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![]() [社会] ただ更新だけが唯一の活路 ハルピン市の路地をぶらついてみると、朝鮮族の飲食店を処々で見かける。不完全な統計によれば、今、 ハルピン市には 100軒余りの朝鮮族飲食店があり、道里区だけでも 40軒余りがあるという統計が出ている。 飲食店ごとに固有の朝鮮民族料理の特色をいかし、顧客を魅了しながら日に日に自分たちの立場を高めている。 そして朝鮮族の食文化が漢族にも受け入れられ、その根はタコ足のように拡がっている。 実にこれは誇りに違いない。 しかし残念ながら、朝鮮族料理店に避けて通れない問題点が存在しているのも事実だ。 ハルピン市で '高麗園'と言えば朝鮮族はもちろん、漢族も認める所だ。 '高麗園'がどんな秘訣で今日まで来たのかと いう問いに、李ソンビン部門経理は "料理店の一番重要な理念は、顧客管理をどんな方式でするのかに成否が かかっている" と語る。 '高麗園'では顧客管理登記簿を作り、得意先が半月来なければ電話で顧客が '高麗園'へ 来ない理由を問い合わせ、顧客から意見と建議をしっかり聞いて、顧客の意見に従って改造と措置を行うというもの だった。 李経理は "今の飲食業とは、食べて飲む場所だけではない、食べ物と文化娯楽が結合した舞台にならなけ ればならない"と述べた。 顧客と事業主が心から近くなる時だけが経営を論ずること出来るというのが李経理の一家 見だ。 今、北京の飲食店には '小言の多い顧客'を招聘とあるかと思えば、 '監督サービス員'がいて顧客の過消費を 阻み、さらには一つ一つの野菜に含まれているさまざまな栄養含量を詳細に紹介して糖尿病がある顧客たちに甘いも のを避けるようにし、血圧が高い顧客たちに塩分が多い食べ物をなるべく食べないようにする専門家サービス員がいた りする。 どれもが事業主と顧客間の障壁を崩す作業だと言える。 そして顧客が顧客の範囲を逸脱して、事業主と同 業者になったりする。 高麗園とその他の飲食店で独特の経営方式で顧客たちを引き付ける時、ハルピン市にある一 部の朝鮮族飲食店では旧態依然とした経営方式で走り回りながら変わることができず、去年行った時もそのまま、今 年行って見てもそのままだった。 収入不振の飲食店では創始期の経営範囲から脱出することができず、在来の考え 方で走り回りながらもがいている。 今は誰もが空腹感を満たすために飲食店を訪ねる顧客が少ないと思わなければな らない。大部分の顧客が文化性を帯びた娯楽やストレス解消のために飲食店を訪ねる場合がほとんどだと言っても過 言ではないだろう。 これは私たちの飲食業者たちが顧客の文化的要求にかなう環境を作らなければならないという信号だ。 そのために は、環境はもちろん食べ物の味とサービスが日によって変わる顧客たちの志向に歩調を合わせ、随時に変わらなけ ればならない。日ごとに季節ごとに顧客たちの心理と追求にどんな変化が生ずるのかについての超越した意識が必 要だ。 したがって年齢はもちろん、いろいろな民族に相対する雰囲気とサービス条件を備えなければならない。 自分 の特色だけいかすという経営モデルだけに固執して、同化されてはならないとばかりに垣根を張りめぐらしていると、す べてが枯渇するかも知れないのだ。 道里区にある 'アマニ焼肉店'は、主人が漢族だが、入って行って見れば家の飾りや従業員のサービスに至るまで 朝鮮族の味がぷんぷんと漂い、食べ物も小綺麗だ。 これは朝鮮族にとって一つの挑戦であり、危険信号、警鐘だ。 少なからぬ朝鮮族飲食店では町外れの居酒屋でマッコリなどを売っていた、そんな旧態依然とした経営モデルから 脱することができないのも否定出来ない現実だ。 一日一日、崩れていることも知らずに、自我陶酔に陥っていると、 いつの日にかこの都市から出て行かなければならない破局を迎えるかも知れない。 食文化も自主性を土台とする賛 同と参加が続く時にのみ、民族性が価値に変わるのだ。 キムチ、 冷麺、 焼肉なら最高無比のものという落伍した伝 統観念から脱出する時になったという緊迫感を肌で感知する時代が迫っているのだ。 食文化には地域的な局限性はないのだ。 ハルピン市にある朝鮮族飲食店に行って見れば、朝鮮族が好んで食べる辛くて ぴりぴりするチュオタンや、辛いスントゥブを探しても、あまりない。 壮大な計画もなしに今日訪れた顧客の懐だけ狙い ながら、その場限りの商売をしていても、結局は石を持って自分の足を砕いてしまう結末になる。 民族料理のいくつか だけが永遠の資源ではないことを私たちは切実に感じなければならない。 更新と跳躍だけが押し寄せる飲食業は、 市場で生存することができるし調和して共存することができる。 自分の主張だけ立てて意地を張っていても疏外され るだけであり、さらには弾き飛ばされてしまうだけだ。 '高麗園' を含めて今、ハルピンでうまく行っている朝鮮族飲食 業者たちの良い経験と経営哲学で、自分を新しく変えて新年初頭から変貌した姿と '私もやれば出来る'という新し い観念で朝鮮族飲食店で新しいページを開いて行くことを期待したい。 (黒龍江新聞 キム・ドンギュ記者 2006年1月7日)
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