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![]() [社会] 朝の公共バスと老人 延吉は小さな都市だが、朝の公共バスを利用した出勤の道中は常に混雑する。 道をいっぱいに埋める自家用車の時代になったが、 あたふたと時間を合わせて公共バスに乗らなければならない私のような民衆も少なくないようだ。 公共バスに途中から乗らなければならない位置に家があるため、常に乗るのが負担になる。 出入口付近にばかり立って不動の 姿勢でいる乗客たちのため、バスに乗るのが非常に困難だ。 出入口ではそれ以上座る席がなく、交通カードだけとって後ろから 乗らなければならない延吉式《後門取引》も日常茶飯事だ。 出勤途中、公共バスが人々で混み合うと、朝から皆ノ不快指数が高まり、神経質になり、些細な摩擦と言動に、ややもすれば顔が 赤くなる。 ところで、いつの頃からか、朝の公共バスで、老人たちが不特定多数の厳しい視線を受けることが多くなった。 バスの運転手は、遠慮のない老人たちが朝から、大して忙しくもないくせに混雑するバスの乗客に混じって混雑を増幅していると 不平を言う。 老人たちが車に乗れば、礼儀として皆が老人に席を譲らなければならないという利己的な被害者意識も老人たちが 朝のバスに乗ることを快く思わない原因になるようだ。 先日、あるメディアでは、老人たちがただでさえ混雑する朝のバスに搭乗して、出勤途中の交通をより一層混雑させているとしながら、 老人たちが朝外出することは自制するべきだと暗示する、笑えない記事まで出て来て、読みながら複雑で息苦しくなることもした。 朝のバスに老人たちがたくさん乗る原因は、早目に健康体験館へ行ったり、商店街の最初のお客への販促行事などで優遇を受ける ためだという。 それなら老人たちが朝から早く外出することは誤ったことなのだろうか? 老人たちが聞けば、非常に寂しがるだろう。 朝の公共バスを頻繁に利用する出勤族や学生や商人でも、バスに乗って行く理由が、老人たちの朝のバスにどうしても乗らなければ ならないという理由よりさらに切迫して重要だとは思いたくない。 多くの市民の外出は、せわしい生業と日常のため、そして 生きていく日常の限りない反復での連続であるだけのことだからだ。 老人たちも、一生を駒のように回って走りながら、家庭と社会、さらに国のためにある時期を犠牲にして苦労して生きて来た。 今でこそ老人たちが後に退き、国と社会のための仕事からは手を引いているが、今は本人と家庭のための健康維持と、些細に 見えても老人たちには重要で必要な仕事であり、老後の日常を求め享受する権利がある。 私たちの社会は、老人たちのこうした 老後の日常を積極的に支援し、理解するべきだと思う。 実際のところ、公共バスが混雑するのは、老人たちが少ない夕方の帰途でも同じことだ。 出退勤の時間帯に交通が混雑するのは 乗客が集中し、バスに乗れば他人のことには無関心で出入口にばかり陣取って立っている誤った市民意識の結果であり、 一緒に公共バスの発車数を特定の時間帯に増加することが問題であって、決して朝外出する老人たちのせいではないのである。 老人たちがもはや《石垣を積み終えて、残った石》になったからと言っても、社会的に負担になる存在ではなく、彼らが成し遂げた富と 各種の便利の享受を有り難いと考え、感謝しつつ、老人たちの老後の日常を尊重し理解する努力が必要だと思う。 (吉林新聞 2013年3月14日)
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