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![]() [特集] 美しいチンダルレ、雲南にも咲く ![]() 春分を控えた 3月中旬、北方のハルピンはまだ花冷えで震えているがベトナム、ラオ ス、ミャンマーと隣接する中国の西南部辺彊、ここ雲南省昆明市は昼の最高気温が摂 氏 22〜24度で、既に明らかな夏の天気だ。 ずっと北方で暮して来た記者の目に雲南というこの地は神秘の極みだ。 雲貴高原を 抱くこの地は 94%の面積が起伏が甚だしい山々で覆われ、西方にある梅里雪山の海 抜は 6740m、 しかし東南方へベトナムと隣接する地帯の海抜は 50〜70mにしかな らない。 前に記者は雲南は ‘動植物の王国’と言う言葉をたくさん聞いても、なぜそうなの かは理解出来なかったが、この地に直接足を踏み入れるようになると、なるほどと合 点した。39万平米を占める雲南省はこのように海抜の落差が非常に大きく、それによ る気候の変化が千差万別なので、象、アオダイショウ、孔雀などあらゆる動物たちが すべて住むことができる王国であり、ゴムの木、コーヒー、パナナその他幾多の種類 の珍しい植物たちの棲家になっていたのだ。 雲南省東部に位置する昆明市は海抜が 1891.7mで、冬には高い山々が北から吹いて 来る冷たい寒気を阻んでくれ、夏にはインド洋の暖かい気流に湿った空気まで防ぎ (年平均気温が 14.7度)冬には寒くなくて夏にはあまり蒸し暑くないので年中春(春 城 )という美しい別称が付けられるようになった。 しかしこちらは一日の温度差が 10〜15度にもなり、お昼のひとときは蒸し暑くても 朝、 夕方には少し寒いか涼しかった。 それで、街では温度差に備えて、袖を切った 上着だけ着ていながら腕や肩には上着を着けて通う通行人をしばしば見かけた。 雲南はまた景色が秀麗で石林、麗江、西双版納のような名勝地が諸所にあったが、そ れよりも中国の少数民族である朝鮮族の記者にはこの地元は少数民族が雲集した地域 ということでより心が傾いた。 中国の 55の少数民族のうち、雲南には 52の民族が住んでおり、なかでも 5000人以 上の民族が 26、 そして大理の白族、西双版納の納西族などいろいろな民族自治州だ けでも 8つもあった。 そのうち多くの民族は特に雲南の深い山奥にだけ住んでいた が、まだ顔に入れ墨や黒点をたくさん付けて通う原人を彷彿させる民族がいるかと思 えば、古代中国の象形文字をそっくりそのまま保存して来ている納西族のような民族 もいた。雲南省南端に位置した元陽といえば高い山から下りつつ分布する棚田の風景 が有名な所だ。 ところで海抜 144mから 600mの間にはタイ族が暮しており、 600m〜1000mには チャン族、1000m〜1400mにはイ族、1400m〜2000mにはハニ族、海抜 2000m以上 には苗族とヨウ族が暮していた。 そのように山道に従って 100里ほど行くとまた他 の民族が住む所が現れ、ややもすれば‘少数民族博物館’に入ったようだ。 西部開発の支援を受ける雲南省では、全国的に有名なタバコ産業に続き、美しい山 河、動植物王国、独特の気候、独特の少数民族文化を当地の 4大メリットとして誇 り、‘楽しい天堂’という名前を掲げて観光業を基幹産業として展開していた。 現 在、昆明市だけでも国家の許可を受けた旅行会社がおおよそ 130社余りで、海外観光 客は 2004年前までは日本の観光客が一番多く、ずっと一位になっていたが、去年か らはマレーシアが日本を追い抜いて 1位に上がり、最近は韓国の観光客が毎年 25% の成長速度で増えている(去年、雲南を尋ねた韓国観光客は 5万名余)。 雲南省で二 番目に大きい国営旅行社である ‘雲南科技旅行社’ 謝文明総経理の紹介によれば、 今年は韓国が日本を追い抜いてマレーシアに続く 2位に上がるものと見ていた。 韓国人たちは一部は観光から、また一部は雲南に世界 100大ゴルフ場のひとつである 春城ゴルフ場があるため、ゴルフをしに通ううちに徐々に雲南に接触するようになっ た。特に1999年、世界園芸博覧会が雲南昆明で開催されてから、雲南は韓国にも広く 広報された。 それで韓国の企業が雲南に陣取り始めてから、早くも 10年、 2001年 に大韓航空が昆明に進出した後 (現在、毎週定期運航便 2回) 、多くの企業がここへ 来て陣取るようになった。 