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![]() [社会] 他郷に漂う床しい民族の香り、生活の香り−青島 青島進出朝鮮族社会の現場 青島市場で自立成功した朝鮮族の商人たち "お餅如何です、キムチ如何です"客引きの声で賑やかな延吉西市場の一角を彷彿とさ せる、いや、その勤勉さと知恵と熱情を実行している所がある。 それがまさに青島 市場だ。 ハンギョレたちが生きている所ならどこでも尋ねて行き、乱戦を繰り広げ るのが我が朝鮮族だ。 朝鮮族が最初に商売を始めた所で、最も売場数が多い所でもあった李村の河低市場(50 余りの売場)、二番目に派生された所でもあり二番目に多い城陽卸売市場には朝鮮 族の売場が 20余り、その次は流亭商業市場(7戸)、大北区市場(6戸)で、麦島市場(現 在、解体移動中)、山東頭市場、即墨路市場、南站市場、惜福鎮市場と その他衛星都市である即墨市場、膠州・鄭家小庄市 場と PSコリアタウン等には2、3戸の朝鮮族商人たちが足跡を残すか、ある程度分布 している。 彼らの売場台数はおおよそ 100余り、そして市の日ごとに移動しながら商売をしており、 市場外で商売したり間接的に品物を購入して販売する仲介者まで合せれ ば、第三次産業に携わる朝鮮族の数は 500〜600人余りに達する。 各種食品の商売を主たる営業として、キムチ屋から餅屋、豆腐屋、八百屋、魚屋、 肉屋、薬屋に至るまで、我が民族の豊かな食べ物や特産物はないもの がなく、美風良俗の高揚のように青島に根付いた。 また延辺の市場と規模には比べるべくもなく 素朴だが、どの売場にも韓国の食品が溢れている。 チョンヤンウォン液汁、花塩、白砂糖、東西麦茶、東遠まぐろ缶詰、昔麺、当地の人たちは聞いて も分からない食品の名前、また千万種類の美しいハングルの集成が昔から適切に表現 されるようだ。 千里離れた他郷の不慣れな所で働いており、海の向こうの企業を営んでいるハンギョレたちに じわりと懐かしい我々の食べ物の味だったから、条件反射的に朝鮮族商人たちが 集まって来たのは自然な事であり、お金も儲けたのだから、めでたしめでたしだった。 またコチュジャン、キムチ、餅のようなものは当地の漢族も好んで 食べる食品であり、徐々に主役の座を固めるようになった。 朝鮮族商人のうち、吉林散在地域と延辺人が多く、純朴な農民 出身の中年夫婦たちの外に、老人たちと青年たちもたまにいる。 朝鮮族商人たちは 大抵は夜もまともに寝ずに働いている。 塩辛屋の人々は、夕方 6〜7時に帰っては塩辛を作りながら夜を明 かし、また餅屋や豆腐屋の人々は夜明け早く起きて作業している。 それほど苦労しても、 あまり儲からない食品商売だ。 朝鮮族商人たちが急増し、 商売営業が思わしくない新参者たちは、随分と苦労している。 市場管理所では、朝鮮族売場の主人たちから漢族商人たちよりも雑費や税金を多く納めさせる という異郷の辛さも抱えている。我が朝鮮族商人たちは、売場の 周りをきれいに掃除して、賢明に悶着を起こさず、市場管理所で朝鮮族入住者 たちが好まれているにも拘わらずだ。 朝鮮族商人たちは、お互いに売場の面倒を見たり、大変な仕 事はお互いに助け合い、お昼にはお弁当を一緒に分けて食べるなど、暖かい情を交わしている。 食品商売で子を勉強させることに成功した朝鮮族たちも、非常に美しい。青島で彼らに一 番適しているのは食品商売であり、 またなけなしの金で始めて青島でアパートまで 買った人々が多く、まさに自立成功したと言える。 青島で我が朝鮮族の真率な生活の姿は、市場で商売している朝鮮族を通じて 体現されている。 また彼らを通じて民族の香りは一番美しい風景として、異郷の民 になった私たちハンギョレにある種の安堵感のようなものを満喫させている。 