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[文化] “12 9”での朝鮮人革命者


▲ <12.9運動> 70周年を記念、延吉市第10中学校では延辺芸術劇場で盛り沢山の文芸公演をした。 チュ・リョンジョン記者

今年 12月 9日は “12.9”学生愛国運動 70周年となる日だ。

1935年、日本帝国主義は “華北(冀、察、綏、晋、魯) 5省連合政府を鼓吹しながらこの地域を中国から離脱させ、 日本の統制を受けるようにしようと試みた。 国民党政府は日本の圧力に負けて 12月初 “華北政権特殊化”に関する 日本の要求に応ずるために宋鉄元らを派遣し、 “冀察政務委員会” 設立準備を始めた。 かくして東北3省に続いて 華北が危ない状態に置かれるようになった。

この峻厳な状況において、1935年 8月 1日、共産国際に駐在する中国代表団は、中国ソビエト中央政府と中共中央 の名義で “抗日救国のために全同胞に知らせる文”(すなわち “8.1”宣言)を発表した。

12月 9日、 北平の青年学生たちは “8.1”宣言抗日救国の訴えに呼応して意気高くデモ行進を断行した。 北平の学生 たちの愛国運動は迅速に全国各地に波及、 全国的な愛国運動に発展した。 “8 1”宣言で提起した抗日民族統一戦線 の訴えは、中国で抗日活動をする朝鮮人革命者たちを大いに励ました。 “8.1”宣言は、中国内のすべての 被圧迫民族(モンゴル、回、漢、蔵、苗、瑶、彝、保安など)の兄弟たちと共に立ち上がり、統一された中国全体の抗日連軍を組織 することを訴えた。

これに鼓舞された多くの朝鮮人革命者たちが “12.9” 愛国運動に積極的に立ち上がり、なかでも中共河北省委組職 部長・宣伝部長である李チョルブ、中共北平市組職部長を担当した張至楽、早くから中国左翼作家連盟に参加した 金奎光、広州中山大学学生運動のリーダーのひとりである陳グァンファはそれぞれ天津、石家庄、上海、広州等 で抗日救国運動を指導した。

12月 18日、天津市では北平学生愛国運動を支援する大規模的なデモ行進を断行したが、当時、党の活動を回復し てから間もない李チョルブは、天津の愛国学生たちを動員・組織して抗日救国運動に積極参加するようになった。 李チョルブはデモ行進に直接参加しただけでなく、デモ隊の一番前に立った隊員の、チュ・クァンウなどの同志らとと もに “日本帝国主義を打倒しよう”というスローガンを高く叫び、学生たちを鼓舞激励した。運動中に李チョルブは 学生運動の中堅分子たちを組織して学習組を作り、マルクスレーニン主義理論を伝授する一方、党の抗日民族統一 戦線政策も学習させた。

“12.9” 学生愛国運動の消息が石家庄に伝わると、張至楽は自分が直接発展させた党員たちで編成した党支部 メンバーの集まりを開き、情勢を分析して石家庄の学生・労動者たちを動員し、北平学生運動を支援することに決めた。

この決定によって朱効成、周家華、ワン・ソリャン、カン・セファ、は、正太扶輪学校と従業員学校の学生たちを率いて デモ行進をした。 デモ行進があった翌日、石家庄市の 4000人余りの学生、労動者、市民により組職された抗日救国 大衆デモがあったが、デモは石家庄市全体を震動した。 デモ行進が終わった後、張至楽は党支部隊会を召集し、 デモ行進運動を総括、成果を充分に肯定し、さらに深みのある抗日救国運動方案を討論した。

12月 12日、上海市大衆学校の学生たちが北平学生たちに北平学生運動を声援する電報を送った。上海文化界の 人々も救国宣言を発表、左翼作家連盟の一員である金奎光は文化界進歩人士の沈ギュンユらと密接な連携をして 抗日救国運動に積極参加した。 1936年の初め、金奎光は上海女性救国会の責任者であり夫人である杜君慧と協 力して抗日救国運動に参加した。

その頃、広州中山大学で勉強していた陳グァンファは、中国共産党の外郭組職である中国青年抗日同盟の主要責 任者の一人だった。 12月 11日、中国青年抗日同盟は中山大学の 3000人学生大会を召集し、大規模的なデモ行進 をすることに決めた。 12月 12日、陳グァンファは学生隊を率いて通りに出てデモ行進をした。 デモ行進の終わった後、 彼は学生宣伝隊を組職、郊外農村へ行って農民たちに抗日救国道理を宣伝した。

1936年 1月、国民党政府は学生運動を弾圧しはじめ、学生運動の指導者たちを逮捕した。 その時、陳グァンファも逮捕 されたが、釈放された。革命闘争の試練を経験した陳グァンファは中国共産党に加入し、党組織の指示に従って延安中 央党学校で勉強することになったが、その後、太行山根拠地で朝鮮義勇隊華北支隊指導員として活動している途中、犠 牲になった。

“12.9”運動は中国青年学生の高い愛国主義の熱意を呼び、知識青年たちに革命の正確な方向を示し、正確な道を開い てくれた。   

(吉林新聞 チェ・リョンス記者 2005年12月8日)
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