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[特集] 延辺同胞社会に生涯教育の機会を提供

“今日の社会は、一生学ぶことが必要です"

「孝烈・延辺科学技術大学経済学部教授、兼社会教育院院長の最初の一言は簡潔明瞭だった。達弁では ないが、ややゆっくりと、真剣に語る彼の姿に学者らしい姿を見ることが出来た。彼の言葉は人は生まれて から死ぬまで学びながら生きて行かなければならないという意味で “学校教育だけですべての学問を終えた と言っていた時期は過去のことで、新しいことに対する学問を続けなければ今日の社会に付いて行き、先に 進むことが出来ない"と言う意味でもあった。

彼の言葉には、中国同胞社会に対する深い理解と愛情が染み込んでいた。

1989年、彼が金鎮慶総長とともに延辺科学技術大学(以下、科学技術大)に第一歩を踏み出して以来、 歩いて来た道を手探りして見れば、こうした事実はもっと確実になる。 初めて訪れた延辺の姿は今日の現実 とはあまりにも違った。 低迷する経済と周辺環境に心を痛めた彼は、一番先に経済的に自立することが何より 必要だと判断し、そのためにそれなりの考えを実践して行った。

科学技術大が延吉北山街に校舎を作り始める時から参加した創始期のメンバーである「院長は、科学技術大 の生き証人だ。 科学技術大は中国同胞社会の中心である延辺の教育環境を画期的に進め、今日 ‘北山街の 奇蹟'を作った。 特に彼は科学技術大が教育環境の改善だけではなく地域経済の発展をもたらすためには、 理工系中心の大学に経済を組み合わせることが必須不可欠だと判断して ‘経済学部'を作って運営することに 渾身の力を注いだ。 彼は韓国などで有名な経済学の教授たちを連れて来る事に情熱を傾け、その結果、現在、 経済学部には韓国だけではなくアメリカなどの各分野の専門家教授たちがそれぞれに布陣している。

これによって最近、科学技術大経済学部の卒業生は中国全域から招かれるほどに、就業率の高い学部に指折 り数えられている。 彼の予想どおり、中国同胞の経済の発展を進めるための努力が結実し始めたのだ。

このように彼は科学技術大内でも同胞社会に対する理解と愛情を土台にした、しかし相対的に大変で難しい 事ばかりを引き受けて来た。 彼は地域経済の発展のための方案に悩みつつ延辺で活動している企業人たちのため の大学院課程である ‘最高経営者課程'を設置することになる。 この課程は科学技術大内の経済、科学、技術、文学 など各分野の有名教授たちが皆参加して講義し、韓国やアメリカ、日本など世界の碩学や有名企業の最高経営者を招き、 特講を実施する。 来年初には 4期卒業生が輩出され、この課程を軌道に乗せた彼は、再び生涯学問の基盤である‘社会 教育院'を引き受けることになる。

社会教育院は去る 1995年、初めてオープンした。 当初は中国同胞の小、中、高英語教師のための研修プログラムを 運営した。 その後、電算教育クラスを開設して英語、韓国語、ピアノ、経済管理科目の週末学校を始めた。 社会教育 院は発展に発展を繰り返して、現在には年間1500人余りの教育生を輩出する生涯教育の場として位置付けられるよう になった。

社会教育院にも実質的な中国同胞の就業のための IT教育であるコンピューター講習クラスが運営されている。 同時に 韓国同胞たちの中国語講習と漢族と中国同胞のための韓国語課程、そして英語課程が設置されている。女性のための 生涯教育の場として、女性生活科学クラスを設置して運営している。 女性の活動が大きな比率を占める同胞社会で、 「院長が女性生活科学クラスにかける期待は大きい。 それでキムチセミナー、料理講習、登山大会、ゴルフ練習など 多様な教育プログラムを運営して女性社会の変化を導いて行っている。 今後、時期を見て読書教育、生け花、刺繍な どの教育プログラムも追加する計画だ。

彼は社会教育院を科学技術大の財政収入にも充分寄与する機関として作って行っている。

休みを利用した中国語研修プログラムを作り、韓国の姉妹大学の短期研修生たちを委託教育し、企業体の委託教育 と各種の短期課程研修を引き受けて運営しながら、収入も着実に増えている。 これと共に、社会教育院が韓国と延辺 社会で名実共に認められる生涯教育機関として位置づけられて行っているのだ。

彼は受講生に学問のみを与えるのではなく、共にしながら一つになって学んだことを表現し、享受する空間を作る努力 も怠っていない。

毎年春には社会教育院の受講生体育大会を開き、共に走って遊びながら共に生きて行く人々の姿を見せ、秋には社会 教育院の夕べを開催して、受講生皆が参加して学んだことを発表しながら享受する祭りの場を開く。

これまで、大変な事も少なくなかった。 何よりも優秀な講師を確保することが易しくなかった。 科学技術大の人力だけで は不足で、外部から招聘もして、時には韓国など外国から招いて短期プログラムも運営した。 次は受講生を募集する事 だった。 良いということは分かるものの、時間と余裕のない人が多かった。 いちいち捜し回って教育内容を説明し、 参加を勧めて始めた女性科学生活クラスの場合、夕方に講義を終えてからは受講生の安全な帰宅が心配され、 家の遠い人は直接見送ってやったりまでする仕事が茶飯事だった。

今日、中国同胞に至急に必要なことは、文化的な渇きを解消することで、ひいては韓国同胞と中国同胞の距離を狭 める事だと判断した彼は、生涯学習の場の概念に社会教育院の力量を集中して行く計画だ。 今後、州政府と協約 を結んで教育プログラムに対する資格を認めてもらう事業を推進している彼は ‘学ぶことが地域社会の成長と変化を 可能にする'と言う信念で、今日も延辺の成長と変化を直接作って行き、また見守っている。

(黒龍江新聞 2006年1月5日)
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