李村河低市場の朝鮮族商人 当地の中国人が(朝鮮族市場と親しみを込めて呼んでくれる李村河低市場で、 一番最初に商売を始めた人は教員出身である黒龍江省鶴崗市 から来た崔キルジャさんである。 1996年 6月、なけなしの 5元で試しにじゃがいも屋を 始め、当地の漢族商人たちの中に入って売り出した。 彼女はたまに買い物に出て、同じ朝鮮族に会えたと喜ぶ朝鮮族たちから キムチのような我が民族の食品も売ってくれと頼まれ、本格的にトラジや 蔓人参など和えものおかずの外に食品の種類を広げて行った。 吉林省永吉県の生まれである朴ビョンチャン氏も煙台市で塩辛売り を始め、同じ年に青島李村河低市場に移り、麺を主として蔓人参、 明 太、タコのような乾物食品を朝鮮族と韓国人を相手に売り、後にはワゴン車を購 入して配達までした。 これまで食品商売を倦まず弛まずして来ている彼は、顧客をた くさん確保して南方からまで注文が殺到しており、現在、青島に広い新しい アパートまで手に入れた。 これを聞いて、会社に出勤しての1000元余りの月給では満足出来なかった出 勤族たちも、商人の行列に加わり始めた。吉林省敦化市沙河沿鎮から来た 李ギョンファル氏は初めの数ヶ月は出勤したが、残金が少なくなると去年 4月から 妻とともに瀋陽、延辺等でまで物品を購入して商売を始めたが、今年の春になっても 商売がうまくできないと言いながら、さらに熱心に働いている姿を見せてく れている。 そんな中で今、男たちが働き口も得にくい状況で、一般出勤族よりはましな暮らし をしていると言いながら自負を感じている様子だった。 城陽区卸売市場の朝鮮族商人 今年 52歳になる吉林省長春市から来たチョン・ホンファ氏は、 9年前に李村河低市 場で半年間キムチ売りをしてから、朝鮮族商人がひとりもいない城陽区に店を開 くようになった。 彼女は城陽区市場(その頃は、安っぽい露天市場)に陣取るや否や、 周りの当地農家たちと交渉して冬キムチの漬け込み野菜である映 白菜、大根、ごまなどの種を買い、秋に取り入れてキムチを漬けて売った。 城陽区市場でまた二番目に古い朝鮮族は、吉林省龍井市開山屯から来 た李チュンヒさん、彼女も最初は簡単な餅売りから今は食品商売に 発展して、多くの韓国企業を主な顧客にし、アパートまで購入した。 林ミョンスクさんは、故郷が吉林市龍潭区江北郷で、最初は 8百元を持って塩辛売りをし、身体が弱くなると、食品 商売を始め、二人の子を勉強させるために 4年前に始めた商売を楽しんでいる。 今 は配達電話も多く、携帯電話の音を良くしたいとばかりに高級携帯電話を使ってい た。 また彼女の手づるを通じて故郷の隣人たちも 5世帯も青島に出て定着するよう になった。 青島で唯一、国家商標登録を出して牛肉専門商売をしている朝鮮族家族がいる。 黒龍 江省湯原県から来た朴ウォンホさんの一家。 故郷で米加工工場をして来たこの 家族は、青島にも東北米が人気を集めるだろうと予想し、米商売をしよう と 2年前に家財を整理して入って来た。 いざ米商売をして見ると、思うように行かず、市場調査をしてみると人体に有害な水と 雑種の混じった牛肉が青島市場でたくさん売られていることを発見、家長の崔ウォンホが牛を選んで取って来て、 息子と妻が市場で売るという形で肉 屋を始めた。 確かに水と雑種の混じらない牛肉は噂に乗って数ヶ月もするとよく 売れ始め、去る旧暦正月の期間には一日に 8頭が売れたこともあった。 そして新年からは息子・朴ジンファに李村市場の売台を任せるようにした。 李村市場の 朝鮮族売場で一番年の若い朴ジンファ( 21歳)さん、年に比べて包丁を入れる腕 前が上手で、お客たちに対する態度が丁寧で、結構商売もうまい。 