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![]() [社会] '中・日・韓コーディネーター'在日朝鮮族・張景子 "東北アジア平和産業の第一線で献身したい" 大学講師、アナウンサー、放送製作者、TVタレント、通訳、国際問題評論家、企業家、作家志望生…" 日本の東京で最も忙しく暮らしている人の中の1人である在日朝鮮族・張景子(45)(株)JCKフレンズ代表。 吉林新聞の 呉キファル記者の助けで、'多チャンネル活動家'の彼女と、数回試みた挙句、7日に通話に成功した。 声が30代初めのように若く、 力があふれる感じだ。 東京で通訳として、放送人、大学講師、企業家などとして活動する在日朝鮮族・張景子、(株)JCK後レンズ代表。 張代表は、韓国、 中国、日本など東北アジア領域内の国家間理解増進を通じた関係改善の先頭に立つとして、3ヶ国の英文名イニシャルを組み合わせた (株)JCKフレンズ(日本・中国・韓国の友人)を設立、国民間の友好協力と相互理解の必要性を強調するなど、 '日・中・韓コーディネーター'の役を買って出た。 "八方美人の如く8つの職種を行き来するスーパーウーマンなので、健康を省みる時間がない"と心配する人々の声に"十分な睡眠と 徹底した運動時間の配分を鉄則としているので大丈夫"と言って豪快に笑うがむしゃらな女性だ。 放送出演や行事司会などの交渉要請が絶えないが、'すべての根本である健康'のため、一日8時間中に出来ることだけを選び、残りは きっぱりと断るのだという。 彼女は多国語(韓・中・日本語)に長けており、日本の総理級要人の通訳を担当して来た。 韓日水産会談の日本側通訳として、 50回余り訪韓もした。 通訳と放送出演だけでも、非常に忙しく見える。 それでも張代表は、領域内の国家間理解増進を通じた関係改善の先頭に立つとして、3ヶ国の英文名イニシャルを組み合わせた (株)JCKフレンズ(日本・中国・韓国の友人)も設立した。 '日・中・韓コーディネーター'の役を買って出た背景が気になった。 "中国と日本、また、韓国と日本が領有権紛争のため、関係が日増しに悪化しているという現状を残念に思いました。 3ヶ国ともに 有益なことを幅広くしてみたいという考えで、JCKフレンズを作ったのです。" 活動初期には通訳・翻訳、映画・演劇ナレーション、言語教育などに注力した後、中長期的には出版と人的交流等を通して相互理解の 幅を広げるという目標を立てた。 3国国民間の友好協力と東北アジア平和の核心は相互理解、すなわち立場を替えて思考する精神 であるからだ。 "そのためには何よりも言語の疎通が重要です。 それで、国際交流の第一線で活躍する専門担当者に中国語、韓国語、日本語を教える 言語学院'JCK話音'も開きましたよ。 それでも私が持つ様々な種類の名刺の中で、'中・日・韓コーディネーター'に最も愛着が あります。" 張代表は、フジTVの'新報道2001'、朝日TVの'TVタックル'、日本テレビ'太田総理'等の人気番組にいつも出演し、 国会議員や専門家たちと東アジア問題について討論することを楽しむ。 そのたびに彼女は"東北アジアの平和を構築する産業の 第一線に私の全てを捧げる"と強調する。 吉林省・延吉出身である彼女は、1986年延辺朝鮮族自治州文科生首席で、北京外国語大日本語学部に入学した。 在学中、 校内および北京所在の大学生対象の日本語競演大会で1等をとり、全国大学生日本語競演大会の司会を担当するなど、日本語 分野で輝く金星だった。 1990年に卒業後、国際放送国日本語アナウンサー兼翻訳家として仕事をし、1997年日本に進出、東京大学で修・博士課程を終えた。 1992年には直接製作した放送プログラムである'北京10元 タクシー現象'が'全国報道賞'に選ばれた。 1995年5月、中国経済戦略訪日代表団が訪日、当時の羽田孜総理を表敬した時、通訳を受け持つなどベテラン通訳者として知られ、 王毅・外交部アジア局長が江沢民国家主席と李鵬総理の通訳を受け持ってくれとして外交部の特別採用を提案して来たこともあった。 張代表はこれについてしばらく迷ったが、自分だけの人生価値を創造・実現したいと思い、1997年、日本行の旅客機に乗った。 現在、立教大学言語文化科兼任講師としても仕事をしている。 (黒龍江新聞 2013年2月8日)
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