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[教育] 延辺大学の今日...そして明日

金柄a―延辺大学校長


▲ 金柄a: 朝鮮族。
1951年黒龍江省寧安市生まれ。
1982年、北朝鮮金日成総合大学博士院で文学博士学科専攻。
1985年文学博士学位獲得。
1985年 6月から延辺大学講師。
1990年 6月、延辺大学初の博士学位を獲得(文学博士)。
1995年 1月、教授職と博士生指導教授の資格獲得。
1998年 10月、延辺大学副校長に就任。
2003年 1月延辺大学校長に就任。
現在、第10期全国人民代表大会代表、中国比較文学研究会理事、
中国朝鮮―韓国文学研究会理事長、韓国国語国文学会海外理事、中国作家協会会員。


▲ 延辺大学の 《千秋大業》― 新キャンパスの鳥瞰図


▲ 党と国家では延辺大学に対する関心と支持が高い。 写真は延辺大学に視察に来た国務委員・陳至立(右側)。


▲ 延辺大学の一刻。

延辺大学が新しい跳躍の準備をしている。

延辺 5大学が統合された新しい延辺大学が 《211工程》(注: 国家で 21世紀に重点的に建設して支援す る 100の大学のプロジェクト) に参入

―2001年国家の 《西部大開発重点建設大学》 プロジェクトに参入

― 2005年 《国家教育部と吉林省政府で共同にて重点支援する大学》に選定

国内で省政府と教育部が共同にて重点支援する地方大学としては唯一

― 千秋大業と呼ばれる 7億元投資の 34万平米の延辺大学新キャンパスが 2006年 6月に着工予想

この空母を指揮する船長こそが延辺大学校長・金柄a。金校長と対座して延辺大学の今日と明日 を聞くことが出来た。 ガッチリした体つきにはっきりした声、鋭い目つきにキリッと引き締まった唇、 そして論理も緻密な話と、何時間もの間一つとして揺るぐことのない姿勢が印象的な、今年 55歳の兎年・金柄a氏。

[吉林新聞]:延辺大学を 《中国朝鮮族の最高学府》と言う。 そして中国から見れば延辺大学は一つの 地方大学で、また世界地図で見れば北東アジアに位置した一つの普通の大学と言えるだろう。 金総長 が見るところ、延辺大学は今中国と世界というこの座標軸でどの位置へ来ているか? また延辺大学は今、 どんな大学になりつつあるのか?

[金柄a総長]: 先に指摘しておかなければならないことがある。

延辺大学が国家 《211工程》に参入、国家の 《西部大開発重点建設大学》プロジェクトに参入、《国家教育部 と吉林省政府で共同にて重点支援する大学》に選定されるなど、延辺大学がこの三種類のプロジェクトすべて に選定されたことは、まことに画期的で大変なことだ。

言わば去年 《省部共建》契約の締結式には国家教育部部長と吉林省省長が直接来て署名した。 こうして、 延辺大学は国家重点大学とともに教育部プロジェクト管理大学になったのだ。

この一点だけのために 《11.5》期間に 1億元を追加で投資することになる。

また来る 6月には千秋大業と呼ばれる 7億元投資の延辺大学新キャンパスが起 工される。 これらの工事が完成すれば、延辺大学は新しい次元に上がることになる。 これは党と国家の配慮であり、また長年の間、前任校長を含む学校のリー ダーたちが大量の事業をして来た結果であり、現任の指導部が走り回って積極的に獲得 して来た結果だ。

現在、延辺大学の座標をそれなりにチェックしてみると・・・国内大学の順位で見てみよう。

現在、国内には国立大学 1040、私立大学まで入れれば 2000余りという統計が出ている。

2005年、我が延辺大学の順位は国内第110位になっている。

なかでも我が大学の教育条件と科学研究指標は 100位の中に入っている。 また科学 研究指標には基礎研究と技術創新の二つがあるが、我が大学の基礎研究は 70位以内に 選定された。 基礎研究指標は主にアメリカSCI(国際登載論文検索)に収録された 論文が何編であるかをチェックするが、我 が大学は既に 160編になった。 簡単に比べると、吉林農大の場合は 30編ほど、遼寧大學 は 50編ほどだ。 特に我が大学の化学、薬学、物理などの基礎研究は 国内でも最高レベルだ。 私が校長に赴任する時まででも 30編ぐらいだったが、 2年余りの 間にこれほど増加し、我が大学の科学研究水準の飛躍をよく示してくれている。

