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[文化] 忘れられたリンゴ梨の先祖木、"修繕作業を重視せよ"


▲果樹園で囲まれこぢんまりした小箕村

2007年に始まった'延辺の春'龍井リンゴ梨花祝祭が18日、龍井万畝果園で行われる。 アジア最大のリンゴ梨生産基地である 龍井万畝果園では、祝祭期間中、多様な民俗活動と観光、文芸公演、リンゴ梨の木分譲などの行事が続き、龍井と延辺を広報し、 リンゴ梨を広報、朝鮮族の民俗文化を発展させて地域経済および社会発展を推進させる上で積極的な寄与をしていると評価を受けている。

ところで玉に傷とも言うべきが、祝祭の主人公であるリンゴ梨の歴史とその文化的含蓄が、祝祭期間中、観客たちの視野に入って 来ないのは残念に思われる。

先日、記者は中国朝鮮族歴史文化踏査チームと共に、龍井市老頭溝鎮小箕村にある延辺リンゴ梨の先祖木と記念碑を見て回り、 その物足りなさをより一層濃く感じた。


▲中の骨組が露出しているリンゴ梨先祖木記念碑と管理がされていないリンゴ梨の先祖木

記録によれば、延辺リンゴ梨は新しい果物品種であり、その開拓者は崔昌浩(1897-1967)先生だ。 曽祖父とともに中国に移住し、 龍井市老頭溝鎮小箕村で暮らした崔昌浩は、1921年、大人たちについて朝鮮の北青へ遊びに行った弟・崔範斗が持ってきた枝を 甕の中に保管し、4月に家の庭で育っていた樹齢2-3年のヤマナシに接木した。 長年の努力を経て、1927年に三株の木に白い花が 咲き実がなったが、果物は梨のように黄色くもリンゴのように赤い色を帯びており、他の梨とは違い、甘くて水分が多く、 清々しく、保存するのも難しくなかった。 当時の人々はこの果物をリンゴ梨と呼ばず、'大梨'などと呼んだ。 1952年、 吉林省果物品種調査チームは'大梨'が確かに新しい品種であることを証明し、果物の名前を'リンゴ梨'と称した。

リンゴ梨は、80年余りの間、延辺各地に広がり、延辺経済の主産業の一つになっただけでなく、中国の3大梨の一つに選ばれる 程有名になり、国内の10省市、自治区に広がり、優良品種として国内外に名を知られた。

リンゴ梨は、延辺の様々な民族・人民、特に中国朝鮮族が延辺を切り開いた成果の一つであり、その先祖木は延辺人民が 大自然との闘争で得た勝利の象徴であると同時に、延辺の経済文化の重要な遺産であり、郷土愛の生きた教科書だ。 これを 記念するため、龍井市人民政府では1987年にリンゴ梨先祖木記念碑を建て、その後の1998年9月25日には延辺州人民政府と 龍井市人民政府が共同で記念碑を建てたが、その時すでに3株中2株は死んでいた。

大部分が老人の村民たちは、該当部門の関心も薄くなり、リンゴ梨先祖記念碑を訪れる人々の足も減ってまた、記念碑と 先祖木に対する管理も追いつかず、壊れた塀と風化により無残に中の骨組が露出した記念碑の修繕をどこへ行って訴えれば よいのかも分からなかった。


▲春が来れば90年の古木にも花は咲くのか? 乾いた幹が見るからに痛ましい。

風雨の中に捨てられたも同様に放置されたリンゴ梨先祖木記念碑と、いつ枯れるとも知れぬリンゴ梨先祖木を眺めながら、 2010年5月20日、龍井リンゴ梨花祝祭に見た梨の木王の隆々とした接木を思い出す。

水を飲む時には井戸を掘った人のことを忘れるなという諺がある。 私たちが甘いながらもすっきりしたリンゴ梨のおかげで リンゴ梨花祝祭で国内外の観客たちを吸引出来るのは、かつてリンゴ梨の栽培をやり遂げた崔昌浩先生と、また、1951年に 帽児山の麓に万畝果園の場所を確保し、果樹農場を作らせた朱徳海州長の業績があることを忘れてはならない。

今回のリンゴ梨花祝祭の期間、万畝果園はもちろん、老頭溝鎮小箕村に位置するリンゴ梨先祖木とその記念碑、そして 延吉北山に位置する朱徳海記念碑にも観客が足が向くことを期待したい。

(黒龍江新聞 2011年5月16日)
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