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[経済] 中国で成した韓国不動産神話-‘漢旦城’

顧客と瑕疵補修まで約束、ブランド創出に全力


▲ 瀋陽市・李英傑(左)市長とともに

経済発展水準を反映する ‘温度計’といわれる不動産産業は特殊な産業だ。 一国、一地域の経済が 沈めばその国、その地域の不動産産業も沈滞の沼に落ちこむものと決まっており、逆に一国、一地域の 経済が引き立つようになればその国、その地域の不動産産業は過熱の様相まで見せるようになる。 建国 と言う多年間の政府主導型の国内不動産産業は非常にその発展が遅く、中国人は住宅の苦労をひどく経 験しなければならなかった。

90年代中後半期を経て 21世紀になり、徐々に盛り上がった国内不動産産業は遂に過熱局面を招き、 懐 が暖かくなった国民の住宅所有に対する欲望が非常に膨脹した上に、不動産投資は一番安全な投資方式 の一つという認識が共有され、投機心理までけしかけ、不動産ブームはますます熱くなるばかりだ。 上海、 深、北京など経済の先頭を占める地域の住宅価格はとどまるところを知らず、中央政府では苦肉の策とし て不動産開発抑制政策まで出さなければならなくなった。情報によれば中国の 100人の長者番付の大半が 不動産業者だ。

暴利を得られる不動産産業はまた諸所に危険が潜んでいる冒険の世界でもある。 統計によると現在、全国 的に売れ残り住宅が総建築面積の 30%を占めているといえば、この市場の大変な競争力の見当をつけるこ とができる。 おびただしい投資が必要となる不動産開発だから、一度の間違いは弱小の開発業者には致命的 な打撃になりかねない。それゆえ不動産開発は誰でもできる産業ではないという説もある。

国内不動産開発市場に香港、台湾、シンガポール等の華僑資本が進出して成功した事例は少なくないが、 純外国資本が飛び込んで成功した事例はまだほとんど見当たらない状況で、恐れることなく変数の多い中国 不動産市場に進出した韓国の不動産業者たちの場合にはなおさらそうだ。 90年代以来、上海、 深、 北京などの発達地域を含め、東北地域の大連、延吉、瀋陽などの地域に韓国の多くの不動産業者が進出し、 苦戦している。

瀋陽だけでも進出して来た韓国不動産業者が 10余り、 しかし彼らの中でいまだに輝かしい成功の知らせは聞 こえず、地団駄を踏んでいる状況だ。 こんな中でほとんど唯一、第1次開発(年末まで入住可能)から 85%以 上の販売率を果たし、大規模な第2次開発を急いでいる韓国の不動産業者があるのは幸いな事だ。 瀋陽 漢旦城不動産開発有限公司がまさにこの快挙を成した成功した韓国の不動産会社だ。

紳士型の孫明植会長が聞かせてくれた最初の成功の秘訣は? “急がずに手応えがあるまで準備をしっかり とせよ”だ。

孫明植会長(49)の履歴を見れば、不動産業とは距離が遠いように見える。 欧米生まれで、工科大の最高経営 者課程を経た孫会長は、中国に進出する前、韓国で自動車整備工場及び販売営業所を運営したり対北朝鮮通 商代表職を受け持ったり、地方新聞社を引き受けて運営したり韓国の有力な市民団体である ‘経実連’中央委 員、慶尚北ボクシング連盟会長職を歴任したりした、経済人であると同時に社会活動家だった。 経済分野では 流通業が彼の専門だった。

韓国の先見の明がある多くの経済人たちと同じく、孫会長も中韓修交以前の 80年代の末から中国に関心を持ち 始めたが、中国の土地を初めて踏んだのは 1989年、香港を経て初めて入って来ることができる時だったので、 主に南方沿海地域を見回った。 30回余り往き来して、彼は胎動する中国の未来を占うことができ、自分の後半 生がもしかしたら中国と深い縁を結ぶようになると意識した。