大学順位は総合要素を見る。 我が大学が教育指標で点数を取ることができず、 順位が落ちたのが残念だ。 特に院士がなくて長江学者がいなかったために点数がずいぶん落ちてしまった。 また知名度や学術の影響など専門家たちの投票でも点数を上げることができなかった。

言わば現在、我が学校は学生募集と就業で実際の立場は相当に高いが、まだ認められていないからだ。

全国 29の都市から学生たちが募集されているが、山海関以北からばかり毎年千名余りずつ入っ て来て、卒業生は全国津々浦々で活躍している。

延辺大学の地位と役目は国内で非常に独特で重要だ。 建国前の 1945年に設立され た大学で、中国共産党が一番先に建てた民族大学だ。 国家教育部は終始一貫して我が大学を 非常に重視し、支援して来た。 毎度教育部へ行く度に実感するのは、いつも 《立派な大学から いらっしゃいましたね》と言いながら、丁重に遇してくれることだ。

党と国家では我が大学を党の優秀な民族政策を示す窓口として建設し、さま ざまな傾斜政策と優遇政策を用意して来た。

吉林省・王a省長は 《延辺大学を中国少数民族大学の一幅の旗印として建設するつもり だ》(把延辺大学建 設成中国少数民族大学的一面旗)と宣言した。

そうかと思えば教育部部長・周済は 《延辺大学をしっかり建設することは、国家利益に叶う。 延辺大学は朝鮮族教育と文化発展に必要であるのみならず、地域経済を強固にして東北地域の 発展を推進し、北東アジアの多くの国々の間の交流に重要な役目を果たす》と述べた。

私たちが建設する延辺大学の目標は一言で いえば《国内で重要な地位があり、国際的には一定の 影響力がある民族特色の大学》だ。

《吉林新聞》: 延辺大学の学校理念は 《真実先行融合》となっている。 どうしてこの六字を選んだのか? この六字はどうして出て来たのか?

[金柄a校長]: 《真実先行融合》は 2004年に完成されたものだ。 まる一年間、学生から 教職員皆が討論し、苦心してこの六字に私たちの大学の精神と魂をすべ て盛り込んだ。 私たちは去年、延辺 5大学合併記念碑を建てる時、記念碑名のため悩んだ。 そ うするうちに南永前詩人の詩集 《踏融》で啓発を受け、てこの詩集の名前をその まま取った。 深遠で無限の意味を込めているこの碑名は、国務委員・李嵐清が親 筆祭祀を書いたが、彼は 《本当に良い碑名だ》と再三賛辞を惜しまなかった。

《吉林新聞》: 《延辺の大学生》といえば何がイメージがあるか? あるいは何が浮び上がるよう にならなければならないと思うか? 過去、一時は 《ビール大学》、《恋愛大學》というニックネームがある時もあった。 《北京大学生》や 《清華大学生》 そして 《ケンブリッジ大学生》や 《ソウル大生》ではない 《延辺大学生》とはいったいどんなものだろうか?

[背景資料]: 教職員 2500人、教員 1500人、教授 150人、副教授 480人余り、修士研 究生指導教授 240人、博士研究生指導教授 25人、 国務院学科評審委員 1人、哲学社 会学企画基金プロジェクト評審専門家 1人、 大学名誉教授 1人、国務院政府特殊補助金受恵者 20人、 吉林省特殊寄与専門家 8人、在学生 2万名余、そのうち朝鮮族学生 43%、 修士 研究生 1231人、 博士研究生 76人、 外国留学生 500人余り、 大卒生就業率 95%。

