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[社会] 帽児山

その昔は烽火台、今は市民の公園、新年御来光を楽しむ延吉の名所に

いつも故郷の山

海抜 517mの帽児山はあまり高い山ではないが、延吉盆地と龍井平野、朝陽川平野、銅仏寺平野の 間に聳え立ち、どこからでもひと目で眺められる故郷の山だ。 帽児山にはスリルを感じらせる層岩絶壁もなく、感歎 を催させる美しい老松もない。 帽児山は非常に美しいというわけではないが、風情がある。 格別に丸く、にょっきと聳 える姿は、農夫が脱ぎ捨てた麦わら帽子のようでもあり、壮大な王陵のようでもある。

1950年代まででも帽児山はハゲ山だったと言う。 元々は枝ぶりの良い枯木で鬱蒼としていたが、日帝侵略者たちが 濫伐したため、ハゲ山になったと言う。 延吉を訪ねた周恩来総理が帽児山をよく手入れすれば、森林公園を作ることが 出来るのではないかと建議した。 その時から延辺の若者達はシャベルとくわを持って帽児山に登り、松や朝鮮唐松を 一本二本と植えた。 何十年か経った今、ハゲ山だった帽児山は木が生い茂った青山になった。そして鳥たちが飛び 獣たちがやって来るようになった。

延吉人にとって、帽児山はなくてはならない生の空間だ。 10年余り前まででも帽児山には山道があまりなく、あると言っ ても雑草に覆われた細い一本道だけだった。 しかし今は山登りを楽しむ人々によって縦横に多く伸び、道も歩きやすい 道になった。

帽児山に行けば良いものが非常に多い。 突然現われて木の幹の間を飛び回るリス一匹! 人々の目線はリスの後を 追って歓声を挙げる。 帽児山には五葉松が多い。 そのためかリスが特別に多い。 とても可愛いリスを眺めながら、 人々は楽しそうに笑う。 帽児山には清々しい鳥たちも多い。 その中でも真夏に一日中 “カッコウ、カッコウ”とさえず るカッコウドリの歌声は睦まじい限りだ。 近年には雉たちもたくさん飛び回る。 “コゴン”という雉の鳴き声と共に、大き な林の中を横切って遠くの方へ飛ぶ姿はユーモラスで可愛い。

帽児山に民俗村まで作り、夏には帽児山民俗村は延辺人の観光地になっている。 民俗的に作られた遊び場であり、 飲食店は客を楽しく迎えてくれ、素敵な寿石館まであって見どころがますます多くなっている。 寿石館に行けば自然に 歓声が出る、ありとあらゆる寿石がすべてある。 虎のような寿石、スッポンのような寿石、東海から朝日がほとばしるよ うな門型石‥‥

冬にはそり場まで建設してあり、帽児山は四季折々に観光客を迎えている。

楽しい泉

最近、帽児山泉水が延吉市民の人気を集めている。 夏には暗い夜明けから泉水を汲みに来る人々で山道が慌ただしい。 冬にも泉を訪ねる人がかなり多い。 民俗村に入って行くコンクリート道の中間ぐらいに果樹園への道があり、その道を ずっと行けば泉がある。 去年の夏、心優しい善良な老人何人かがコンクリートでしっかりと押し堅め、泉がきれいになっ て泉汲みもいっそう楽しくなった。 冬になれば泉は大きな氷の塊になるが、その中には清くて涼やかな水が溜まっている。 ビニール袋は泉に並んでいるのに人々は整然と自分の順番を待ってから泉水を汲むのだ。


▲ 帽児山の泉(左)と帽児山の森林の中(右)

