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[教育] 朝鮮語文の教育で改善しなければならない問題

最近、朝鮮語文の学科の教育は、課程改革と授業改革のブームに乗って、従来の教育とは違い、 教育課程で主体性、教育方法で探求性、教育策略で協同性を高めながら、総合実践活動教育を広く 提唱している。 最近、朝鮮語文教育で特筆に値する成果を挙げたが、朝鮮語文の教育現場を見回れ ば、看過出来ない欠陥が見られ、玉に傷を成している。

第一に、単語の教育が弱くなっている。

最近‘実用的に掌握させる'という言葉が教員の口に上っているが、盲目的で機械的な ‘恐ろしい暗 記制度'を排撃することから意義が深い言葉だ。 ところが反面、単語をなおざりに扱う根拠にしては いけない。単語は文中で文法的、意味的に最小の単位だ。 作家の思考が文の総体を成すとすれば、 作家の思考を文法的に意味的に作って行くのが単語だ。 こうした意味で思考の上においた、きらめ く星が単語であるといえる。

文中で単語は、時には本意で使われたり転意で使われたりするが、通り過ぎていては作家の思考を 理解することは出来ない。 単語が現わす本意、転意、含意を作りながら、文章の意味がつながり、 ようやく文中での作家の意図が明らかになったと思う時、重点単語を通り過ぎていたのでは、作家 の意図をそのまま明らかにすることは出来ないのだ。

‘単語は言語の建材だ。’ 朝鮮語文教育は朝鮮語の口語水準と文語水準を高める事を目標にしている。 それ故に ‘言語の建材'である単語所有量を拡大する事を度外視することは出来ない事になる。 したがって単語教育を真剣に進める事が望ましい。

第二に、朗読指導が弱くなっている。

言葉は行為によって口語行為(聞き取り、スピーキング)と文語行為(読み取り、書き取り)に分けられ、 また能力によって閲読能力(聞取能力と読取能力を含む)と表現能力(会話能力と書取能力を含む)に分け られる。 ところが、読むことに属する朗読は二重性を帯びるようになる。 閲読能力に属しながらも 表現能力にも属するものだ。したがって朗読指導は文の内容を理解させる一つの志向と文の内容を 朗々とした声に載せてそのまま再現させようとする志向で設計されるのが当然だろう。

ところが最近、‘分析課'が朝鮮語文教育の根幹的な内容のようになり、朗読が文の内容を理解して 分析する一つの手段になっている。 言わば文の内容を声にして再現させる仕事が軽視されている。 正しく読むことも出来ないのに ‘何の内容を書いた'、‘何を反映したのか'を汲々と解決しようと 学生たちを追い詰める現象をよく見る。必要な朗読指導課程を離れた ‘分析課'は結果的に学生たち の情緒的参加がない、不毛な分析になり、虚空に浮かんだ空談になってしまう。

朗読指導はそのものに課程がおかれて初めて内容があるものになる。朗読は各編の文を教育する総合 課程に体現させなければならないのに意義読-正確読-流暢読-感情読ばかりに力を入れるようになる。 したがって朗読指導もこのような課程を成さなければならない。 朗読指導は音の高低、音の伝達、 音の強弱によって突出するアクセント指導-単語アクセント指導、論理アクセント指導が含まれなけ ればならず、文の全般に渡って表現される語音の律動的な現象である口調についての指導、 言語行為で意味的連結による長くて短い中断と休止についての指導、朗読速度についての指導が含 まれなければならない。 そして通読,、精読、略読についての具体的な指導が含まれれなければなら ない。

朗読指導でさらに言えば、単位時間以内に各学生が朗読する頻度を高める問題だ。 模範読、指名読の ような朗読が必要になるが、出来るだけ各学生がたくさん朗読するように教育を進めなければならな い。 次の一つは、全編文についての朗読が必要だが、必要な段落や部分に重点を置いて細密に朗読指 導をすることが望ましいという事だ。

第三に、形象事由能力の養成が弱くなっている。

現行朝鮮語文教科書には文学作品(詩、小説、戯曲、随筆など)、基礎文、説明文、論説文(小学校の主張 の文を含む)、実用文などの文が載せられているが、文学作品、基礎文は学生たちの形象事由能力を高め るために扱われ、論説文、説明文は論理事由能力を高めるために扱われる。 ところが、今この両者を分 別して扱っていないのが普遍的な現象になっている。 分析、総合、比較、推理する論理事由方法を画 一的な方法と認めながら、文学作品、基礎文もこの方法で扱っており、形象教育、情緒教育が弱くなり 、学生たちの発散事由を牽制している。

文学作品や基礎文の場合には、分析、総合、比較、推理にかける論理事由方法によって扱われるもので はなく、感覚、知覚、 表象、連想、想像にかける形象事由方法によって扱われなければならない。 もう少し深く言えば、視覚活動、聴覚活動、動覚活動を通じて文に対する、特に形象に対する直観表 象を形成させることを先にしなければならない。次に直観表象と記憶表象を比べながら学生の頭の中 に形象を生成させなければならない。 その次に、学生自身の情感、志向を交えながら連想、想像の羽 を伸ばすようにしなければならない。

今、形象分析と言う言葉が上がり、言語描写、行動描写、心理描写、肖像描写を求め、すなわち ‘どんな主義、どんな思想、どんな精神、どんな風格'なのかを分析して、集合的に画一的に総合、 推理する事が普遍的な現象になっているが、この普遍的な現象に上述した欠陥があるのだ。 直観映像と 形象を生成させるには、形象を分析するのではなく形象を再現させて立体的に見えるように著しく 表わさなければならない。 ‘主義、思想、精神、風格'など抽象的な結論ばかりを学生たちの口に 上らせるのではなく、形象、 情感で学生たちの心を刺激しなければならない。 言語描写、行動描 写、動的な肖像描写を扱う時は、主人公の心理を推し量り、心理描写を扱う時は主人公の言語、 行動、肖像の変化を想像するようにしなければならない。まさにこの過程が形象を再現させて著 しく表わす過程であり、まさにこの過程が各学生への情感と理知を参加させる過程だ。 またこの 過程が連想、 想像の土台を用意する過程だ。

現存する朝鮮語文教育での頑固な欠陥を意識的に治癒することが賢明な方策だ。

(黒龍江新聞 リュウ・ナムヒョン記者 2005年11月25日)
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