しかしその間、手を包丁でどれだけ傷つけることになるか、彼は想像もできなかった。 大学に入学したが、ある原因で諦め、早くから第三次産業に携わるようになった朴ジンファ氏を 通じて、我々現代の朝鮮族青年たちの精神的な姿がずいぶん変わったことを熱く感じることができた。 流亭商業市場の朝鮮族商人 流亭商業市場で一番古株の崔キシク、尹ブンボク (吉林省 龍井市三合鎮)夫婦も 2001年 3月から商売を始めるようになった。 長春白求恩医科大学に入学した娘の学費のため、心配を先に立 たせながら、故郷で冬の間ずっと花札ばかりしているより、むしろ息子が働く青島に行っ てお金儲け口を捜してみようという気になった。 息子が住んでいる所が流亭商業市場の近くなので、彼ら夫婦は露天市場の 見物に出てから、何ヶ月間か食べるつもりで故郷から準備して来たトラジ4斤 とワラビ3斤、明太とタコ何匹かを売り出した。 初日に 7元を儲け、明くる日には 10元の収入を得た。 またここにも私たち朝鮮族の品物があるねと喜び、コチュジャンのような食品も 売ってくれと頼まれ、図們醤油、和龍ワラビなどを大挙購入して商売を本格的に始めた。 こうして、まもなく 6年目、現在二人の夫婦は毎月平均 5〜6千元ずつの収入を挙げると言う。 間もなく還暦を迎える金オクジンさんは、蛟河市羅北鎮から 来たが、息子の結婚資金を作るために食品商売をすると言いながら、最近は春なので、野外でニラ を直接採って売っており、当地の人たちもよく買って行くという。我が民族 の特色をよく現わしているのは、流亭の朴氏豆腐店を運営している朴チャンスさんだ。 彼は吉林省汪清の人であり、早くから故郷で麺加工をして来た。 1年前に流亭商業市場の 近所に豆腐屋を作った。 彼は夜の12時に起 きて、ガスボイラーから吹き出す蒸気で大豆を煮て豆腐を作り、延辺朝鮮族の豆 腐の味がそのまま出ている、と近隣の朝鮮族はもちろん、韓国企業まで団体で注文 し、一日に普通 20板余りずつ作ると言う。 山東豆腐は厚くて黄色く、堅くて煤煙のにおいまですると言われるのに対し、東北から来た漢 族も技術を彼の肩越しに盗み、韓国の機械で豆腐屋を作ったが、 朝鮮族の豆腐の香ばしくてまろやかな味をつけることができなかった。 朴チャンスさんは商売を成功させ、 城陽区市場にも売場を持ち、漢族の職員を使いながら営業している。 大北区市場の朝鮮族商人 大北区市場は午前だけ開く所だ。 大北区市場で豆腐屋一軒、食品商売 2店、 塩辛屋一軒、魚屋一軒、 八百屋一軒がある。 そのうち、魚屋を営む朝鮮族は青島の 朝鮮族売場で唯一だ。 彼も、他人がやらないことをすると、お金が残りますと話す。蛟河市新站鎮から来た玉ジョングォン 氏は 3年前からイカ、さば、太刀魚など 10種類余りの魚を売り出した が、韓国の会社でもよく注文してくれるので儲かるという。 和龍市南坪鎮から来た辛サンオクさん(52歳)は、 子どもたちが出勤し、夫が韓国でバイトするが、一日も早く金儲けして故郷 に帰らなければと言いながら食品商売をしている。 汪清県から来た蔡ウォンシク氏は 2年前まで、ただ野菜農家の 200坪平米余りの 畑を借りて、ビニールハウスを作って大根、 唐辛子、 サンチュ、若大根を植え、 一年中 5毛作をして 2万元余りの収入をあげたと言う。 ところが解体移住に巻き込まれたため諦めて、今は野菜を売っているだけと 言いながら、農民は八百屋をやることしか分からないからずっと続けている と言う。しかしそれでも職場に通うより儲けがかなり良いと言う。 (黒龍江新聞 リュウ・イルボク記者 2006年4月12日)
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