雲南に進出した韓国企業を詳しく見れば、まずは気候条件が良くて花卉栽培業が主の (雲南省には現在大型花卉栽培基地が 13ヶ所あり、そのうち韓国企業が 7ヶ所) 次は観 光地に相応しい飲食業(70万ドルを投資して昆明と大理に 4つの店を作った飲食店‘漢江’ を含め、韓国料理店 10店余り) 、その次は豊かな山林資源を求めて 来た木材加工企業(現在 4社の企業がある)で、それに続いてハングル学校、 美容業者 もここに姿を見せ始め、雲南大、昆明大などの大学に韓国留学生も 130人 ほど入って来ていた。 雲南省に韓国留学生が増えるにつれて大学街の周りに関連の韓国式食堂が出来ている。 写真のように昆明大学留学生ホテルの周りにアリラン、青瓦台、漢江 の支店が入り、好況を呈している。 雲南が有名な観光地なので、ここへ来て腰を据える朝鮮族の場合は中国語と朝鮮語 が流暢である言語の強みを持って旅行社を運営したり、専門ガイドとして来た 20、30代の 若者達が主流をなしていた。 現在ここに朝鮮族の経営する旅行社が 10社余り、 朝鮮族のガイドは 70〜80人と見られる。よく見ると東北3省に住んでいて、子どもに 付いてここへ来た親たちも少なくなく、東北でキムチ商売が朝 鮮族たちの流行になるように、これらの親たちの大部分は韓国の観光客たちを 捜し回って当地で出来るお茶、ごま、松の実、くるみなどの特産物を売っていた。 幾 多の当地の商売人たちの間では、やはり言語の強みで成功する商売だった。昆明市 には朝鮮族の飲食店が 10店余り、朝鮮族が経営するカラオケ 2店、その他 には韓国企業を捜して通訳または会社職員として働く人々だ。 現在、雲南には韓国人 2500人、朝鮮族 800人余りが暮しており、雲南韓人会、雲南韓 人商工会、ゴルフの集まり、サッカー同好会など、自体で構成した民間団体も活躍 していたが、特に雲南韓人協会では去年から雲南の韓人情報消息誌である ‘雲南コリ ア’も 6回も発行していた。 しかしここの朝鮮族たちは気心の知れた会社や友達 同士だけで連携が頻繁であるのみで、まだ何の民間組職もなく、また一緒に集ま る行事や活動もなく、ばらばらに自分の仕事にだけ気を使っている状況だった。 その原因を探してみると、ここへ来た時間と経歴が短く、大部分が自分の住宅もなし に宿借りをしており、定住というよりは流動性が強いという原因もあるが、それよりも 突出した大企業がなく、それほど信じて従うに値する指導者 がまだ現われていないことと関連が大きいようだ。 しかし大学を卒業して日本 留学まで終えて来て、現在、雲南科技旅行社で日本、韓国部を総担当してい る黒龍江省樺川県生まれの李グァンソク(32歳、立派な住宅に自家用車もある )青年、黒龍江省阿城市の放送局で記者として活動してから 3年前にこちらへ来て飲食店 を経営する一方、ガイドもしており、飲食店を営み、雲南省テレビ放送にも紹介され て知識が豊かで観光客たちのために真面目に奉仕する ‘雲南へ来た立派な朝鮮族ガイ ド’であり ‘生活新報’という当地の新聞でも知られた蔡ソンホ(35歳、住宅を買 おうと頑張っているところ) など優秀な若者達が多く、近いうちに一民族を固く団結させる指導者 も出て来ると思われ、そのようにお互いに助け合い施し合いながら 雲南の富裕民族になるものと思われる。 ‘花の都市’ 昆明では10元もあれば生き生きしたバラの花 100 輪を買うことができる。 ここの人々は花をただ鑑賞品とだけ見るのではなく、 おいしくて栄養価の高い食べ物として食べたりもする。 それで昆明の通りに は専門的に花だけを揚げたり炒めたりする飲食店もあるかと思えば、さらにはしゃぶしゃぶ飲食 店に入っても沸いたおつゆに黄色い菊の花を浮かべてくれる。 種類の多い雲南の 花の中には山茶花、玉蘭花、報春花と杜鵑花が 4大名花として知られており、杜鵑花 がまさに朝鮮語の固有語でチンダルレ(つつじ)だ。 しかしチンダルレは韓国のムクゲのように我が民族を象徴する花ではないのか! 考えて みればここは雲南の地、雲南の多くの民族は昔からチンダルレを愛でるよ うに我が民族が好きだったし、それで開放の波に乗ってこちらまで尋ねて来る我が民族 を両腕開いて迎えてくれているのではないのか?! チンダルレ! 何ともこの地に深 く根付いてもっと美しくて生き生きと咲いているものよ! (黒龍江新聞 パク・イル、キム・ドンパ記者 2006年3月29日)
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