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[特集] 《ペスカマ》号船上殺人事件 10周年特別企画(2)

《惨酷な事件が感動的結末を持って来た》


▲ 全在千の故郷・輝南県の人々の座談会

去る 4月 30日、全在千の故郷・輝南県では、全在千救命活動委員会の主催で 《ペスカマ》号事件 10周年記念特別座談会を輝南県ホテル 会議室で開いた。

10年前 《ペスカマ》号船上殺人事件発生の後、全在千が死刑を言い渡されたという知らせが、全在千の故郷である輝南県に伝わった。 当時、 輝南県の朝鮮族社会では全在千らが惨酷にも同族を殺害した罪は天下に許されざる罪だが、主犯と認められた全在千を死刑に処することは、結局こ の事件の根本的な解決に役に立たないと認めた。 すなわち全在千を救命することがその殺人罪を許してもらうためではなく、この惨酷な殺人事件の 深層原因を探り、この事件をきっかけにお互いの理解と和解の場を開こうというのがその目的だった。

そこで、輝南県の朝鮮族幹部たちと朝鮮族老人協会など朝鮮族団体、全在千の昔の仲間と戦友たちで構成された全在千救命活動委員会が設立された。

当時、彼らは全在千の故郷人たちを代表して韓国政府に嘆願書を提出、募金、署名運動を展開しながら全在千救命運動を今まで続けている。

李ウォンチュン会長は次のように語った。 《ペスカマ》号事件から 10年過ぎた今日、こうした惨酷な事件は再び起こってはいない。 私たちは日帝の 圧迫に負けて故国を去り、中国へ来て抗日した独立運動家たちの子孫だ。 我々の先祖が血を流して闘い、日本人たちを退けた後、私たちはこの地で血 を流し土地を開拓して一生懸命生き、人格的にも政治的にも認められた地位で堂々と暮して来た。 改革開放の後、お金を儲けようと故郷の土地を尋ねた が、あまりにもひどい人格蔑視と暴行のため、結局 《ペスカマ》号事件のような悲劇が起きた。 これはお互いに非常に異なる文化的な差異から発生した 事であり、起きてはならない悲劇だ。

カン・ジェス副会長は次のように語った。 全在千が韓国に出たのは老母と子供を食わすためだったのであり、お金を使いながら韓国に人殺しをしに行った のではない。 全在千が死刑判決を受けた後、私たちは 10年間救命活動を続けている。

一殺人囚であり平凡な人である全在千のために、幾多の人々が署名に出て弁護士を送る活動が、中国と韓国の多くの国民の理解を得られるのは、まさにこ の事件の深い根を深思熟考するからだ。 私たちが被害者の遺族に対する深いお詫びの心は常に持っていながらも全在千の命を助けようとするのは、まさに 真の和解と協力の未来を開拓するということにある。

輝南県高級職業中学校の南リョンギュ校長は次のように語った。.

全在千は私と同じ村に暮し、同じ学校に通い、同じ部隊に服務した。 全在千は 12歳で父親と死別し、母親の手で育った。 全在千の母親は、 女手一つで三人の息子と娘を育て、三人の息子を皆部隊に送った慈しみ深く立派な母親だ。 私は全在千を非常によく知っている。 全在千は上 の子であり、全氏家族の柱であり、弟妹たちを皆成長させた。 中国で事業に夢中になり、友達間に優しく、兄弟間に睦まじく暮して来た全在千 が、韓国でどんな理由で殺人犯になったのか? 私たち皆が深思熟考しなければならない問題だ。 我々白衣の同胞たちは和解と協力のためにお互 いに理解と容赦が必要だ。 全在千が被害者の遺族を直接訪ね、懺悔して謝罪することができ、いつの日かは新しい人間として再び蘇った全在千が 老母の懐に抱かれ、悲劇の中の美しい結末を見られたらどんなに良いだろうか。

全在千と同じ部隊に勤めたという輝南県・李スブン政協委員(漢族)は、座談会で次のように語った。 私は 1972年から前在天と同じ部隊に服務した が、全在千は部隊で良いことをたくさんして色々な表彰を受けた。 退役の後、私は輝南県公安局刑事警察隊にて 20年間余り勤務し、全在千は学校 で教鞭を取った。 輝南県にいた期間、全在千は法を違反したことが一度もない模範国民だった。 10年前、全在千の事件を聞いて我々戦友たちは皆驚愕した。

