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![]() [教育] 朝鮮族学生の《老人家長》現象 《うまく行けば自分のおかげで、うまく行かなければ先祖のせい》と、子どもが順調 に行けば外国からせっせと送金した結果だといい、期待はずれに終われば、家でお爺 さん、お婆さ んの教育が悪かったからなどといって恨む。 それで最近になって朝鮮族社会では 孫、 孫娘たちを引き受けて面倒を見る老人の間にお互いに取り交わす新造語の一つ がある。 すなわち 《韓国に行って子どもたちを任せる時はバスケットボール (お互 い 老人たちを自分に引きつけようとする) 、帰って来た後にはサッカーボール(お互い に蹴飛ばすという意味)。》 配役: 保母、家政婦、見張り、管理者 若者達の韓国行きと都市への進出で、最近の朝鮮族の多くの家庭で老人たちが 家庭の面倒を見て、孫たちを責任をもって教育する 《老人家長》現象 は、既に朝鮮族社会の普遍的な現象になった。 これは老人たちにとっては、晩年に回ってくる 《光栄な苦役》ではあるが、老人た ち が家庭の面倒を見ることで、若者達が安心して家を発って長期間出稼ぎに携わるこ とが出来るということを勘案すれば、また幸いな事ではあろう。 筆者が調べたところによれば、今、朝鮮族の居住地域に老人たちが残って家族の面倒 を見 て孫たちを教育する世代の比例が 60%以上になる。 ある朝鮮族中学校の校長の紹介 によ れば、学校で父兄会をする時には、参加する父兄の大部分は年上の老人たちであり、 最高 80%にまで達することもあるが、次第に韓国から自発的に帰国する親が多くな り、 60%くらいに下ったと言う。 某朝鮮族学校の正門を出て見れば、朝夕に子供達を連れて来て、あるいは連れて行く 父兄の中に、頭の白い老人たちが多い。 ある老人たちは自転車あるいはバイクにて 送り迎えしている。 学校で夜間の自習が終わる九時頃には、たとえ大きくなった子供達でも心配する 老人たちが学校の正門、あるいは家に近い横町にまで出て来る。 これら大部分の老人たちは幼い孫・孫娘たちには 《家政婦、保母、見張り、管 理人》だ。 親たちの代わりをしてご飯を作り、服を洗い、寝かして ...いろいろな支援をしてくれる。 しかしこんな責任より、もっと重い負担がある。まさに子どもたちがどんな事をやら かすなのか、悪いことをしないかと心配が山のようだ。 それで老人たちが一番 恐ろしがり心配するのが、第一は勉強をしないことで、二番目はPCバンや電子ゲー ム 場に入り浸ること、三番目は異性の友達と付き合うこと、お酒とタバコ、盗みをはた らくことで、 それよりもっと恐ろしいのは家出だ。 家から飛び出して、もしものことがあったら と、それ を一番恐れる。 老人たちにしてみれば、子どもたちが足を踏み外すと、子ども を引き受けて育ててくれと言う息子、 娘たちに不義理をすることになるわけで、子 どもたちが 送ってくれる 《感謝手数料》も使うのが申し訳なくなってしまうからだ。 よくできれば自分のおかげ、出来なければ先祖のせい 孫・孫娘たちの面倒を見るために苦労はそれなりにしても、子どもたちの学習成績が 急に 落ちたり、お金を浪費したりするようになる時、事故が生ずる時、中学や高校の試験 に落ちたり、 もしくは大学に入学することができなかった時、 苦労した甲斐もなく、あらゆる責任を彼らがそっくりそのまま引き受けなければなら ない。 権さんという老人がいる。二人の孫にはまことに真面目だった。 息子たちは 皆韓国へ行き、彼が引き受けて勉強させているが、三日も経たずに担任の先 生を訪ねて孫たちの根幹の情況を調べて対策を立てる。 また 90年代中期には既に孫 たちに家庭用コンピュータまで買ってあげた。老人は孫たちを正しく教育す るために、新聞や雑誌に載せられた子どもたちに役立つ文等を別に切り取り出して 《家族宣伝張り紙欄》まで作って、孫たちがしっかり読んで見て深く 体得するようにした。 このように猛烈をつくしたものの、どういうわけか孫たちが お爺 さんに隠れて PCバンに通い始め、一瞬のうちに悪く変わった。そのため学習成 績が落ち、遂には大学試験にさえ落ちてしまった。 そのように真心で育てて来たのに、その苦労は認めてもらえなかった。 