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![]() [特集] 黒土平野にも'チンダルレ'は咲いた 黒龍江朝鮮族 39万名、韓国人 5千名 ハルピン、牡丹江等にコリアタウン続出 寧安等、対韓国投資誘致に率先 ハンギョレ業者、発展基盤が脆弱なのが不安 中国の東北辺境に位置づいた黒龍江は、豊かで油分豊富な‘黒土平野'として、ずっと中国最大の商品 穀類基地として君臨し、名実共に‘穀倉'の噂が高い。 黒龍江の油分豊富な沃土に開拓の初の鍬が加えられ、荒れ地を開墾し田を掘り起こして真の‘土地の主人'とし て黒龍江の稲作発展に不滅の寄与をして来たここの朝鮮族は、改革開放と共に都市に進出、海外進出により富を 蓄積し、新しい奇蹟を創造している。 しかしこれによる副作用として、朝鮮族村が消え、朝鮮族の人口が激減し、民族幹部の断層現象がますますひど くなるなど、おびただしい社会的問題を生んでいるのも厳然たる現実だ。 東北3省で人口流失が一番深刻な地方であり、現在、黒龍江省の朝鮮族戸籍人口は 38万8458人(2000年末基準)で、 単純な戸籍人口だけでも 1990年(45万4091人)より 6万5千名余りも減少した。 韓国人は約 5千名ほどが常在するといわれ、留学生が主流を占めている。 黒龍江朝鮮族語学会、朝鮮族老年協会、 ハルピン朝鮮民族事業促進委員会など、朝鮮族の団体が活躍しており、ハルピン韓国人会、牡丹江韓国人会など 韓国人の団体が存在している。 現在、黒龍江と韓国間の人的、物的交流もますます強化されており、ハルピン−仁川間にアシアナ週5回、南方航空 週5回、 ハルピン−牡丹江に大韓航空週2回など、定期航空便が運航している。 ハンギョレ社会の発展過程 黒龍江省の朝鮮人移民史は概して清朝末期、民国時期、日帝支配期に分けている。 1879年に締結した‘中韓条約 15条'は朝鮮人移民者の生命財産を保護する条約であり、およそ 300年間実施した国境立ち入り禁止政策を解除、 多くの朝鮮人たちが吉林(琿春を経て東寧、寧安、海林に定着)、遼寧(東辺道地域を経て五常、阿城に定着)、 ロシア 沿海州地域を経て黒龍江に定着した。 1910年、日本が韓国を併合した後、ソウルに朝鮮総督府を設置して朝鮮人の一切の権利を剥奪した。 日帝の掠奪で 80%以上の農家が破産、1919年3.1運動の失敗と共に多くの朝鮮人が生計、あるいは独立運動のために避難の途 についた。 資料によると 1930年、黒龍江の朝鮮族は 4万5千名に達した。 1931年 9.18事変以後から 1945年8.15光復まで、 日帝の強制移民政策で多くの朝鮮人が黒龍江に定着するようになった。 1932年、朝鮮総督府では ‘満鮮農社会設立計画'を制定、毎年 10万名づつ、 15年間で 150万名の朝鮮人を東北地域 に移住させる事にした。 自らの統治便宜のために集団部落、農場などを作って、朝鮮人移民者を団体で居住させたが、 当時、黒龍江省内には 53の農場があり、朝鮮総督府直属の河東安全農場と綏化安全農場があった。 1940年に至り、黒龍江省の朝鮮族人口は 15万3千名余に達した。 色々な民族と共に血を流し、抗日闘争を続け、この 地で新しい中国の誕生を迎えた黒龍江の朝鮮族社会は、絶え間ない成長を経て人口が 1982年 43万1644人、 1990年 には 45万4091人に達して以後、減少傾向に転じ、2000年には 38万8458人に達した。 現在、実際の居住人口は 25万名程度に過ぎないものと推測されている。 1991年、太一精密(現。双泰電子)が先陣を切ってハルピンに進出し、電子、衣類、食品、製紙、サービス業 など韓国企業が相次いでハルピン、牡丹江等に進出し始めた。 