瀋陽に足を踏み入れたのは数年の歳月が過ぎて両国が修交を結んだ 1992年、 南方沿海地域に比べれば荒れ て寂しいだけの瀋陽の特殊な地理的位置が彼の心を引き付け、足を止めさせた。 瀋陽は北東アジア地域の多く の国を受け継ぐ交通中心地であり、その発展の潜在力が無限であり、物流の中心地に生まれかわると認められ る一方、この地域に同胞が数多く居住していると言うことが彼の心を心強くしてくれた。

その年、彼は韓国の事業は頼もしい内助者だった妻に全面的に委任し、自分は瀋陽に滞留しながら広く友人と付 き合い、中韓間に橋を掛ける事から取り掛かった。 瀋陽滞留の数日後、孫会長は北京で付き合った人を通じて当 時の瀋陽市長に会う機会を作った。 その時の出会いで孫会長は市長に “私が住んでいる亀尾市と瀋陽市が姉妹 関係を結べば良い”と提案、市長は亀尾市がどれだけ大きいのかと聞いたが、人口僅か 30万規模と答えると “700万余りの都市・瀋陽と小さな亀尾市が姉妹関係を結んで、釣り合うのか?”とあまり興味を示さなかった。

孫会長は “亀尾市は人口も面積も瀋陽市の 1/20にしかならないが、工業都市として韓国経済の 1/10を担っ ている。 それなら瀋陽市は中国経済の何%を担っているのか?”と問い返し、亀尾市の工業の状況を詳しく紹介し た。 その時の出会いが縁になって瀋陽市は常務副市長が率いる経済視察団が孫会長の案内で亀尾市を訪問し、 続いて両都市は姉妹関係を結び、亀尾市は瀋陽市に貿易館を設立、亀尾地域の企業の瀋陽進出が活発になった。

瀋陽市に対する外資企業誘致の功績により、孫会長は 1995年に韓国人として最初に ‘瀋陽市栄誉市民’証を受け、 歴代市長、ひいては官僚たちと広く縁を結ぶことができた。 数年前から瀋陽市で毎年 ‘韓国週’行事を開き、韓国企業 の誘致に熱をあげるようになったのも孫会長の隠れた役割が少なくない。

長年、孫会長は瀋陽市長や副市長が率いる経済視察団、投資誘致団を案内して韓国を行き来し、また瀋陽を訪ねる韓 国経済界の人々を瀋陽市長ら官僚たちに引き合わせる仕事が多く、中間で韓国事業家たちの苦情を反映する仕事も 多かった。 韓国の投資家たちは瀋陽で実際に事業を始めて見ると、休める空間、住宅と不安定な治安問題、事務室 の空間などが韓国人に合わず、施設が貧弱で困る申し入れた。 何回もこんな提議が繰り返され、市政府の責任者は 孫会長に “それではあなたが韓国人専用の住宅とオフィステルを建てて見なさい、積極的に支援します”と提案した。

意外だった。 不動産とは全く縁がなかった孫会長は、市政府責任者の提案を受け手沈思黙考しなければならなかっ た。 心配なのは自分が不動産に経験が全くないことで、魅力的なのは市政府が支援してくれるから心強いことだった。 長考の末、孫会長は不動産開発に手を出す事にした。 そうして出来たのが ‘瀋陽漢旦城不動産開発有限公司’、 ‘漢旦城’と言う言葉は、韓国人と中国人が一緒に初日出を迎えながら一緒に仲良く住む城という意味をこめているという。



初めて手がける不動産開発の敷地選択を巡り、苦心した孫会長は、西塔地域の近くに敷地を選定、 ‘中心街’だから 買い占めようとする不動産会社たちが多かったが、皇姑区政府で配慮してくれたため、彼の手中に収まった。

2005年 11月 22日午後 2時、骨組工事が仕上げ段階に入った。‘漢旦城’の工事現場で孫明植会長と兄弟である 孫ソンシク、孫クァンシク 3兄弟が多くの貴賓と入住希望者を揃え、韓国式で ‘棟上式’を行った。

この行事で韓国と交流が多い前・遼寧大総長、現・遼寧省国際文化交流センター理事であるプン・オクチュン教授は ‘漢旦城’と孫会長に対する印象を ‘誠信’、‘礼儀’、‘尊権’と帰納した。 国内で認められたこのエコノミストが、どう して孫会長をこのように高く評価することが出来たのか?