聞く 言葉によれば、嫁が韓国から帰って来た後、子の教育の過ちを舅姑たちになすりつ け、 争いや葛藤が著しかったと言う。 二つの極端: 《撫でる教育》と《鞭教育》 老人たちは年を取ればみすぼらしく残った石としてその値段が落ち、負担のように思われていたが、最近 は家族を離れて外地に出る若者達が増えるに従って、今更のように 晩年になっても《重要な仕事》があり、老人たちの価値が普遍的に上がっている だけではなく、家庭と子どもの教育にも一翼を担うことができ、老人たちにとっては、 ある意味で光栄なな使命とも言えるだろう。 新しい時代になり、私たち朝鮮族の老人たちの役目はこのように大きくなった。 した がって存在も貴重になった。 やむを得ず家庭を他人に任せ、その上 に子どもたちを他人に任せて育て、管理するようにする(言わば保母やその他の親戚)よりは 親である祖父、祖母、母方の祖父母が面倒を見るほうが、親 代りの暖かい人間愛を感じることができるだろうし、責任を持って正しく導き厳格に管理す ることができるなどのメリットもあるだろう。 しかし「得」と同時に「失」も勘案しなければならない。 都市の高級層や教員、知識人の家族ならいざ知らず、大部分の老人たちは農民出身であり、 子の教育で問題が生じるのだ。それで一般的にそのまま 《撫でてくれる 盲目的な教育》でなければ、やたらに厳格に管理ばかりするパターンが多い。 子どもの心理と個性を尊重しないために次世代との矛盾や葛藤がよく衝突 するが、こんな矛盾や葛藤ぐらいは大した問題ではないのにそれを解決出来ない時 はつい傍観したり、自由放任してしまうものだ。だから 《教育者》というよ り、ただ慈しみ育てる 《保母》の役目をしている人が多いのだ。 その上に小学 生や中学生でもない、高校生たちに対してはますます管理することが出来ず、何か起これば 事情を外地に出ている親たちに知らせるという式の (子供達にしてみれば告口 する) だけの教育から脱することが出来ないのだ。 ある老人は一人しかいない可愛い孫娘がいるが、思春期になって身支度、服の 着こなしに気を使う上、ボーイフレンドたちと付き合うようになり、友達の誕生日パーティーに 参加して夜遅く帰って来たり、日曜日には家にじっとしていなかった。担任の先生との 相談もしてみたが、進展がないようなので、悩んだあげく韓国に行っている親にこの事 をそっくりそのまま告げ口した。その結果、韓国に行っている親から電話で叱られるようになると、 《お婆さんが告口したから》と言って恐ろしがるどころかむ しろ余計に反感を買うようになった。 それでしばらくして、お婆さんが電話で韓 国に行っている子どもたちに 《私はどうしたらいいかわからないから、君の子は君が来て処理しなさい ...》というのが精一杯の 《最後通牒》であった。 子どもの教育でこのようなことはしばしばだ。 子どもの教育に悩むあまり、ひたすら食べさせ服を着せ、お金をあげることだけに満足しながら、今 年やっと十六歳の幼い孫が、AVビデオを貰って来て家で見ていても何も言わない老人たちもいる。 《老人家長》現象はこんなに深刻な問題点を抱えているが、解決策がはっ きりしない。 学校も父兄会議をすれば、ただ学生の情況を父兄に知らせてくれ る役目しかしない。 それで一応、子どもたちの成績が低いとか問題があると言えば、てんから 父兄会議を忌避する現象もある。 過去には貧乏と苦労の中で暮らしながら、子どもの教育に対して経験を積むこ とができなかった父兄たちに、新しく子どもの教育に関する知識を習得することができるシス テムがまだない。 したがって学校と父兄間で教育が分かれている。 学校で 《老人家長》により出て来る問題をしっかり解決する方法を早急に研究しなければな らない。 一方、子どもの教育という、この子孫を養成する重要な使命が老人たちに 多く負わされているこの現実を考え、私たちの老人協会もどのように 子どもたちを教育するかについての方策と知恵を交流し、研究し、私たちの子孫たちに とっての良い教員になれたらと思う。 (吉林新聞 カン・ヒョサム記者 2006年4月1日)
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