黒龍江の初の韓国人留学生である黒龍江 中医薬大学・金ジェユン博士を始めとして、黒龍江大学、ハルピン工業大学、黒龍江中医薬大学、ハルピン 師範大学などに韓国人留学生が急増し、現在、黒龍江地域の韓国人は約 5千名に達するといわれる。 民族幹部陣と教育文化インフラ 黒龍江省にも以前には省級幹部(前任省政協・李敏副主席)もいたし、要職に上っている部庁級、正処級以上の 幹部も相当数だったが、今は東北3省で民族幹部陣が最も貧弱で、民族幹部の断層現象も深刻だ。 黒龍江民族事務委員会・李順宝副主任、盧範植民族幹部学院院長、黒龍江新聞社・李振山社長、ハルピン市委・ 朴逸秘書長、双鴨山市・李龍吉副市長など在職中の部庁級以上の幹部たちが 6〜7人に達し、正処級以上 40人 余り、副処級以上 80人余りが多くの部門に布陣している。 朝鮮族が比較的多く集まっている県(市)にも以前には朝鮮族県委書記(副書記)、県長(副県長)が 1名以上いたが、 今はいない県(市)が多く、朝鮮族幹部候補と思われた民委主任までも他民族に移っているのが実情で、 ‘一人が退職 すれば一席が減る'現象が出現している。 該当関係者は万全の方策を講じて未来を指導する若くて有能な民族幹部の 養成に出なければならないと強調した。 ‘牛を売って子に勉強させる'と言う我がの民族教育観の体現で、黒龍江にも幼稚園から高等学校に至る完璧な教育 体系が揃い、外国語を教える民営大学もたくさん出来た。 省級示範高校のハルピン朝鮮族1中(校長・金ヨンドク)を含め、朝鮮族学校の教員の質と名門大学進学率は、普遍的 に現地で上位を占めている。 2004年の大学入試で黒龍江省の理科主席 (尹璐)と文科首席(方美燕)と、 いずれも朝鮮族学生が占める栄誉を受けたりもした。 そして黒龍江経済貿易学院外国語学部(校長・金チョンホ)、 ハルピンニューブリッジ外国語学校(校長・金キヨン)、 ハルピン新北方外国語学院(理事長チョン・チョルホ)などの民営大学は、朝鮮族の外国語人材の養成に多くの寄与をし ている。 ここには黒龍江新聞社、黒龍江朝鮮語放送局など、ハンギョレ言論媒体があり、ハングル文の図書を出版する黒龍江 朝鮮民族出版社があると同時に、ハルピンを始めとする牡丹江等に朝鮮民族芸術館があり、我が民族の芸術、文化 高揚に一翼を担っている。それ以外にも朝鮮民族病院、朝鮮民族商店など、朝鮮族の単位がある。 黒龍江地域にはまだ韓国人の子供を対象とする韓国国際学校がない状態で、大部分の韓国人の子供たちが現地の 朝鮮族学校や漢族学校に通っている。 しかし現地の韓国人会の努力で、週末ハングル学校が運営されている。 コリアタウンと朝鮮族集中村の建設に活気 現在、牡丹江、ハルピン等にコリアタウンが形成されたり造成されている状態で、海林市新合村を筆頭に、 朝鮮族集中村の建設が活気を見せている。 牡丹江市西安区には、元々朝鮮族が数千名暮していた。 後に開発が始まり、朝鮮族がさらに多く増え、現在は 朝鮮族の人口が 1万2千名余り、流動人口まで合せれば 2万名を上回るものと予想される。 黒龍江省で唯一の 朝鮮族街頭判事処である牡丹江街頭判事処、朝鮮族小中学校、朝鮮民族芸術館、図書館等の朝鮮族の主体が、 ここに位置づいており、民俗風情街の街並、飲食店及びその他のサービス業者の 80%以上が民族業者であり、 名実共にコリアタウンとして位置づけられている。 去年、牡丹江市政府の批准を経て西安区の民俗風情街と朝鮮族 商業貿易区が市級に昇格、黒龍江省最大の朝鮮族商業貿易区と特色観光地として造成するという展望計画により、 去年 5月に正式に稼動した。 南側の新安街と北の平安街の間、東の長安街西3条路と西の長安街西11条間 の 100万平米になる区域を朝鮮族商業貿易区と決め、構内の長安街西3条路から西11条路に至る 1900mの距離 を民俗風情街に選定した。 