ある人々はこの泉を “チョンガ泉”と言う。 泉の水流が丘の麓の下岸に打ちこんでおいたビニール管を通じ、放物線を 描きながら溢れ出るので、そのように呼ぶのかとも思えるが、実は丘一つ過ぎれば中腹に青い小さな泉が一つあり、 その泉のためできた名前だ。 その小さい泉の名前が “処女泉”だったのだ。 さっと開けたやや小さい谷間で湧く小さ な泉は、一説には日本の人々が見つけた泉とも言うが、それが事実なら発見されてからおよそ百年にはなるだろう。 コンクリートで丸く井を押し堅めてあるので、水を汲むのがいっそう楽だ。 二つの泉はまた登山客たちの休憩場で、喉 を潤す甘露水として愛用されている。 延吉公共線路バスは帽児山の虎石像のある所まで行く。 だから帽児山登りは 随分と楽になった。 大きな岩を削って作った虎石は、帽児山の門番になっていかめしく山客たちを眺める。 その下に 伸びた道に従って 10分余り歩けば、帽児山の頂上に上る道が現われる。 帽児山の頂上に登る道はいろいろあるが、 正面道を上るのが一番易しくて楽だ。 手早い人なら 15分もあれば頂上まで上ることが出来る。 頂上は大部分栢の木だ。 夏には栢に絡んで上がるヤマブドウのツルが趣があり、秋には山道に転がるどんぐりを拾うのが楽しい。


▲ 帽児山の遠景

帽児山は非常に重要な渤海遺跡地でもある。 帽児山を学名で帽児山台と言うが、台というのは烽火台という 意味だ。 烽火とは、戦争が始まる時、煙あるいは火で送る信号を言うが、烽火台というのは、そんな信号を送るために 専門的に設置しておいた高台を指す。 帽児山の他にも延吉市には大台、小台がある。 大台は延吉市 興安村にあり、小台は延吉公園の中にある。 帽児山には美しい伝説も多い。 しかしこの文ではしばらく言及は 避けよう。

帽児山は延吉人が新年の日の出を楽しむ名所として浮上している。 筆者も連続して何年間、正月朝には帽児山に登 って御来光を見物している。

一昨年、帽児山頂上で初来光を一緒に見物した友達の娘は、御来光を見ながら勇気と力を得て、遂に重点大学に合 格した。 多くの人々は初来光を眺めながら新年の所望を祈るが、その人の娘は願いがかなったのだ。


▲ 帽児山から眺めた日の出の光景

2005年正月の帽児山御来光は色々見た御来光の中で一番の壮観だった。 その日、帽児山の頂上には何百人にもな る人々が集まっていた。 雲一つなしに晴れた天気なので人々の心はいっそう脹れていた。 青い空から最後の星が消え ると、天気はたちまち明るくなった。 延吉市、龍井市、朝陽川鎮がひと目に見渡せた。 遠く開山屯方向に聳えている兄 弟峰さえ、すぐそばのように見えた。 太陽はまさにその山から差し込む。

青っぽかった東方が赤く染められ始めた。 すっと伸びた山の端に赤い帯がかかったように、鮮かな色合いが山の陵線を 染めた。 定刻 6時 58分、ホンジェ峰の端からキラリと赤い火が出た。 火の玉みたいな太陽がボッカリと出た。 拳ほどの 火の玉がソロリソロリと出て来て、美しい丸やかな火の玉に変わった。 初の太陽を待っていた数百人の人々は歓声を挙 げて声高く叫んだ。 “新年初日の出だ!” “ワーッ、本当に火の玉だ!” 人々は両手を高く持ち上げて足踏みしながら 歓声をあげた。 往年の御来光に比べてずっと荘厳で美しかったのだ。 一昨年には山の東に雲が挟まっていて、 日が雲をくぐって出ようとして、丸くて大きい姿をすべては見えられなかったが、今度は完全な姿をすべて見せてくれ、 人々をさらに興奮させていたのだ。

日が山の端から完全にほとばしると、燦爛たる陽光が全世界に水のように散らばった。 雪に覆われたセジョンイ平野は 陽光を受けて白い雪が真っ赤になり、朝の煙がゆらゆらと立ち上る村々も赤い水が上がり、童話の中の村のように 見えた。 歓呼する人々の顔にも太陽は赤い絵の具を振り撤き、紅潮した童顔になった。 新年の新しい所望を祈る人々 の顔は新年の初来光のように興奮していた。

今年にも御来光を見物しに数百人の人々が帽児山に登ったが、空一面にかかった雲のため御来光を見られなかった。 しかし人々はがっかりせずに東方を望み、新年の所望も祈って声の限り叫んだりしながら、思う存分楽しんでから山か ら下りた。

(延辺日報 キム・ホチョル記者 2006年3月3日)
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