‘誠信’は ‘漢旦城’が見せてくれた最初の企業文化だった。 ‘漢旦城’は合計 3回の分譲をしたが、毎回ただの 3日 間だけ、入住希望者が夜中から先を争って並ぶ珍しい風景が生じた。 ‘漢旦城’が出した ‘価格満足、位置満足、入 住満足、投資満足、環境満足’の経営理念が入住希望者を吸引したのだ。

孫明植会長は工事期間には常に現場を訪れ、ぶつかる難題を技術陣とともに解決した。

‘価格満足’は低廉な価格で分譲し、開発上の収益を減らしても顧客満足をもたらし、ブランド価値を新たにつくるとい う戦略だ。 第1次開発にとどまらず、大規模な 2次、 3次開発を準備している孫会長は、 ‘漢旦城’を瀋陽市民ひいて は韓国人と朝鮮族に ‘漢旦城’というブランド価値を植えつける ‘傑作’と考えたのだ。

その他、品質面でも差別化を追い求めた。 韓国から建築設計士たちを迎えて設計した建物は、内部設計で採光と住人 が生活に不便がないように隅々まで気を使った。 品質で成功し信頼と信用で成功するということこそ、‘漢旦城’が見 せてくれた ‘誠信’文化だった。

‘礼儀’の本質は相互尊重で、公衆道徳、職業倫理、社会美徳だ。孫会長は物腰がやさしい方で、礼儀正しく、いつも 接触する人々を楽にさせてくれる。 1989年初、中国視察の際、彼ははるばる湖南まで尋ねて毛沢東の旧家を参観し、 毛沢東の銅像に丁寧なお辞儀をしたと言う。 当地のメディアとのインタビューで彼は “韓国で大人に会えば丁寧なお 辞儀をするように、中国でも大人に挨拶をすることが礼儀だから、礼を捧げた。 今、この席で礼儀を正すように、中国を 尊重し中国人を尊重する”と述べた。

会社で孫会長は、末端社員たちでも疎かには接しないし、職員たちも ‘礼儀意識’を育てることを強調した。 会社には 専門職員教育をさせる部署があり、経常的に中国語の堪能な韓国の親切教育専門家を招き、座る姿勢から電話礼節、 対話礼術、顧客接待などの礼儀教育をさせる。

‘尊権文化’は市場経済文化の核心だ。 同時に当面、計画経済で急速に市場経済に切り替った中国に最も不足してい る文化でもある。 開発商として孫会長は、顧客の‘5大満足’を ‘尊権文化’の象徴と考えた。

“アパートを建てて売るのも重要だが、これからの顧客管理がさらに重要ですね” このように語る孫会長は、顧客と分譲 契約を締結する時、今後の瑕疵補修の内容を別に添加、施工の責任を負った関係者たちに、建物にインテリアーを 作れば 60種の請願を、作らなければ 6種の請願があることを念頭に置いて施工しなさいと指示する。 会社では今後、 建物の瑕疵補修費用で 20億元を銀行に別に預金しておき、入居者たちに孫会長自身の電話番号を公開、 入居者が 補修の要請をして 2日以内に解決しなければ担当職員を解雇するという規定を明確にしておいた。

中国の開発商たちはまだ顧客に対するサービス意識が不足している。 建物を建てれば売るだけに汲々としてだけで、 顧客の不便などにはあまり気を使わない。 販売契約書に瑕疵の補修内容を別に添加するのはおそらく ‘漢旦城’が 唯一だろう。 ここに差別化があるのだ。