全般の建設は 5年計画で 2期に分けて進行、 今後、ここは黒龍江省最大のコリアタウ ンに生まれ変わる見込みだ。 ▲ ハルピン中央大街に立った金安欧羅巴韓国現代広場は韓国商品の高級イメージを植え付け、韓流ブームが起こ る上で一役買っている。 顧客が韓国化粧品店舗を見回っている。 ハン・キルナム記者 ▲ コリアタウンを象徴する彫像。 牡丹江市コリアタウンと呼ばれる西安区民俗街にある朝鮮族文化広場の彫刻。 リ・ホン記者 ハルピンコリアタウンは 2003年に稼動、 朝鮮族のもともとの居住民が少なく、市のメイン・ストリートから遠いなど、 さまざまな条件の制約で発展が遅いものの、一定の規模を形成している。 香坊区安埠小区にあるハルピンコリア タウンは、ハルピン朝鮮族第1中学校と身近にあり、子どもの教育のための父兄がここに集中することにより、 タウン造成のための基礎が出来た。現在、朝鮮族家庭 100世帯(400人余り)がここに入居しており、平壌美食城、 ソウル焼肉、全州ビビンパ、金山コーヒー喫茶店、ソウルキョンラク美容院、高麗サウナなど 21の業者がタウンに入った。 一方、高麗会館を中心に企業等の相互間団結と和合を目的として定期的に情報と経験を交流することでタウンの凝集 力を高めている。 また香坊区政府から 12のプロジェクト優優遇政策を導き出し、法的な枠で営業手続をしながら、 インテリアーを手始めに、開業手続きをタウン内の外資誘致弁公室で代行してくれるサービスを取り入れた。 また、 区政府管轄の各種費用を 1年免除、各種の検査回数と検査費用を最小化させるなどの措置も導入した。民間の次 元で去年、ハンギョレが関心を持つ安重根義士写真展示館、及び東北烈士写真陳列館を高麗会館に開場するととも に、韓国広場を設立することで、韓国人及び現地の朝鮮族の気を引いている。 朝鮮族の海外進出、都市進出で、農村が閑散とし、学校が運営危機に瀕しており、人口流失によるその他の副作用 も続出している今、海林市海林鎮新合村と共に朝鮮族集中村の建設で新しい発展空間を模索する事例も増えている。 1997年に新合村では海林鎮と隣合う独特の地理位置を利用して、白頭山住宅団地を造成することに決定、建設初期か ら朝鮮族の小中学校が近くにあり、住宅構造がオンドル暖房施設になっているなど、優越な条件で朝鮮族の脚光を浴び、 分譲が絶好調となっており、1期 10洞アパートすべての入住 450世帯のうち朝鮮族が 90%を占め、海林市の主な飲食 娯楽区域として浮上した。 新合村は 2004年から第2期工事を始め、敷地 5万平米の 7階アパートを 5棟建設した後、 2005年に 3期工事で敷地 3万平米のアパートを 3棟立ち上げた。 現在 80%以上の住宅を分譲、このうち 80%が 朝鮮族だ。 新合村でも今年の春に敷地 4万平米の 5軒のアパート 4期工事着工式と共に、 15階アパート 2棟を 建設して、住宅、省級ホテル、映画館、レジャー広場などが入る ‘高麗園'を建設する予定だ。 現在、新合村は新合村 に戸籍を移せば住宅購入費用を優遇してくれるなどの優遇策で外地の朝鮮族を大量に吸収し、朝鮮族の人口が以前 の 2000人から 9000人に急増した。 朝鮮族密集の版図が徐々に巨視的に開かれると、海林市政府はこれを外資誘致、 地域経済発展の良いきっかけと捉え、最近、白頭山住宅団地の向かい側で海林市西部地域をまとめる韓国城の建設 方案を採択したが、既に開発業者が出て来ている。 韓国城は 18階アパート 2棟が予想され、韓国商品交易市場など を誘致する商業地街を建設することになる。 それ以外にハルピン郊外の朝鮮族村でも、土地が都市拡張により国家に徴用される状況で、村の宅地を中心に コリアタウンを造成するための努力を続けている。 