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[教育] 再度成就出来た母校愛−吉林



母校のための、ある外国籍老人の真心が法院の判決を受けてから真の光を見ることとなった。

71才の李相景老人は、オーストリア・ウィーン国立大学の教授で、現在、オーストリアに居住している韓国人だ。

解放前(1942年) 、舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校で 3年間勉強したことがある李相景は 1988年、初めて母校を訪ねて来た。

その後李相景教授は、何回も母校を訪れ、日本製のコピー機やテレビ、ビデオを学校にプレゼントしたりした。

たまに出すだけの寄贈では永遠に母校の面貌を変えることが出来ないと思った李相景教授は、 長期的に母校に経済支援をするため、店舗を買って家賃として出るお金を学校に回す事にした。

はるか遠いヨーロッパから再び母校を訪ねて来て、当時の李相演(2000年に死亡)校長と相談した。 李相演校長は積極的に賛成した。 李相景教授は吉林市教育学院のカン・ウンサン(1995年に退職)院長 に委託して、吉林市昌邑区に建築面積が 253.92平米に達する店舗を購入した。

吉林市教育学院では店舗を貸し出して病院を立てるつもりで教育学院傘下のヨンジェ学校(現在この学校は 存在しない)の名義で、李相景教授と契約した。 契約書には 5年契約で病院を立て、年間家賃は 7万 5000元、 家賃は全て舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校に回す事にした。

10年間一銭も受けることができなかった母校

李相景教授は今後の母校はすべてがうまく行くだろうといつまでも喜んだ。 しかし現実は李相景教授の思い通りに ならなかった。 1994年から 1996年まで 2年間 6回に渡って家賃を受けたものの、一年の家賃にもならなかった。

悲しんだ李相景教授はオーストリアの駐中国大使館を通じて中国教育省に事実を知らせた。

母校を助けるための一人の外国老人の知性

9月 29日、記者は舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校へ行った。 平屋教室の正門には李相景教授の花崗岩の 彫刻像が安置されていた。 しかし李相景教授の名前にて命名された 《相景園》内の子供遊び場は、 見るも無残に破損され、錆がついた遊具施設だけが置かれていた。 平安小学校のチョン・チョンド校長は、 およそ 10年間一銭のお金も受けることが出来ず、 《相景園》をずっと立てることができなかったと語り、 この 資金さえ調達出来れば 《相景園》はもちろん、学校の環境が随分良くなったはずと惜しがった。

10月 10日、記者は李相景教授の代理人・李ドンジン(吉林省地質鉱山局退職幹部)と電話連絡をした。彼の 話によれば、 1994年、李相景教授と吉林市教育学院が店舗の契約書を締結した後、店舗の使用権を吉林 市教育学院に交付、吉林市教育学院では約一年間の家賃だけ支払って、残りは今まで払わなかったという。 吉林市教育学院で李相景教授の同意を受けずに私的に店舗を第三者であるヨンチャン診療所に回したことは、 全面的に個人的な行為であり、李相景教授の利益に侵害をもたらし、すべての責任は吉林市教育学院にあり契 約を解除して延滞している家賃を全て納めなければならないと主張した。

裏切られた誠意

2004年、李相景教授は吉林市教育学院を法により起訴し、家賃 65万元を交付することを要求した。 吉林市昌邑区法院の一審判決で、ヨンチャン診療所は舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校と家賃を折半に減免すると いう 《補充合意書》を提出した。補充合意書の内容は 《家賃が非常に高く、舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校は家賃 を年 7万 5000元から年 3万 2500元に調節することに同意し、この合意は 1995年 1月 1日から執行する》という ものだった。 李相景教授の代理人・李ドンジンは合意書が偽物であると主張した。 平安鎮朝鮮族小学校は第三 者としてのヨンチャン診療所と合意書を直す権利がないという主張を出した。 平安鎮朝鮮族小学校のチョン・チョン ド校長も《補充合意書》は偽物と証明した。 当時の校長・李相演の名前は漢字で(李相演)、ヨンチャン診療所の 《補充合意書》の李サンヨン校長の個人実印は (李相厳)であり、李相演の娘も個人印は偽物と証明、学校は 《舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校》であって、決してヨンチャン診療所で提供した 《補充合意書》の学校印 《吉林 省舒蘭市平安鎮朝鮮族小学校》ではなかった。 昌邑区法院では、吉林市教育学院が 29万 3750元を賠償せ よとの判決を下した。



1審判決の後、李相景の代理人・李ドンジンと吉林市教育学院では判決が不合理との理由で吉林市中級法院に 控訴した。 吉林市中級法院では事実が正確ではないという理由で、 1審判決を取り消し、再度審議することを要求した。

2審判決で昌邑区法院では、吉林市教育学院は店舗を借りたことにより家賃 65万元と滞納金を納めなければならず、 ヨンチャン診療所は店舗から出て行かなければならないと判決した。

吉林市教育学院は李相景教授と店舗使用合意書を締結しただけであり、店舗を使わなかったし、第三者である ヨンチャン診療所が使ったのだから、当然、ヨンチャン診療所で責任を負わなければならないと主張、ヨンチャン 診療所は吉林市教育学院と合作して病院を立てたのだから診療所では家賃を納める必要がないと主張した。.

10月 30日夕方 6時頃、記者はオーストリアの李相景教授と電話連絡をすることが出来た。 30分間の通話中、 李相景教授は母校で勉強した時間はおよそ 3年にしかならないが母校を思う心は昔のままだと述べ、老齢の教 授として最大の努力をしたが、自分の誠意が完全に伝わらなかったようでとても残念だ、と惜しさを禁じ得なかった。

11月 9日、吉林市中級法院で審判を開いたが、証拠が正しくないとして完全な判決を下さず、延期して判決するとい う結論を下した。

再度成就した母校愛

12月 2日、吉林市中級法院では昌邑区法院の 2審判決を維持し、 10日以内に判決を執行しなければならない という最終判決[(2005)吉中民-終字 第715 ]を下した。

知らせを聞いた記者は 12月 14日、平安鎮朝鮮族小学校のチョン・チョンド校長と電話連絡をした。 十年間の 起訴の末に成功して、非常に嬉しいと打ち明け、一様な心でいつも母校を腹中に残していた李相景教授に 感謝すると述べた。   

(吉林新聞 コ・ソルボン記者 2005年12月24日)
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