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[社会] 河北省唯一の朝鮮族村・西河南村、休暇生態村建設に総力


▲西河南村内の入口に立てられた朝鮮族村の看板

河北省秦皇島市内から車で1時間程のところに西河南村という朝鮮族の村がある。 撫寧県に属する西河南村は、 村全体が漢族の町にぐるっと囲まれ、バスが過ぎ行く大通りすらもない小さな町だが、朝鮮族の民族風習と文化を守り、 朝鮮族の民族学校を運営している自慢の故郷だ。

西河南村訪問は偶然だった。 個人的な事情で秦皇島市へ行き、朝鮮族の村へ仕事をしに行くというある知人の話に私も いつの間にかついて行った。 河北省に朝鮮族の村があるとは、考えてもいなかったので、好奇心がどんどん涌いたのだ。

バスからおりて漢族の町を経て村の入口へ入り、まるで小さなお城のようだという感じがした。 路地一つを挟んで、 漢族の町とガラリと変わり、朝鮮族の民族特色が漂っていた。 過ぎ行く人ごとに朝鮮語を使っており、白衣民族の根拠地 らしく村の環境がさっぱりしてきれいだった。 家々の塀の中には真っ赤な唐辛子の束がふさふさとぶらさがっており、朝鮮語で 書かれたプラカードも村の路地でいくらでも見られた。 何よりも四、五人の青年が町内の路地で朝鮮語で話し合う姿には 驚かされた。 最近、朝鮮族の村で若者たちを見ること自体が、日照の中で豆が発芽するほどに滅多に見ないことであるし、 '奇異な'風景に違いなかった。 そのように村をひとまわりした後、知人の助けで村の林宗吉書記に会うことが出来た。

紹介によれば1939年、朴氏性を持つ二人の朝鮮族兄弟が稲の種子を持ってきてから、朝鮮族がこの町に集まり始めた。 当時、 ここに来た兄弟は、ある地主から200畝の土地を購入して米作りをしたところ、豊作をおさめ、その後東北3省から30戸余りの 知り合いが集まったという。 その後、1952年から1959年の間に東北3省や内モンゴルなどの地から多くの朝鮮族村民が移住 してきて、現在、村は140戸に454人の村民、そして1110畝の畑がある。 だが、朝鮮族の外地外出ブームはここでも例外では なかった。 現在、村に残っている村民は60人余りにしかならず、ほとんど老人ばかりとなっており、畑を耕している家は 一つもないという。 幸い、北京、天津などの地から距離が近いので、休暇の時や週末になれば故郷に帰って来る若者たちが 多く、それなりに活気があると林宗吉書記が紹介した。 そして、村に畑を扱う家は一つもないが、まだ畑を売ったり流失 した家もなく、戸籍上では他民族は一戸も受け入れていないと紹介した。

学校は学生枯渇問題で5年前から漢族学校と合作して経営しているが、依然として朝鮮族学校という看板を掲げており、 校長先生も朝鮮族だと紹介した。 100人余りの学生のうち、朝鮮族の学生が4人、学校では漢族の学生たちに韓国語科を設置 して教えているという。

林宗吉書記は“現在、村を朝鮮族民俗休暇村として建設するために現地政府の大いなる関心と支援の下、内容の充実した 準備をしている”と紹介した。

西河南村は河北省唯一の朝鮮族村であり、観光開放都市である秦皇島市の地理的な強みと政策をうまく利用して朝鮮族の食べ物、 文化など優良な伝統風習を添えれば、多くの観光客の足を引きつけることが出来るという野心に充ちた計画だ。

将来、村を住宅区、学校、食べ物、娯楽施設を一体化した新しい根拠地に移転させ、民族生態休暇村として新たに出発するために 総力を挙げるという林宗吉書記は、“村は北で京山鉄道と京津道路および国道205号線と隣接しており、企業家に多くの便利を 与えるだろう”として、“朝鮮族たちと韓国をはじめとする内外の投資業者が西河南村を訪れて欲しい”と語った。/延辺日報

(黒龍江新聞 2012年9月12日)
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