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[経済] 吉林省農業科学院、良質北方米の新品種“吉粳81号”栽培



美味を見つけてくれた恩人

我が民族が北方地域の米作りの歴史を開拓してから 120年余りになるが、その間、北方米の生産、 発展に不朽の寄与をし、非常に多くの時代的科学労動隊員を輩出した。20世紀末に特に市場経済が 活性化し、米の美質競争が熾烈化、国家特殊待遇郷者であり、吉林省農業科学院・金ユンジュ研究員 は世界で初めて幼穂体細胞無性系変異で北方良質米の新品種である“吉粳 81号”を育成し、北方米 の生産、発展に大きな寄与をした。

科学成果が挙がれば、いつも先に出身地の故郷と親兄弟がいる故郷を思う彼は、特に国家の重視を受 けている延辺米の国内外市場への進出に最優良質の米品種を提供し、大面積に植えるようにしたので、 彼を美味を作り出してくれた恩人といわざるを得ない。

延辺米、国の名ブランド獲得に隠れた寄与

延辺米は 2000年からずっと吉林省の名ブランドになった。 2001年、和龍市東城鎮の無公害米“平崗” ブランド米が吉林省の名ブランドになった時にも、金ユンジュ研究員が育てた“吉粳81号”を植える ようにしたし、 2004年から吉林省名ブランド米である延辺無公害米基地で生産している“海蘭江” 米も主要品種が“吉粳81号”だ。

金ユンジュ研究員はこの頃 3回かけて 1年 7ヶ月間、日本に行っていたが、観光は全くせず、 研究室もしくは書籍に埋もれて学習し、共同研究、視察活動に専念した。 彼は主に イネの冷害耐寒性育種の研究をした。

彼は帰国した後十年以上(1986年〜1998年)、イネ体細胞冷害耐寒性変異の 誘導選択技術、遺伝性及び育種応用研究をした。彼は 1994年に生物技術で日本品種であるひとめぼれ と他種の交雑第8世代のイネ幼穂体細胞無性系後代変異の中から選択して、交雑育種法 で総合的な育種事業を行い、世界で初めて良質北方米新品種である “吉粳 81号”を作り上げ、初めて和龍市東盛鎮など州内 3地域にて試験栽培した。

当時、州品質技術監督局と州農業局では、延辺宇星無公害開発有限公司総経理・ 姜炳極が研究製作した、国家無公害農産物生産用肥料で ある “神農液”と “沃土肥料” そして技術部門で勧める無公害生産用農薬、米質が特異な 安全多収穫の種子 “吉粳 81号”を土台とする無公害米生産標準化栽培技術規定を制定し、 およそ 4年間拡大試験生産をした。

2005年には国家無公害米標準化生産モデル面積が 4100 ha余りに増え、その市場も吉林省内はもちろん、瀋陽、北京、上海など外地に広げられ、市場 進出の後に強い競争力を誇示した。 これは州人民政府で提起した延辺米の国家名ブランド 獲得戦略実施を加速化した。

こんな延辺白米生産の驚くべき発展には、金ユンジュ研究員が研究し生み出した “吉粳 81号”品種の寄与を私たちは絶対無視することができない。

王者になった“吉粳 81号”

金ユンジュ研究員は長期間かけて探求した特別な観点と高い学識で、夏・秋期には 休息の日もとらずに一日に 3〜4時間ずつ試験田に入って行き、植えたイネの成長を考察記録するか と思えば、他人が寝床へ入った後も彼は研究室や書斎で夜を過ごしながら分析研究した。 彼は 1994年に敢然と組職培養、常規育種などの思索を広げて世界で初めて、生物技術と常規育種技術を 相互結合させてイネ幼穂体細胞無性系変異育種をして品星1号を作り出した。 彼はその後、多くの基点で拡大試験を行い、1998年からは大面積試験、2000年には吉林省予備区域試験、 2001年には吉林省区域試験と吉林省良質米品比較試験に参加した。 2001年末、“吉粳 81号”は吉林省第3回良質米評議で 1位になった。 その時、評議には 22の品種が参加したが、米の見かけ、米の味、計器分析など総合評議で 唯一 “吉粳 81号”品種が 90点以上の高い点数がついた。 2年間の“吉粳 81号”の 外、表現が突出し、省農作物品種審査決定委員会では 1年繰り 上げて “吉粳 81号”を良質新品種と認め、審査決定を通過させた。 2002年 12月 に農業部米質及び製品品質監督検験測量センターから検査員が来て検験測定し、 “吉粳 81号”は各項の標準が国家良質米 1級標準にかない、不安定な気候でも 良質性の変化が少なく、非常に穏当だと高く評価してくれた。 2003年には農業部の 新品種保護権を授与され、国家良質専門用農作物 1等賞を受けた。 “吉粳 81号”は 2000年まで 2年間の米冷害耐寒性鑑定試験を したが、対照品種である“秋光”の結実率は 5%、多収穫主要普及品種である “九稲 19号”の結実率は驚くべきことに 81%にもなり、安全多収穫を確保した。 この品種は大きな生命力を持ち、最近何年間かで大面積に一般化され、社会に驚くべき富を もたらしてくれた。 大面積一般化初期の 2004年まで 4年間の統計だけ見ても、普及面積が 191万畝、 9550万kg余りの良質米が増産され、社会に 2億 2925万元余りの富をもたらした。

