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[教育] 延辺の衰え行く日本語教育の熱意、《新しい春》はいつ来るか?

33年間日本語講義をした石梅教員の苦悩-日本語教育このまま消えるのか?

延吉市13中の石梅教員:延辺州、数百人の日本語教員が流失

○延吉市の朝鮮族中学校、日本語教員10人前後

○英語を習った朝鮮族の学生たち、大学入試、就職時に他民族に対する強みなし

○他の人々が手を離した今が、日本学習の最適な時期




去る4月末、延吉市公園小学校で開催された延辺州朝鮮族学校校長講習交流会議で、一つの特殊な公開授業があった。

延辺州の中学校日本語学科先導者、州級日本語基幹教員である延吉市13中の石梅教員(54歳)の公開授業に続き、彼女のこれまで33年間の日本語教育の生涯を回顧する 席が用意されたのだ。

《はじめまして》を主題にしたこの日の公開授業には、13中1学年の学生たちの朝鮮語、漢語、英語、日本語など4種類の言語による自己紹介で始まった。石梅教員がPPTの製作と 音楽を導入して楽しい雰囲気の中で進行された授業の過程で、学生たちが見せた才覚あふれる円熟した日本語水準は、会議に参加した延辺州教育部門の責任者と 朝鮮族学校校長など100人余りの参加者の熱い拍手喝采を受けた。

その原因を調べてみると、延吉市内の他の朝鮮族中学校では、日本語を毎週1時間ずつ授業するのに比べ、13中では金哲校長の主導の下、日本語を《特色科目》に選定して 毎週2時間ずつ教えていた。

70、80年代に出生した朝鮮族のうち大部分が日本語教育を最少なでも6年(中学、高校)ずつ受けており、ある程度、日本文化の影響を受けた。10年経てば山河も変わるというが、 2003年から完全に英語に偏り、80、90年代の朝鮮族学校を風靡した日本語教育のブームは冷め、《風前の灯火》の運命に瀕している。ところが、朝鮮族の学生たちは 大学入試や大卒後の就職時、英語り水準面で他の民族に比べて特に高いわけではない、と会議に参加したある教育関係者は述べた。

日本語教育の《全盛期》と呼ばれる90年代中盤まで、延吉市5中に勤めた石梅教員の回顧によれば、当時、延吉市のほとんどの朝鮮族中学校は学年ごとに学級数が10クラス前後、 そのうち日本語を第1外国語として選んだ学級は7、8クラス程と、英語に比べて絶対的な優勢であり、農村の学校には英語を教える学級が殆どなかった。

ところが、90年代後半から教育主管部門で、世界共通言語である英語教育を重視し、延辺州の日本語教育の熱意が急速に冷却化し始めた。 朝鮮族中学校の若い日本語教員は、 国内沿海地域の日本企業あるいは日本に大挙進出、日本語教員たちは《老齢化社会》に突入、延吉市13中の場合、現在在職中の3人の日本語教員が全て50歳以上で、延吉市の 他の学校も50代が中心、人数は10人ほどだ。

日本語専業大学の卒業生も沿海地域の日本企業進出をまず選んでいるりで、何年か後に現在の50代教員が退職すれば、日本語教育の世代が断たれるかも知れないとし、 石梅教員は日本語教育の熱意が衰えていく残念な現実に、大勢の流れを個人の力で防ぐことが出来ず、手のつけられない状態だと嘆く。

現在、13中の場合、1-2学年のみ日本語を教えているので、一つの学年に6つの学級、それぞれの学級の学生数は30人未満だ。 学級数と学生数が90年代中盤に比べて それぞれ半々に減った。 日本語教員2人と生物科目を教える教員1人が2つの学年、12の学級の日本語教育の責任を負っている。

長年の間、国内の日本語学術交流会議に何度も参加した石梅教員は、大連と上海、江蘇、浙江など日本と経済交流が活発な沿海地域では日本語学習熱が今でも非常に高いのに比べ、 朝鮮民族には日本語が書店の「その他の言語コーナー」で捜さなければならない程に無視されていると眉を顰めた。

2002年、長春で開催された《中国教育学会外国語教学専業委員会第2期日本語学術年会》で石梅教員の論文発表が終わった後、国家該当部門の責任者が彼女の手を 握って《朝鮮族の絶対的強みになっている日本語をなくしては絶対にならない》と激励してくれたことを振り返る石梅教員の目じりには熱い涙が溜まっていた。

公開授業の当日、花束を持って祝いに駆け付け、流暢な日本語で自己紹介をする20、30年前の弟子を眺め、石梅教員はこのように語る。 《1994年に延吉市5中で私が全州日本語公開授業をする時、州全体で300人余りの日本語教員が参加した。その時の盛況が、いつになったら再現出来るのか?》 石梅教員の話を聞く弟子たちの心は、裂けるように痛んだ。

しかし、石梅教員は《今、日本の安倍政府の誤った歴史認識により、中日2ヶ国の間には障害が置かれているものの、一定の経済文化交流と合作はそのまま続いており、 また、長い目で見れば中日関係の正常化も必然的に回復するはずとし、他の人々が皆手を離して諦めている今こそが日本語を習う最適な時期ではないか?》と 青少年の学生たちと父兄に日本語を継続して習うことを推奨した。

平凡な日本語教育第一線として30年余りの間、延辺の日本語教育の過程全般を見守り、1000人余りの弟子を養成した達成感、幸福感よりも、日によって萎縮して行っている 日本語教育の現況は非常に残念とし、顔を曇らせる石梅教員。彼女は今日も日本語教育に花が咲く《新しい春》が宿ることを指折り数えて待ち望んでいる。

(吉林新聞 2015年5月8日)
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