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![]() [社会] 磨盤山 朝日昇る山、美しい伝説の山 日の昇る山 ▲ 磨盤山の奇岩石 延吉から東北の方を眺めれば高い山の上にまっすぐに立つ山が一目で見えて来る。図們市長安鎮内にある磨盤山だ。 延吉の太陽は一時期、 磨盤山付近の山から昇る。 それで有名な <農民の歌>でも “磨盤山、高い峰に朝日が昇る/裏の東山の深い森にカッコウが鳴く...”と歌われている。 日の昇る山、磨盤山は見れば見るほど奇異で美しい。 海蘭江は平崗平野とセジョンイ平野を潤しながら下り、延吉平野の東を回って布爾哈通河と合流し、渤海の昔の城跡で東夏国の昔の首都だった城子山 をかすめ、北峡谷に流れる。 このように流れた川がまた東にうねる所に雄大に聳える山こそ、磨盤山だ。 延吉から磨盤山に行く道は色々ある。延辺大学科学技術学院まで路線バスに乗って行き、山の陵線に沿って磨盤山まで行くこともできるが、長い道のり になり、いい加減な気持ちでは手に負えない。 一番便利なのは汽車に乗って行き、磨盤山駅から登る方法だ。 磨盤山に登る道も色々ある。駅前の村を背にして綺麗な山道に入ることもでき、村の裏山にある険しい道を辿ることも出来る。スリルを楽しむ人々は鉄 道に沿ってずっと下って行くと絶壁山に辿り付く。 険しく危険だが、岩登りを楽しむ所もある。 磨盤山には美しい伝説が多い。そのうちの一つだけ紹介しようと思う。 金石物語 はるか遠い昔、磨盤山の下には強欲で有名な金持ちが住んでいたと言う。 この金持ちは大みそかまで作男をこき使い、帳簿を決算出来なかったといって は作料一銭すら与えずに追い返したりした。 母親の面倒を見て真面目に暮らしている一人の独身男がいたが、大晦日に手ぶらで母親のもとへ帰ることができず、丘の畑から引き返した。 豆穂でもあげて、母親に豆腐でも作って上げようとの気持ちからだった。 男が豆畑に頭を突っ込んで一生懸命に豆穂を取っていると、どこからか変な音が聞こえた。 その音を辿って険しい山道を上って行くと、一人の 白髪の老人が大きな岩で石を研いでいた。 自分をぼかんと眺めている男を見て、老人がどうしたのかと聞いた。 男から事情を全て聞いた老人は大きくため息をつき、“さあ、心配しないで私が磨いておいたこの石を持って行きなさい” と言い残してどこか へと消えてしまった。 男は石ころいくつか抱えて家に帰って来た。 明くる日の朝、起きてみると家全体が黄金で輝いていた。 前日もらって来た石ころは全て金塊だったのだ。 心の優しい男は、その金塊を近隣の貧乏な人々めいめいに分けてやり、自分も一部の金塊で畑も買い家も建てて聡く真面目な妻を迎え入れた。 この噂を聞いた金持ちは若者を訪ねて事情を聞いた。 翌年、金持ちはみすぼらしい身なりでのっそりと山の上に這い上がった。やはり山の上で白髪老 人が石を研いでいた。 金持ちはすすり泣きながら自分の “貧しい暮らし”を訴えた。 すると白髪老人はそれではこの石をいくつか持って行けと言った。 老人の言葉が終わるや否や、金持ちは準備して持って来た袋の中に老人が磨いておいた石をギッシリと詰め込んだ。 “あまり欲張ると災いを招く!” このように言い残した老人は風のように消えた。老人の言葉を初めから聞き流してしまった金持ちは、袋が既にいっぱいになったにも関わらず、 しきりに詰め込んでいた。 急に “ガン”という騒々しい音がした。 大岩が崩れる音だった。 金持ちは石ころを抱きかかえたまま、大きな岩の下敷きになってしまった。 大岩は山に変わり、貪欲な金持ちを永久に埋めてしまった。この伝説によって後世の人たちは、この山を磨盤山と呼ぶようになったと言う。 風情ある山 険しい山腹の森をかきわけて稜線を上れば、昔から言い伝えられるその大きな長方形の盤石の岩山が目の前ににょっきと現われる。 四方がすべていくつ かの道からなる絶壁で囲まれている岩山を、果して上ることができるかと心配になったりする。 近くに行って見れば中間位に岩が砕けた所があり、山に登る場所はさほど険しくない。 崩れた岩の上には人々が多く通った跡をはっきりと知らせる “道”があり、その道を辿って上れば、簡単に盤石の上に上ることができる。 磨盤山は東西に約 100m、南北に約 20m突き出ている大きな岩峰だが、山は一つの大きな岩だ。 雑木や名も判らぬ花も咲いており、全てが岩に根付いていた。 ▲ 磨盤山の遠景 高くはないが切り立ったようになり、下を見下ろすとハラハラする西方の絶壁。 絶壁から少し前を眺めれば、封墳のような山峰が一つある。 史料によれば、昔の烽火台石と言う。 渤海の頃の昔の城塞であり、蒲鮮万奴が建立した東夏国の首都でもあった城子山の上がここから手に取るよ うに近くに見える。和龍から始まる延辺の千里長城はまさにあの峰を通ったという。 磨盤山ではそれよりさらに遠い昔の人々が住んだ遺跡地が発見 されたりしたし、抗日武装闘争の頃の基地が発見されたりした。 北の絶壁の上に伸びた道を東に行って見れば、足もとは全て絶壁になっていた。東の絶壁は西方の絶壁よりもっと風情がある。 絶壁から分離して大 きな岩塊がぽつんと切り立っている姿はまことに珍しい限りだ。少し体力のある人なら、ここの絶壁からその岩塊の上に上がることもできるだろうが、 うっかりすれば深い絶壁の下に落ちるかも知れず、よほど気を付けなければならない。 4人が両手を広げてやっと周りを囲むことができるほどの岩塊が、 遠くから見てもにょっきりと聳え、壮観だ。 下を見下ろせば、深い峡谷を掘りながら流れる布爾哈通河がさっと広がる。 布爾哈通河は足もとに伸びた山裾に消えたかと思えば、あちらの下からまた現 われる。 東西南北に散らばっている山と村、平野がここで一目で見渡せる。 磨盤山は延吉周辺の山の中で最高の山といえそうだ、 (延辺日報 キム・チョルホ記者 2006年3月24日)
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