ハンギョレ業者の春の日は来るのか 地理的、政策的など諸般要素の作用で、黒龍江と韓国間の経済取引は東北3省のその他の地域に比べて相対的 に発展が遅い。 現在、黒龍江政府でもこの点を重視をし、最近 2年間、副省長を団長にした投資誘致団を韓国に派 遣し、韓国企業誘致に熱をあげる一方、投資環境の改善にも努力している。 そしてハルピン、牡丹江、寧安、海林な どの地方政府でも自らの産業構造に照らして投資誘致をしており、良い成果を挙げている。 ハルピンでは去年、瀋陽 を模範として第1回韓国週間行事を開催、初めてのことなので充分でない点も多かったが、良好なスタートを切ったと いう点で肯定に値するという評価を受けている。 そして韓国の釜山、京畿地域の企業と新製品、新技術の展示会も 開催し、中韓企業間の合作交流の出入り口を広げた。 ハルピン韓国商会によれば、現在、黒龍江省の韓国企業数 は 1200社余り、そのうちハルビンの韓国企業は 544社であり、そのうち企業稼動率は 20%台にとどまっており、韓 国企業の現地成功率が非常に低い。 主に IT、電子、機械、衣類、食品などの業種に韓国企業がたくさん集まって おり、代表的業者としては、萬都、アシアナ、双泰電子、東亜、新吉などだ。2004年末基準で、韓国人の投資額は 4 億2516万ドル、対外貿易で韓国が日本を追い抜き、ロシアに続いて2位を占めた。 最近、東北振興政策による黒龍 江市場を狙って韓国企業進出が増えており、同仁建設、東方建設を含む韓国建設業者もここに進出した。 寧安市は地方政府としては対韓国の投資誘致に最も大きな力を投入、 韓国財界序列 12位の東部グループ傘下で ある東部韓農化学(株)を誘致した。 2004年3月、寧安市は黒龍江省で最初に対韓国投資誘致弁公室を設立、朝鮮族幹部である董一万 副市長が主任、市政府・金京振秘書長が副主任、市民族宗教事務局・沈尚朝局長が副主任を引き受けて 朝鮮族幹部 4人をメンバーとして配置した。彼ら朝鮮族幹部の私心なき努力で、 2005年6月8日、東部韓農と正式 契約を締結、 寧安市に東部韓農(黒龍江)化工有限公司を設立した。 総投資額が 1億5千万ドルに達し、去年の 黒龍江省最大の投資プロジェクトであるこの会社は、工場建物、 事務棟建物の工事を終え、来る3月から正式に 製品生産を開始する。 この大型投資プロジェクトの成功裏の誘致で、今後多くの協力業者が連られて進出するもの と見られる。それ以外にも寧安市は現在、韓国高麗人参公司と人参栽培基地を設立することを協議した。 黒龍江の朝鮮族企業の発展は華麗な歴史を誇っている。前世紀 80年代中盤から 90年代初盤まで、 当時の民族業者はもちろん、全国的な民営業者でも上位を占め、中国全域で活躍した朝鮮族企業である 昌寧グループ(総裁・石山麟)、黒龍江民族開発総公司 (総経理・崔秀鎮)が民族企業の発展に大きな寄与をした。 多くの民族企業の人材を養成した昌寧グループは、‘朝鮮族工業大学'であり、多くの民族商業貿易の人材を養 成した民族開発総公司は ‘朝鮮族商業大学'と呼ばれたりした。 後にさまざまな原因で昌寧グループが 本部を秦皇島、北京に移し、民族開発総公司が 3つの負債、不実経営に苦しみ、民族ホテルが不渡りになり、 黒龍江の朝鮮族企業の発展が大きく萎縮した。 現在、黒龍江地域の朝鮮族業者は約 2千ほどに達するものと推算され、 大部分はサービス業者が主で、機械、給水設備、ボイラー、ポンプなどを生産する製造業者が 200社余り、 IT など先端産業に携わる業者は '熱心に捜して見なければ'見つからないほどだ。 対韓国、対ロシア、 対日などの国際貿易に携わる貿易業者もある程度の数を占めている。