[金柄a校長]: ここで 《複合型》ということが非常に重要だ。 複合型の力点は、言語と 文化だ。 私たちの言語と文化を捨てない民族特色の人材の養成だ。 他の民族学生も 延辺大学の学生になれば朝鮮語を必ず学び、朝鮮族の文化と接触して朝鮮半島をよく知る ようになる。 先日、山東半島に行ってびっくりした。 山東省内に延辺大生がおお よそ 5000名も布陣しているという統計だ。 蓬莱市の場合 7つの区の招商局局長が全員 、延辺大学卒業生だ。 山東で延辺大学生の知名度がどの名門大にも劣らず高い。煙台市では 延辺大学分校を立ててくれと言って、敷地まで用意しておいて数回も尋ねて来た。 私が煙台市 に行った時、延辺大学卒業生たちの簡単な集まりで七つのテーブルを準備したが、 200人余 りも群がって来たので、急に 20個に増やさなければならなくなった。 現在、延辺大学生 は全ての沿海地域と大都市で活躍しており、開拓精神とチャレンジ精神が強く、適応力が優れているというの が共通した評価だ。 また韓国語や日本語が上手で、民族の特色と国際感覚 が兼備した人材だから、歓迎されると言う。 現在、教育部に登録している大学の韓国語 学部が 43あるが、そのうち中核の教授と責任者の 90%は延辺大学の卒業生だ。 《延辺大学 生》は既に全国的な影響力を持ったブランドとして形成されつつあると思う。

《吉林新聞》: 延辺大学を船とすれば、金校長はこの船の船長だ。 海を競争だと考えれば、これまで 船長である金校長はこの船をどんな理由でどのように動かして来たのか? この船 が航行する目的地はどこか?

[金柄a校長]: 一口で言えば、延辺大学を 《現代の大学の理念と精神で民族大学に 建てて見よう》というものだ。 《国内で重要な地位があり、国際的にも一定の影響力 がある民族特色の大学》が目的地だ。

まず人材養成の質の向上だ。 養成した人材の質は大学の生命線であり、私たちの 大学の 《人材の質向上プロジェクト》はもう 3年目になる。

次に、知識創造と技術創造は大学の一番核心的な競争力だ。 我が大学の科学研究指標は 急激に向上したが、教員たちの科学研究項目は去年だけでも 160件が新たに開設され、 現在 500余りに達する。 私たちは 《延辺人民が愛する大学にしよう》という掛け声を特 別に掲げた。

第三に、 大学の社会奉仕はとても重要な使命だ。 延辺大学が延辺と吉林省のためによく奉仕 することができなかったら、この地域にある意義がない。 今も 《ビールはそのまま 飲みつつも、地域社会のために熱心に働く大学》になっている。 延辺朝鮮族自治州と 全面的な合作協議を果たし、吉林省と延辺の 16の会社と本格的な協力関係を結んだ。 差し出す餅 が大きいほど、もらえる餅も大きいものだ。 今、自治州で我が大学に与える科学研究経費 は毎年増えている。 奉仕をしっかりやっているので、補償が自ずから付いて来るようになるのだ。

第四に、 先進的な大学文化で社会の進歩を導き、尊重されることだ。 教員に科学研究 指標とともに社会奉仕指標を通達した。 社会のために良いこと、 実在的な寄与をした ら点数を上げてやる。延辺の多くの実際問題を研究と奉仕を通じて解決している。 延辺 の代表的な上場会社である敖東グループの場合、敖東の研究開発センターが延辺大学にある。 敖東は 2次開発した新製品も私たちに持って来る。敖東の《研究チーム》と膝を交えて座り、 常に製品開発をする。 現在 1億元プロジェクトである延辺牛の肉質改変プロジェクト も私たちが引き受けている。 中国5大品種のひとつである延辺牛技術のメッカこそ、我が 大学だ。

我が延辺大学は中国朝鮮族の高級人材養成基地であり、北東アジア研究と図們江地域研究基地 や長白山保護と天然資源発掘の基地だ。 例えば長白山資源を開発した薬剤開発プロジェクト は国家で重点的に投入するプロジェクトだ。 私たちは我が大学の強みである化学、薬学、 病理などの分野の学者、専門家 40人余りを集めて専門研究開発チームを編成した。 既に研究した肝硬化防止薬、 熊肝注射薬などはその価値が非常に大きい。

《吉林新聞》: 校長は 2003年から 3 年間、延辺大学の総帥を引き受けて来た。 この何 年間で延辺大学は大きな変化と発展を遂げて来た。 人々は金炳a校長が破格的であり、自信感と 推進力で多くの事を成し遂げたと言う。 この時期は延辺大学の発展過程全般で見ればど んな発展段階だと言えるか? 校長として一番満足できると言える事をいくつ か挙げるとすれば、何を挙げるか?