一時も故郷を忘れた事がない

金ユンジュ研究員は同窓たちや彼を訪ねた故郷の農業技術関係者に会えば、口癖のように “私は研究成果がある度に故郷のことを先に考えます...”と言う。 ひたすら一生の精力を米の研究 に捧げて来た彼としては、故郷延辺の米作りの大敵が低温冷害であることを誰よりもよく 知っており、1984年に日本へ行って 1年間研修する時も、また 1988年半年間、日本の北海道に 行って学者共同研究をする時も、彼は米の冷害耐寒性の研究を重点にした。 彼は研究生涯に おいて 10種の品種を育成した。 そのうち米品種 “ドンゲ 138号”は 1987年から およそ 10年間、延辺はもちろん吉林、遼寧、黒龍江、内モンゴル、河北、山西、寧夏 など北方米栽培地域に広く一般化され、農民たちの大歓迎を受けた。 当時、吉林省の 米栽培地域の 75%にもなる広い田には “ドンゲ 138号”が栽培されたが 1993年までに全国各地の栽培面積が 1680万畝にもなり、農民たちの経済メリットは 11億 8000 万元にもなった。 1993年、龍井市朝陽川鎮太東村の金ウンリョンは、吉林省 米多収穫競争で “ドンゲ 138号”を植えてha当たり 1万 1420kgを 生産し、 1位の栄誉を受けた。 彼のこの研究成果は 1991年に吉林省科学技術進歩 2等賞に輝いた。 1993年に彼は国務院特殊待遇享受者になった。

彼はそれ以外にも日本で、耐寒性が強くて多収穫良質性を持った品種の種籾を持ち こんで、我が国の、特に北方米の育成に貴重な資源を補っただけでなく 米の体細胞冷害耐寒性変異誘導選択、遺伝特性及び育種研究をして 組織培養系統の新しい品種を育成し、大面積に一般化した。我が州の農作物良種 農場でも組織培養系統の品種を繁殖して我が州内に大面積に一般化した。 この研究成果も 1998年に吉林省科学技術進歩 2等賞を受けた。組織培養系統の品種は は長年の間に 1億 3000万kg以上の米を増産することとなり、農民たちに およそ 1億元の収入を増加させてくれた。

1999年春, 当時吉林省党委書記だったチャン・ドクカンが吉林省農業科学院に来て視察した。 当時 、金ユンジュ研究員は国家重点研究プロジェクトである耐寒性、抗疫、抗病研究でおさめた “組織培養系統”の新品種を紹介した。 チャン・ドクカンは視察を終わらせて金ユンジュを 呼び出し、朝鮮語で “見たところ朝鮮族のようですが、延辺のために大きな事をしてください”と語った。 金ユンジュは明るく “ご心配なさらないで下さい。必ずそうします。” その時から彼はさらに故郷のために 働きたいと思った。 最近、彼は直接我が州へ来て延辺無公害米基地の“吉粳 81号” の今年作況を 視察したと同時に、純度が高く後代を更新した良質な“吉粳 81号”の種子への需要を満足させて 延辺米国家名ブランド獲得事業を支援したいと述べた。 彼は 龍井市 朝陽川鎮の今年の無公害米を高い価格で買い付け、高級な加工を 経て国内外市場での延辺米の知名度を高める事とし、“吉粳 81号”国家品種保護権の実施 場所を米栽培面積が最大のグス河平野とし、技術力量が比較的優れた 龍井市朝陽川鎮農業技術普及所を指定部署として、我が州に今後 のより質のよい “吉粳81号”の種子の供給を受けることとした。

彼の努力は無駄ではなかった。 党と人民は彼に全国農業教育科学研究系統 の優秀帰国者、全国農業国外知力導入先進事業者、吉林省政府先進事業者などの栄誉を受けた。   

(延辺日報 バン・ジョンヒョク記者 2005年12月6日)
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