労働力送り出し、 不動産開発、畜産業 などを経営している黒龍江金山峰経済貿易有限公司(総裁・金ミョンスル)、黒龍江対ロシア貿易の先頭走者・黒 龍江東寧吉信グループ (理事長・崔龍吉)、黒龍江ギムヤックグループ(理事長・金チュンハク)、黒龍江烏吉密スキ ー場(総経理・申昌明)、黒龍江ドンウォン商務有限公司(理事長・朴クァンジョン)など屈指の企業をはじめとして、 ハルピン大千健康食品有限公司(総権利・千オクグム)、ハルピン友邦装飾公司(社長・李ミョンホ)、ハルピン双龍 給水設備有限公司(理事長・金インハン)、ハルピン緑色食品保健品有限公司(理事長・千キホ)、 ハルピン慶功林ポンプ有限公司(理事長・朴ソンゴン)、ハルピン高麗園食品有限公司(理事長・金永鶴)、 ハルピン南海織物有限公司 (社長イム・ジョンウォン)など代表的な企業があり、黒龍江イースター科学技術有 限公司(社長・洪海)、ハルピンホチョン科学技術有限公司(総経理・呉チョルウン) など先端技術産業に携わる企業もある。 現在、ハンギョレ業者たちの発展基盤が脆弱で苦戦している状況であり、企業が団結している兆しを見せてい るが、ハルピン朝鮮族商工会、黒龍江朝鮮族商工会(準備段階) などを主軸に朝鮮族企業が団結してハルピン 韓国企業投資協議会、韓国商会などを中心に韓国業者たちが団結しながら多様な産業変化と発展を試みている。 共存共栄協力の時代を開こう 黒龍江ハンギョレ社会は初期の相互不信、相互忌避などの障壁を越えて、現在、ハルピンを中心に成熟した 共同体意識を見せている。 ハルピンにある朝鮮族団体である黒龍江新聞社などとハルピン韓国人会、ハルピン 朝鮮族商工会の間の定期的な会合が開かれ、相互理解、尊重、対話、交流の幅を徐々に広げて行っている。 黒龍江新聞社・李振山社長は、文化、考え方の差から始まった朝鮮族と韓国人の葛藤はお互いに自分の方式で 相手を評価し、自分の基準ですべての問題を分析・ 処理することから生ずるもの、と言いながら、相手の是非を問う 前にまず自分が心を開いて相手を理解して施さなければならないと強調した。 ハルピン韓国人会・兪久浚会長は、ハルピン韓国週間を通じて韓国人と朝鮮族の紐帯強化の必要性を再び確認した とし、現在、朝鮮族団体との親睦を強化している基礎の上に今後の朝鮮族の恵まれない隣人助け合いなどの行事にも 積極参加すると明らかにした。 ハルピン朝鮮族商工会・千キホ会長は、朝鮮族と韓国人間の相互誹謗や偏見は結局 ‘石を落として自分の足を怪我 する(天に唾吐く)'結果をもたらすとし、全ハンギョレ社会にお互いに助け合い、導いてくれる雰囲気が拡散して朝鮮族 企業と韓国企業間で資源と情報を共有し、さらに大きな市場を占めるために努力しなければならないと力説した。 ハルピン(萬都)サッシシステム有限公司・宋ハンサン総経理は、朝鮮族と韓国人の差を認めて相手の立場で理解し 尊重し、相手の弱点を問題視しなければ、矛盾と摩擦も自然に消えるはずだと言いながら、内紛で '食器'を奪われる ことなく、固く団結して基盤を固めなければならない時だと指摘した。 ハルピン新吉家具城・金秉建総経理は、 10年間中国で生活したが中国に対する了解は 5%に過ぎないとし、中国に 1年滞留して中国を全て理解したという一部の韓国人の所業により、韓国人が評価を下げており、中国に進出した 韓国人たちが常に ‘第2の朝鮮族'という認識を持って行動すれば、朝鮮族と韓国人の葛藤も随分と解消されると述べた。 このように朝鮮族と韓国人の間に相互共感帯が多くなっている時点で、手に手を取り合って奮闘すれば、黒龍江ハン ギョレ社会の共存、共栄、協力の時代を開いて行くことができるだろう。 (黒龍江新聞 2006年2月23日)
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