[背景資料] 延辺大学国家級重点学科 1つ、省級重点学科 8つ、省重点建設学科 2つ、 教育部一般大学校人文社会科学重点基地、吉林省哲学社会科学研究基地、大学直属研 究機関 8つ― 東北亜研究院、東方文化研究院、長白山天然自然保護及び開発研究所、 民族研究所など、学院直属研究基地 41―図們江開発研究所、 中日韓関係史研究所など、全国級学術団体― 全国日本哲学 研究会、中国朝鮮族歴史研究会など、 姉妹大学 70余り、 外国籍客員教授 150人 (10ヶ国)。

[金柄a校長]: 延辺大学は現在、新しい発展機会の前に立っており、第2次創業が目の前 に迫っている。 特に新キャンパスを設立して 5つの大学を1ヶ所に移転して集中さ せることは、文字通り延辺大学の千秋大業だ。 この何年間で成果があったとすれば、昔の総長たちを含む 歴代のリーダーたちと教職員たちが磨いておいたむしろを敷いたことだ。 学校建設の理念と建設方向を明確にし、現代の大学理念と精神で推進し、 地域総合大学として地域の経済社会発展に貢献し、人材の質、 科学研究のレベルと管理システムが変わって、明確になった。 吉林省で初めて大学客員 制を実施した。 私が自ら満足している事なら二つある。 一つは我が学校の学術風紀が上がったことだ。 大学は学術の雰囲気が重要だ。 そうして初めて正紀(正しい風紀)が生きるよ うになる。 教員も 4級に分け、特等は国際選定論文が 6編以上はなけれ ばならず、招聘を受けることができなかった教授は 1年の時間を与えて努力させる。 去年も 26人の教授が招聘を受けることができなかった。 頑張っても頑張らなくても同じという状況が なくなり、上下が努力して奮闘する風紀が形成された。 二番目に満足した点は、延辺大学が延辺地域 の経済と社会発展のためにサービスして成果が挙がり、地方で延辺大学を非常に支援しているという点だ。

《吉林新聞》: 校長の活動をしっかりやるためには、内外で周りと上下の支持をうまく取り付け る外交家にならなければならないという。延辺大学の発展において感謝すべき方々がい るとすれば、誰を挙げることができるか?

[金柄a校長]: 本当に多い。 しかし一番感謝すべき人を挙げるなら、私は我が延辺大学 の学生と教員たちだと思う。 学生たちが熱心に勉強し、優秀な人材に育っているわけで、教員たちが 熱心に教えている、校長としてそれにも増して有難いことはない。

党と政府、国家教育部、省政府、自治州政府も本当に有難い。延辺大学の事なら 《優秀な大学の事なら》 と思いながら、いつも何がしかの特恵は誰もが配慮してくれる教育部 のリーダーたち、 《やるべきことなら、討論するまでもなく、やりましょう》と、いつも提起 さえすれば積極的に支援してくれた吉林省・王a省長、延辺大学の建設のために 何度も教育主管の国務委員との出会いを仲介してくれ、具体的な方案まで用意してく ださった吉林省党委・全哲洙副書記。

延辺自治州党委と政府も本当に心から支援してくれる。 《中国朝鮮族に一つだけの 大学で、延辺自治州に一つだけの大学なのに、私たちが支持と関心を示さなければ 誰がするのか!》と常におっしゃる金振吉州長は最大限の支援をして下さる。 そ れで私は金州長に 《以前は朱徳海州長が私たちの校長だったが、今はあなたが真 の校長です》と常に言う。

延辺大学がこれまで、政府の大幅な支援を得ることが出来たのは、私たちがあちこち走り回り、 積極的に勝ち取った結果でもある。 《省部共建》プロジェクトの獲得を例に挙げれば、全 国人大会議期間、国家発展及び改革委員会に行って情報を知った。 調 べてみると 《西部大開発重点大学建設》プロジェクトに入った大学は原則的にこのプロジェクトに入れない という。 私たちは諦めずに行く先々ごとに尋ねて、延辺大学の 特殊な状況を説明し、国家該当の部門と省政府リーダーの積極的な支援を取り付け、遂に 《不可能》を 《可能》に変えることができた。

《吉林新聞》: 辺鄙な祖国辺境にある延辺大学の校長として、これまでの間、最大の困難は 何だったのか? 今最大の困難といえば何か?