一般の不動産会社では顧客が一度に住宅やオフィステルを 10軒ずつ買うと言えば両手を挙げて歓迎するが、意外 に ‘漢旦城’では通じない。 販売において、彼らは一人に対して一軒づつしか売らないという原則を立ててそのまま 実行している。“一人が何軒も購入するというのは、商売をしようということですね。 私たちが本当に願うのは、私たち が建てた建物に本当に入居して住む顧客たちですね。” この原則を決めた理由を、孫会長はこのように明らかにした。 家一軒でも多く売ろうというのは、会社のイメージ向上にはマイナスであることが、より重要なことだというのだ。

‘漢旦城’はまた、決めた販売価格を割り引く方法がない。 一部の顧客が孫会長と親しい人を立てて家賃を少しでも 割引しようとするが、相手にされない。 これにより孫会長を支援してくれた人々、特に一部の官僚たちが文句を言う が、孫会長の説明を聞けば誤解を解く。 “顧客には一律で公平ではなければならない”と言うのが孫会長の信条だ。 信用と信頼の意識、ブランド価値の重視、徹底的なサービス意識、これこそが孫会長が他の開発商たちと区別される 点だ。

‘漢旦城’には便宜施設も整っている。 オフィステルとアパートの 1〜3階には商店が入っており、瀋陽に進出した韓 国の銀行からコンビニ、粉食店、コーヒー店、商店がめいめいに分布している。 誰にも売場を売らず、 ‘漢旦城’で必要 とされる業種をするという人々を選択して売る。 入居者たちが住いの中で便利な生活を享受するように、最大の便宜を 提供するというのが孫会長の主旨だ。

“2次開発が始まれば、 1次開発入居者を迎えてイベント行事をやろうと思います。 私が入居者たちとの約束を映像を 通じて詳しく説明し、韓国で有名な芸能人たちも招待して楽しもうと思います。” 孫会長の話には、消費者を気づかう 真心が濃く出ていた。

‘漢旦城’の第1次開発が仕上げ段階に入り、孫会長は大規模な 2次開発を準備して来た。 1次開発でオフィステルと 住宅の面積が 12万平米なら、準備中の 2次開発の面積は 17万平米である。 やはり主要な入居者を韓国人と朝鮮 族と決め、敷地を朝鮮族が多く居住する明廉地域に決めたが、 20階位の建物 12軒と 6階位の建物 15軒が全て生 活の家だ。

1次開発の入居者が 1256世帯、 2次開発の入居者は 2300世帯に達する。 孫会長の事務室で見た設計図は奇観 だった。 四面には 20階位の高層アパートが建てられ、中間には 6階位のアパートが腰を据えたが、団地内の造景も 素晴らしく、便宜施設も揃っている。

孫会長が本当に願うのは、瀋陽に韓国人と朝鮮族が調和して楽しく暮すことができる生活空間を構築すること。 会社 の経済力が大きくなるほど同胞社会発展のために力も加えたいと言う。 これまでにも噂にこそならないものの、不遇な 人を助けるなど良いことを倦まず弛まずして来ているが、今後はもう少し本格的に進める予定だという。

誰かが ‘漢旦城’開発は 5大記録を打ち立てたと総括したことがある。 韓国人、朝鮮族専用のアパート団地を開発した ことが最初の記録であり、中国に進出した韓国不動産会社の成功事例を作ったということが二番目の記録であり、 第1次開発で入居希望者たちが夜を明かして並んで購入するようにしたということが三番目の記録であり、 ‘1世帯 1軒’の制限販売措置を取ったということが四番目の記録であり、 不動産購入の地域性を打破したのが五番目の記 録だというのだ。

1次開発に比べ、より広い敷地に、より豪華な開発を夢見ている ‘漢旦城’、孫会長がまたどんな記録を創造するのか、 期待される。

(遼寧朝鮮文報 キム・ギョンス、リ・ドククォン記者 2006年4月21日)
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