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[社会] 内モンゴル草原の唯一の朝鮮族郷55周年

内モンゴル草原の唯一の朝鮮族郷55周年



内モンゴルの青い草原に一輪の美しいチンダルレのように内モンゴル自治区内に二つとない朝鮮族郷がある。 それが呼倫貝爾市 阿栄旗(県に相当)新発朝鮮族郷だ。

9月19日-20日、青い草原で白いご飯を食べる暮らしやすい故郷として噂の新発朝鮮族郷は、郷設立55周年記念行事を盛況裏に行った。

青い草原で白いご飯を食べる村

新発朝鮮族郷は1956年、内モンゴル自治区の批准を経て正式に設立された。

当時、新発朝鮮族郷の他にも科右前旗の三合朝鮮族郷と古城朝鮮族郷があった。 その後、1958年に人民公社化を 実施、内モンゴル自治区のこの3つの朝鮮族郷は全て消え、人民公社に改編された。

10年に及ぶ文化大革命が終わった後、1984年、新発朝鮮族郷は回復したが、残り二つの朝鮮族郷はついに歴史の 1ページに消え、新発朝鮮族郷だけが内モンゴル自治区で唯一の朝鮮族郷になった。

新発は新しく発展するという意味

記載によれば、朝鮮族が初めて阿栄旗に定着したのは1930年代だという。 当時、牡丹江地域の朝鮮族が最初にここへ 移住し、荷物を解いて生活の基盤を用意し始めた。 その後、1948年、150戸ほどの牡丹江の朝鮮族と1949年−1954年に 黒龍江省の甘南と龍江地区の朝鮮族1000人余り、そして最後に1954年、内モンゴル通遼新興農場の40世帯ほどの朝鮮族が ここへ移住し、現在の新発朝鮮族郷の主骨格が出来ることになった。

新発朝鮮族郷の耕作地面積は12万 5000畝、そのうち田畑面積が1万 5000畝に達する。 東北の農地開墾の歴史と同様、 ここの田畑も現地の朝鮮族の血の滲むような努力と切り離すことは出来ない。 ここに移住した朝鮮族農民は、二つの拳で 阿倫河に沿って荒地を耕し、田畑を一つ二つと作った。 このように稲作を全く知らずに生きてきた当地では、 朝鮮族が秋に収穫して新米で作った美味しそうな香り高い白いご飯を見て、珍しがりはしたものの羨むことはなかった。

改革開放以前まで、稲作は朝鮮族農民の主要経済源であった。 彼らは米を売って子供たちを勉強させ、日常生活を作り 出した。 その後、外国の風が吹き、出稼ぎが主たる収入源に変わってしまった。

東光村だけ見ても、田畑が3000畝があるにもかかわらず、現在、稲作をする朝鮮族は2戸しかなく、残りは他の民族が営んでいた。

兄弟民族が仲睦まじく集まって住む所



1956年に設立された新発朝鮮族郷は、傘下に7つの行政村を置いており、その中に東光村と新発村の2つの朝鮮族村がある。

現在の朝鮮族人口は約1000人ほど。 1970年代、朝鮮族人口が最高に多かった時は、何と3000人に達したという。 郷には朝鮮族の外にも漢族、モンゴル族、ダフール族、鄂温克族、満州族、回族、シーボー族など様々な兄弟民族が一緒に 集まり、仲睦まじく暮らしている。

55周年記念行事の期間、対外客接待の責任を負った馬姓の副郷長は、ダフール族だった. 副書記を担当するある女性幹部が性格が 豪放なのでもしかしてモンゴル族ではないのかと尋ねたところ、やはりダフール族だといった。

郷政府の様々な部署で仕事をしている朝鮮族は、30代の若い郷長・尹堅民を含め5人ほどであった。 皆、それぞれの仕事場で誰にも 劣らぬほどに実力発揮をしていた。

55年の風霜苦難と一世代ごとに経た苦しい努力を経て、今日の新発朝鮮族郷は内モンゴル草原で民族特色の多い郷として席を占めている。 彼らは朝鮮族郷の経済発展と関連して民族的で民俗的な元素を大量に注入することを一つの戦略としてたてた。

東光朝鮮族村に内モンゴル第一の朝鮮族村を建設するという目標を掲げ、北京で建築設計分野の専門家を求め、民俗観光と関連した 設計を既に終えた状態だ。 朝鮮族老人アパート、朝鮮族民俗礼儀館、500万元を投資した朝鮮族食堂も施工がほとんど終った状態だ。

新発朝鮮族郷の宋ヨンチョル、鄭ミョンファ夫婦が営む朝鮮族の民族飲食店は、阿栄旗の各部門で外地の大事なお客を迎える 指定食堂とも言える場所となり、近隣の大きな町からも朝鮮族の食べ物を味わいにお客が訪ねて来る。

55年の歴史を記録している内モンゴル草原唯一の朝鮮族郷−新発朝鮮族郷、彼らの民族的自負感と故郷建設に対する信念は、 誰よりも高い。 あと5年後、朝鮮族郷設立60周年の時には、さらに発展した姿でここを訪ねるお客を迎えるだろう。

(吉林新聞 2011年9月22日)
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