[金柄a校長]: 延辺大学の一番の困難は人材流失だ。 幹部要員の人材を残しにくく、 招くことはもっと難しい。 一番胸が痛むのは、中核教員が去る時だ。 先日、ある教員 が死亡した時、私の心はまるで家が崩れるようだった。 私はその方の遺体がすべ て火葬されても、足が動かず歩くことができなかった。 人材はその何にも変 えることができない一番貴重な存在だ。

《吉林新聞》: 延辺大学の校長としてではなく、延辺大学の一学者として聞きたい。 金教授は延辺大学の 初の博士だ。 学界では金教授を中朝(韓) 比較文学の巨匠だと言う。 学問で最 大の成果を挙げるとすれば? 今後、学問で達成したい、達成しようと思うものがあるとすれば何か? もし校長の職務でなかったとすれば、今どんな学者になっていたと思うか?

[背景資料]: 金炳ak学術成果。朝鮮―韓国文学、中朝(韓)文学比較など学科の教 授と研究に従事、中朝(韓)文学の比較研究で新しい領域を開拓したと 評価を受け、国家級科学研究プロジェクト2種の完成、 現在、国家級研究プロジェクトと省級研究プロジェクト二件 の責任者、国務院で発給する政府特別手当を享受。

[金柄a校長]: 延辺大学の朝鮮言語文学科は国家の重点学科であり、国家の投資と関心が 非常に多い。 中国朝鮮言語文学科の人材養成基地、 科学研究と文献資料の中心だ。 我 が大学の中朝(韓) 比較文学科、比較言語学科は国内の最高レベルであり、国外でもそのトップの 位置が認められている。 しかし学問研究で私は頂上に行く道の中途で学問を差し置いた 学者と言わなければならないだろう。. 総長の仕事に没頭するあまり、研究を差し置くし かなかった。 私が研究をしたと言えることは二つだ。 申采浩文学研究は私が一 番先に書いたものであり、博士論文は日本、アメリカ、韓国などで出版され、比較 的認められている。 学者として私の学問研究は 《満足》ではなく 《心残り》といわ なければならない。 心の片隅に大きな穴がずっとあいている。 私が好きな学問研究の ため非常に悩んだ。 校長の仕事をやめたら、一番やりたいのが本を書く事だ。 《申采浩 評伝》を書きたいというのが願いだった。 国内と国外の多くの出版社が次々に出版要請をして来た。 書こうと思えば書けなくもないと思う。 しかし既に、弟子に書くようにと言った。 6年間抱えていた研究も、才能ある弟子に与えた。 それは公共の財産だ。 私よ り条件の良い人々が研究して日の目を見るようにしなければならないと思う。

《吉林新聞》: 金校長は現在、全国人大代表として活動している。 朝鮮族教育界の代表とし て政府にどんな主要な提案をしたのか?

[金柄a校長]: 今度の省人大では中国朝鮮族文化の建設の大切さを認識し、政府の支援と 投資が大きく増加しなければならないという議案を提起したが、多くの議論が起こった。 私はこう主張した。 朝鮮族文化の建設はただ朝鮮族のための文化で はなく、中国の多元文化形成に重要な生産要素となるので、重視されなければならない。 韓 流が現在、中国を席巻しており、朝鮮族文化の強みをしっかりと発揮すれば、私たちもそんな文化の 正常品を出すことができる。 我が延辺大学では次々とこの方面のプロジェクトを推進した。

《吉林新聞》: 世間では金校長を、亡くなった鄭判龍先生が 最も可愛がった弟子だったという。 また金校長について、先生の学問の弟子であるだけではなく人 格や人柄で先生に随分似ていると言う。 金校長が出した人生の信条が 《正直に正 しく平凡に生きよう》であると聞いた。学者として、校長として、また人間として、 1人 3役をど のように消化するのか?

[金柄a校長]: 鄭判龍先生は海のように広い懐を持った方だか ら、私如きは一生比べることが出来ない。 私がその方から最も感嘆させられたのは、どんな人でもす べて受け入れるその懐だ。 その方は私に常に忍耐と寛容と共に生きて行く人 生の道理を教えて下さった。 私が母を一番尊敬するのも、一人の平凡な農村女性 だがその無私と広い懐だ。 私が生まれて 40日後に父と死別し、 叔父死亡の後、叔母をすべて迎え、甥たちを育て、嫁入り結婚すべて 送り出し、農村で女性主任の活動をし、町全体の嫁のように働いた。 私はずっと努力しているつもりだが、 彼らの境地にはまだ到達することができない。 私は校長として 《正しく平凡 に公正に》という信条を立てて努力しているが、まだ到達することはできない。

(吉林新聞 2006年5月10日)
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