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[文化] 私たちの魂が籠る私たちの民謡を長く歌うことが夢

延辺チーム応援歌《熱狂の世界》を熱唱した延辺群衆芸術館の伝統民謡歌手・全芸菁さん



去る9月12日、延吉市人民競技場で延辺チームの競技が繰り広げられた日、競技の休み時間に力強い応援歌が鳴り響いた。それが延辺チームの応援歌《熱狂の世界》であった。 延辺群衆芸術館・全芸菁歌手の熱唱で、この日の競技場は一時、熱い応援の熱風で沸き立った。

先日、記者と会った全芸菁さんはその日の熱気を再び思い出し、安堵の息を吐き出す。そして、用心深く一言発した。

“ああ、二度とこの応援歌を歌えないことになるかも知れなかったんです。”

話を聞くと、応援歌《熱狂の世界》は昨年末、全芸菁さんが芸術学校後輩たちの自作曲なので、延辺チームの応援歌として歌ってほしいと頼まれたものだった。

訴求力が強く、パワフルな声でなければならない激情的なメロディと力強い歌詞、全芸菁さんこそが似合うものであった。 延辺チームの選手たちに少しでも 応援を加えたくて作られた歌というので、全芸菁さんも快く彼らを支援した。 ところが、実際に録音を完了した時、昨年、延辺チームは降格という胸の痛む現実を目の前にしていた 悲運の時期であった。 低調だった雰囲気を理由に真心込めて準備した応援歌《熱狂の世界》は、一度も公開されることなく、そのまま埋もれてしまうほかはなかった。

“歌が世に出る前に噂もなく埋められてしまったものを、今年再び歌うことが出来るようになるとは、夢のようでした。”

普段、サッカーファンでもある全芸菁さんは、自身の声で私たちのチームの選手たちに勇気を奮いたたせることが出来ることを大変大切な機会と考えた。

“もしかしたら永遠に埋められてしまうところだった風前の灯のような応援曲を世に出すことができて嬉しかった”として、全芸菁さんはその日の熱気をもう一度脳裏に思い出させた。 全芸菁さんは“歌も良かったが、より一層嬉しかったのは、今年、延辺チームが甲級リーグ優勝とスーパーリーグへの進出”を果たしたことだと率直に告白した。

歌手・全芸菁さんとは?

さっぱりした声で現代音楽を多く歌い、知られ始めた全芸菁さんは、実は伝統民族声楽を専攻した芸術大学出身だ。 幼い頃から歌に格別な才能があった全芸菁さんは、 《双葉》の頃から格別だった。 童謡が似合うはずの年齢でも、成人曲だった《つばめが帰ってきたよ》をしばしば歌った。そして町内の漢族の友達にもこの歌を教えてやり、 歌に愛着を持った。 年齢に似合わなかった《若年寄り》のような彼女の技と声を発見した延辺大学芸術学院・全花子教授は、彼女が12歳の時から直接歌を教えてきた。

教えにおいて誰よりも厳格だった師匠の姿を見て習った全芸菁は始終一貫して歌手になりたいという夢を捨てなかった。

“私も誰かに教授様から受けた通りの立派な教えを施すことが出来る人になれたら大変嬉しいと考えました。”

大学卒業を控えて、彼女の同窓生は仕事場探しに頭を痛めた。 同じく悩んでいた24歳の全芸菁に《運命》のように現れた《夢》の職場こそが、現在の延辺群衆芸術館だ。

“歌手としての本性を残らず発揮しながらも、大衆と共に呼吸することが出来てとても幸せです。 彼らと近くで顔を突き合わせ、彼らが望む音楽を教え、私たちの民謡を さらに知らせられる絶好の機会ですから。”

群衆芸術館で大衆を相手に活発に開催する無料音楽養成コースは、歌を思う存分歌いながら、そのように望んだ教えを施すことを全芸菁はかけがえのない機会だと大切に思った。

老人、学生、障害者、ひいてはその他の民族まで…彼女は朝鮮民謡を習いに群衆芸術館無料養成コースを訪れる学徒は老若男女を問わず同じように暖かく接した。

“私たちの民謡に愛着を持って第一歩を踏み出す彼らには、いつも感謝の気持ちで丁寧に教えています。 ”

フュージョン音楽が日増しに増え、人々の音楽に対する追求が大きく変わる中、無視されている私たちの民謡を守れる小さな火種を全芸菁さんはこのようにしてでも守りたいという。

“誰かに教えるためには、自身も学習を怠ってはいけない”というのが、全芸菁さんが固執する教えの鉄則だ。 そして彼女は教えも一種の楽しい学習だという。 そして彼女は、時間のあるたびに音楽理論を掌握し、毎年冬には何としても時間を作って韓国の西道民謡の権威者・兪智淑先生を訪ねて行き、さらに多くを実らせながら 教えを受けるという。

一人多役の万能エンターテイナー

歌手として入団した全芸菁さんだったが、誠実な努力と責任感で彼女の無限の可能性を発見し、延辺群衆芸術館の指導者は一度、彼女に歌手でなく司会者として出る機会を与えた。 もともと朗読すら一度もしてみたことがなかった全芸菁さんは頑なに拒否した。しかし執拗に勧められるので、仕方なく彼女は一度してみることを決心した。

歌う時を除き、初めてマイクをつかんだが、団体の名誉に泥を塗ることは出来ないという責任感で夜を徹して話術の練習をした。 時間と努力は裏切らないというが、 初めての挑戦ながら、彼女のなめらかな進行は大いに好評を集め、現在の群衆芸術館の行事はもちろん、様々な団体の行事を引き受けながら歌手兼司会者としての技量を磨いている。

もちろん歌手としての栄誉も光った。 今年8月、内モンゴル・オルドス市で開かれた第10回全国少数民族運動会民族大聯歓に、全芸菁さんは朝鮮族唯一の代表歌手として 舞台に上がり、《延辺人民、毛主席を熱愛する》を歌い、天下に朝鮮族を知らしめたかと思えば、全国少数民族声楽コンクールで金賞を獲得、全国少数民族文芸公演、 中国音楽学院音楽会、延辺TV旧正月文芸夜会の舞台に数回上がって《香水》《延辺賛歌》《故郷の山川良く》《宿命》《私の愛》《君は分からないだろう》などの代表曲を 歌って延辺の《新星》歌手として浮上している。

色褪せて行く私たちの伝統民謡を生き返らせたい

“現在、大衆の間で良く知られていない西道民謡をはじめとする伝統民謡が無視されている現実がとても悲しいです。 重くて情緒が沈むような風格の西道民謡は、 軽快な歌の音調に比べて人々があまり好まないですね。”

しかし、全芸菁さんは長い間、先祖から伝えられて来た私たちの声を絶対忘れてはいけないとし、伝統民謡の根は韓国語の歌を残してくれた重要な部分だと強調した。 そしてまもなく延辺州文聯傘下に延辺伝統民謡協会が設立されるという嬉しい知らせも伝えてくれた。

毎度派手に舞台上で登場した全芸菁さん、彼女の念願は意外にも素朴だった。

“私の夢は有名なスターになることでもなく億万長者になることでもありません。 人々の拍手喝采を受けて、私たちの魂が込められた私たちの民謡を長く歌うことです。 さらに多くの人々がそのような私たちの歌を愛し記憶するならば、それより嬉しいことはどこにもないでしょう。”

(吉林新聞 2015年12月4日)
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