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[社会] ‘我が子よ、いつ帰って来るのか?'

老人たち、近付く正月を前に悲喜こもごも


▲ 子を待つ老人たちの心は季節を問わない。 (資料写真)

丙戌年の旧正月が目先に迫ると、村ごとには各いつもの風景が現われた。 子どもた ちが続々と帰って来る家々では、正月料理の準備に精を出し、子供達の帰って来る約 束のない家々ではため息だけが聞こえる。

阿城県舎利郷勤労村の池リョンイルさんは、最近は忙しい限りだ。木曜日には村から 8里離れた市場へ既に二回も行って来た。大連と内モンゴルにいる子どもたちが正月 に皆家に来るという電話を受けたのだ。老親がもう品物を買うのはやめなさいと言っ ても、手のつけられない状態だ。池さんは村道で会う人ごとに 3年ぶりに初めて家族 が集まるようになったと自慢だ。池さんは今朝また市場に行った。 往復 16里の道な のに通えば通うほど楽しいばかりだ。

樺南県土龍山郷桃源村の李オクジャさんは一週間前に餅粉を轢いてソンピョンをこし らえ、飴まで煎じておいた。 長男の嫁が今の若い人々は飴なんか食べませんといっ て引き止めても、固執は大変なもの。 威海にいる二番目の子が 4年ぶりに孫まで連 れてぞろぞろと帰って来るとの知らせを聞いた後は、眠りもそこそこに過ごす李ハル モニだ。 まだ息子の帰って来る日が遠いというのに、村の外れのバス停へ二回も出 迎えに行って来た。 嫁が、そんなことをして風邪でも惹いたらどうするのかという と、‘そんなこといってて子供達がぞろぞろ帰って来たらどうするの'といい、二番 目の子が偶然に早く帰って来るかも知れないというのが李ハルモニ自身の予測だ。 子どもたちが帰って来る家々で、正月に迎える再会を控えて浮き足立っている時、子 どもたちの帰って来る約束がない家々の老人たちの顔には心配ばかりが滲んでいる。

樺南県明義郷永昌村にいる李さんに、今年には子たちが帰って来るのかという問いか けると、ため息が先に出て来る。去年にも沿海都市に出ている子たちが帰って来るだ ろうという期待に、ある日より正月料理をふんだんに準備したが、待っていた子ども たちが帰って来ず、正月の朝にせっかくの沢山の食べ物をごみばこに捨て、門外不出 になったという李さんは、近付くお正月がとても辛いと言う。 勃利県杏樹郷杏樹村の金さんに、韓国から帰って来た息子が一緒にお正月を過ごし て行くのかと問うと “何も言わないで下さい。お正月だけでも一緒に過ごして行くのかと密か に望んでいたら、逃げて行ってしまったよ。お金のことしか興味のない子供がまた行くというのなら、 帰って来るなといいたい"といいながら、息子がビザを受けて 3日後に韓国へ旅立ったというのだ。 それではどうやって正月を過ごすのかという問いに、金老人は往復旅費がいくらかかっても、 深にいる娘を訪ねると言う。

今、村々では子どもたちが正月に家に帰って来る見込みがないため、沿海都市へ子どもたち を訪ねて行く老人たちが増えている。 沿海都市にいる子どもたちが長道に発つ親が 心配だと引き止めても ‘いいや、私は行く'といって立ち去る。 待ちわびた挙句、 人情に飢えた老人たちは子どもたちを訪ねて行く道中に待ち受ける 不便や疲れは眼中にない。 一日でも早く子どもたちの顔 を見たくて可愛い孫たちを抱いて見たい欲望が老人たちを旅立ちへと誘う。 節日には子どもたちが帰郷して両親に礼を捧げた風俗が逆転し、今は親たちが 離郷して子どもを訪ねるのだ。そして今、長距離バス停や汽車駅では、多様な包みを担いで 沿海都市に旅立つ老人たちの姿が数多く見られる。 国内に子どもたちのいる老人たち はそれでも子どもを訪ねて行けるが、子どもたちが外国に行っている老人たちは毎日 電話だけに気を配り、座って毎日毎日寂しくなる心を慰めている 状況だ。 その飢え、村に唯一に残っていた友達が一人二人と子供に会いに行くと去って行くので、 話友逹に酒飲み友達までいなくなってしまうのだ。 しかし外国にいる子どもを訪ねることも 出来ない老人たちは弱り目に崇り目だ。

10余りの村の老年協会長を訪ね、村にいる独居老人たちや寂しく 過ごす老人たちを対象に、どんな準備をしているのか調べると、多くの老年協会で 寂しい老人たちのために水餃子を含む正月料理を 準備したり、正月に協会で老人たちが集まって食べ物を新調し、孤独に過ごす老人たち と一緒に一日を過ごそうと思うという。 ある村では子どもたちが帰って来ない老人たち が何軒か集まって一緒に正月を過ごす計画もしていた。 不幸中の幸いかも知れない。

正月はどんどん近付いて来る。 一年一年延ばしていて、ある日か急に舞い込んだ訃報 を受けて駆け付け、両親の霊前に跪き、自分の親不孝を責めたところで、 何の役に立つだろうか? ただの一日でも良い。 故郷に行こう。 故 郷に背を向けて非情にも立ち去ってしまった人々のために、一瞬にして独りぼっちになってしまった 老人たちだ。 夜遅くまで、もしかしたら思いがけない朗報でも繰るのではないかと痛々しく待ち くたびれた両親たちの寂しい胸を暖め、離別の痛みを治してあげられる 人は、ただ親を持つ子どもたちの責任であり、義務なのだ。

(黒龍江新聞 キム・ドンギュ記者 2006年1月20日)
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