私はまず我々戦友たちを代表して、韓国の被害者遺族に深く謝罪する。

それとともにまた我々故郷の人々と戦友たちは、全在千が再び故郷と親戚たちのもとに帰って来る、そんな中韓間の感動的な話も出て来ることを期待する。

全在千が勤めた学校を尋ねて

《ペスカマ》号事件発生 10周年を迎え、去る 4月 30日、 記者は全在千の昔の職場である輝南県朝鮮族学校を訪問した。

この学校のチャン・イム校長と輝南県朝鮮族中学校の元校長・金ソンマン、全在千とともに教職にいた金ナムヒョン、金グァンジェなどは次のよう に紹介した。 全在千は教員時代、仕事に熱心で学生たちを愛する優秀な音楽教員だった。 年老いた母親を養い、子供たちの勉強を助けるために職場 を捨てて韓国への出稼ぎに出た。 そんな彼がこんなに大変な事件をやらかした、と切ない心情を吐露した。

金ソンマン校長は昔の上司として、輝南県朝鮮族学校の全教員と学生たちを代表して 《ペスカマ》号事件の遺族に深い謝罪の心を示し、また一方 10 年間全在千らを支援してくれた韓国の有難い方々に感謝の意を表した。

それとともに全在千が今は死刑待機中で許されざる罪を犯したが、いつかは戻り、変化した学校の姿を再び見られる日が来ることを期待しているとも語った。


▲ 全在千の二人の娘の結婚式

《ペスカマ》号船上殺人事件で韓国釜山拘置所で死刑待機中の全在千の二人の娘・全リョヒェ、全リョホンの結婚式が去る 5月 1日、輝南県ポンチョン 食堂で行なわれた。

親たちはいても結婚式に参加することができない特殊な宴として、人々の関心が集まった。

彼女たちの叔父である全チェスがすべての結婚用品を新調し、全在千の友達、戦友たちの支援で簡単な結婚式が行われた。

元々、全在千の家族は結婚式を簡単に行おうと考え、楽隊などは準備しなかったが、全在千の戦友たちが一生で一度しかない事で親も参加出来ない結婚式 だと言いながら、率先して仲人を調達し、楽隊も招いて来て、結婚式を立派に開くことができた。

結婚式で、拘置所から送られて来た全在千の祝辞を読む時、参席者たちの中から咽び泣く声が聞こえ、全チェスが韓国刑務所服役者教化後援会・朴三中会長 が全在千を代表して作って来た金のネックレスを二人の花嫁の首にかけてあげる時、参加者達は韓国社会の暖かい情と支援を肌で感じた。

結婚式は参席者たちの祝福の中、 20分間開かれた。

《子を失った親たちの心はどんなに辛いだろうか》

全在千の老母と子たちを尋ねて


▲ 全在千の老母と息子、二人の娘、そして弟・全チェス(左側)

午前 10時 30分、記者の一行は全在千の老母と子供達がいる全在千の弟・全チェスの家を尋ねた。

詳しい内幕は分からず、 10年間暮しつつ長男が帰って来ることばかり指折り数えて待っている 82歳という高齢の全在千の母親は、記者の手を握って 泣き喚き、昏睡状態に陥り、応急処置をしたりした。 約半時間が経った後、韓国釜山拘置所にいる全在千に関する取材録画テープを 10分間放送、 録画テープに出る全在千の明るくて元気な姿を見ていろいろな感懐に浸った。録画テープに出る懐かしき息子の姿を見た全在千の老母と、父親の姿を 見た全在千の子供達の顔には純真な喜びが溢れた。

録画テープを見てから全在千の母親はこのように言った。 人が生きてゆく上で、こんな目に遭うなんて、誰が考えるだろうか? 人の心は皆同じだ。 私は愛する長男に 10年間会う事ができず、切ない心情だが、韓国と中国の遺族たちは死体も捜す事ができなかったから、どんなに胸が痛いことか。 子を待つ母親の心は皆同じだ。 私の息子はいまだに生きているが、子を失った親たちの心はどんなに辛いことか、といって遺族に再三深いお詫びの意 を伝達した。

全在千の二人の娘・全リョヒェと全リョホンは父親の代わりをして韓国の被害者遺族に深い謝罪の意を伝達、父親が私たちをあまりにも愛し私たちを 勉強させようと漁船に出てから大変な事件を起こしてしまった。 10年間、親なしで生活した私たちは韓国の遺族の苦痛を理解するのに余りあるものが ある。 一方、被害者の遺族が私たちを可愛想に思い、いつか父を許してくださり、父が帰って来る日があると信じていると述べた。

全在千の弟・全チェスは 《兄が被害者遺族たちにあまりにも大きな苦しみを与えた。 兄は 10年間懺悔しつつ歳月を過ごした。 彼が家に送った手紙は、 いずれも謝罪する内容で溢れている。 被害者遺族の容赦を願いつつ、こんな悲劇が二度と起きないように願う》と話した。

(吉林新聞 リ・チャングン記者 2006年5月11日)
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