシア の出入国管理法が三回も変わったが、主に中国からの不法入国者を狙ったという。 沿海州は韓半島の面積の 4/5にもなるが、人口がわずか 2百万であり、 それさえも継続的に減っており、沿海州の未来についてはロシア中央政府の悩みが深くなるばかりだ。

一方、こんな状況が我が民族には幾分有利な環境をもたらす可能性もある。 高麗人の沿海州帰還とロシア国籍の回復にロシア政府が協力し、 韓国企業の誘致と北朝鮮の伐木、建設労動者の導入にも積極的で、韓国の NGOと宣教団体の活動にも寛大な方だ。 三星と LGの広告がウラジオストクの町 を一面に埋め尽くすように立ち並び、 バスはたいてい見慣れた韓国製だ。 農業の方の進出も活発でナムヤンアロエ、テギョン、韓一、高合、セモグループ などの民間企業と過去にはチャン・ドクジンさんの大陸研究所、セマウル中央会、京畿道韓農連などの団体が関心を持ち、 また現在参加している。


▲ 通りを走り回る乗用車はたいてい中古日本車であるが、バスは韓国製だ。
ウスリースクから延吉に帰って来る時に乗ったバス

特に宗教団体である大巡真理会のアグロ上生農場は驚くべきだ。 今まで 190億ウォンを投資して 8万haの農場を確保したが、 うわさによると、 これから総計千億ウォンを投資しておびただしい規模の農地を買い入れる計画だそうだ。 短期間の資金回転に汲々としていなくても良い宗教団体だから 可能な投資かも知れない。 とにかく計画どおりなら、優に王国と呼ばれるに値するおびただしい大きさの農場が造成されるが、 未来の韓半島の統一を睨む 食糧安保次元の布石だそうだ。 江南アパート 30坪が 10億ウォンで売り買いされるこの狭い土地で各々不動産投資にした元金取ろうと無理をしている状況で、 かつて沿海州に目を向けた人々は本当に懐が深く見える。

中国、 特にロシアで韓国宣教団体の足跡を見つけるのはあまり難しくない。延辺にも同胞教会がたくさん建てられ、ギリシア正教を信じるロシアだが、 韓国改新教教会がウスリースク市内だけでも 12 ヶ所になる。 ウスリースクの市場で会ったある中国同胞のおばさんも、私が韓国から来たからというので すぐに言ったのは、 “教会の方ですか? 私も教会に通います。”という。既に国内市場(?)が飽和状態に達し、外国で、特に中国とロシアの同胞社会に目を 向ける宣教団体が多い。 その誰よりも先に進出した人々が、果たして (過去) 社会主義国家の同胞たちの中にどうやって ‘入って行くのか’、 また民族というテーマにどのように近付けばよいのか分からない。 こんな活動の結果が、北東アジア韓民族ネットワークの形成にどんな影響を及ぼす のか、関心は高いがよく分からない。 ただ一つ、教会に通う同胞たちは理由は差し置き、故国に対して反感を持つ者は珍しいようだ...

少し見回っただけの沿海州旅行記をこれ以上続けるのはおこがましいかも知れない。土地は低く空は広い沿海州の野原に立てば、韓国に帰った時にこの地 に対する好奇心と懐かしさがさらに濃くなるような予感がする。 西洋ではあるが、既に 150年余り前から東北アジアの一角になっているロシア。 しかし言葉が通じないから、彼らの本音をのぞき見られず、 温もりある視察ができなかった。 旅行好きな人なら誰でも夢見るように、いつかは シベリア横断列車に乗って休み休み行きながら、この巨大な大陸と語り合ってみたい..


▲ 1937年の悲劇的な高麗人強制移住が始まったラズドリノエ駅の姿。
ここに集まった 17万名の高麗人たちはどこへ、どのぐらい、どうして行かなければ
ならないのかも知らずに汽車に乗り、険難な移住の途につかなければならなかった。


▲ シベリア横断列車の出発地であるウラジオストク駅

(延辺通信 ペク・イルホン記者 2006年5月15日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット