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[社会] 'エコポリス' 夢見る延辺ドゥレマウル

蜂蜜と味噌に北東アジアの未来を託す

19世紀中葉、韓半島を急に襲った自然災害で、故郷の地ではこれ以上暮らすことができない 多くの人々が中国に向った。その後彼らが不慣れな土地で祖国喪失、満州国建国、そして中 国共産党誕生という歴史的激変を経験しながらも、中国政府から '朝鮮族'という少数民族と して認められるようになった最大の要因は、荒れ地だった延辺一帯を沃土に開墾したということだ。

それから 150年余りが経った今、再び延辺で夢を育て行く人々がいる。 19世紀の移住が生きる 道を求めるためだとすれば、今の移住は土地と人を活かすためであることが異なる点だ。

中国の地で夢を植える人々


▲ ドゥレマウル入口

1997年 5月、中国吉林省延吉市依蘭鎮蓮花村に延辺ドゥレマウルができた。 洪範図、金佐鎮将 軍などが抗日運動をした本拠地であり、後方の山向こうには小説 <土地>の主人公であるソヒがチョウ ・ジュンクにすべてのものを奪われてから後、後日を約束しながら訪れたコソン村が位置した所でもある。

延辺は現実的には中国の地だが、国史、同胞の姿がそっくりそのまま滲みついている所でもある。 しかし現在、延辺では荒廃化・空洞化が急速に進行している。 多くの朝鮮族が働き口を求めて大 都市に出ているからだ。 ドゥレマウルは中国の環境問題と 3農(農村、農民、農業) 解決のための 力添えをしなければならないと言う主旨で立てられた。

1997年 5月、金鎮洪牧師が先頭に立った中、韓国人 5人と現地の働き手 10人で始まったこの事業は、 9年が経った今、韓国人 13人、朝鮮族同胞 40人余りが居住する緑文明の基盤に変貌した。

2004年、ここを訪問した金芝河詩人は <生命共同体運動に対する理論と実践の対話談論>で延辺ドゥレ マウルを次のように描いた。

歴史が教えてくれるところによれば、このような文明転換的運動は、いつもその主体と地域と状況にあ る程度の持続性を持つ伝説や神話を伴うものだ。蓮花村の長白山ドゥレマウルに到着し、自ら見たところでは風水を重要視する山谷間開活の明堂穴処として、大きく新しい運動の根拠地として立派な条件を備え、そこに抗日民族解放運動の根拠地の中の根拠地という決定的伝説と神話を伴っているというのだ。 - (中略) - このような地域的背景は 21世紀の生命社会(緑社会、循環社会)を活性化する生命運動、 エコ(ECO)とデジタル(DIGITAL)が二重に交互結合しながら緑文明を触発させる北東アジアのグリーンルネサンス運動が起こせる好条件を備えたのではないかと考えられる。


▲ ドゥレマウル全景

ドゥレマウル共同体の根本主旨は、内的には人間疏外を乗り越える共同体生活を通じて幸せを享受する こと、 外的には代案社会の芽を伝えて地域社会と人類発展に寄与するということだ。.

ドゥレマウルは農場の機能の外に国内外の同胞たちに開放され、必要目的によって農業訓練の場として、 体験学習の場として、緑文化を学ぶ教育の場所として活用されている。

120万坪のドゥレマウルの敷地のうち、30万坪は朝鮮族社会に寄贈され、生態村型朝鮮族タンポポ村として 育成されている。

延辺ドゥレマウルはまた、深刻な食糧難を経験している北朝鮮にドゥレマウルで生産した農産物を人道的に 支援している。

今まで延辺ドゥレマウルでは、北朝鮮の新義州と羅津先鋒地域に孤児院向け食糧及び衣類の支援、北古城農 場支援事業及び苗木送付運動、北朝鮮種芋、耕運機支援事業及び農機械工場の建立支援事業をして来た。

特に彼ら北朝鮮の禿山を豊かな山に作り変えなければ、持続的な日照りと洪水のため、北朝鮮の食糧自給 が厳しいと見て、延辺−北朝鮮を繋ぐ '生命平和の森プロジェクト'を通じ、北朝鮮に五葉松の苗木送付運 動を持続的に実施している。

ドゥレ共同体運動北東アジア本部イム・ジンチョル本部長は "長い目で見れば、北側の土地も私たちの子 孫たちが飛び回って遊ぶ所であるわけで、廃墟になったその場所を昔の錦水江山に復旧して行くことが今 の時代の使命だ"とこの事業の意味を明らかにした。

こうして進行されたドゥレマウル事業は、 7年後の 2004年、さらに拡張された。 北東アジア韓民族問題を 研究、実践しているうちに、北東アジア地域がヨーロッパ連合のように地域ブロック共同体にならなければ ならないという結論に到達したのだ。

それで始まったのが '長白山エコポリス' 造成だった。 生命平和運動に象徴される緑運動を北東アジア 地域の次元で組織的に展開しながら、延辺ドゥレマウルを拠点にしようというのだ。


▲ ドゥレエコポリス鳥瞰図

この時からドゥレマウルの主旨と目的もエコポリスの意味を加えた山村生態都市の代案モデルを創造、 青き延辺自治州の造成、北東アジアグリーンルネサンス運動の拠点造成に拡がった。

'延辺ドゥレマウル'という名前も '長白山ドゥレマウル'に変えた。 名称を '白頭山ドゥレマウル'とせ ずに '長白山ドゥレマウル'としたのは、長白山が北東アジアを象徴するからと言う。 白頭山といえば 朝鮮族と韓国、北朝鮮の固有の名前だが、長白山といえば中国満州族と朝鮮民族共同の山として受け入 れられるということ。

ドゥレマウルを訪ねる人々


▲ 長白山ドゥレマウルキャンプサイト

創始期、教会の人々を中心に年間 2千人余が訪問したドゥレマウルは、去る 2004年 8月北東アジア 緑経済大会を基点に、エコポリスとして造成することを明らかにした後からは、多様な階層に訪問者 が拡がり、年間 4千人余り以上に増えた。

現在、ドゥレマウルには 300人余りが教育を受けて宿泊することができる研修会可能宿所、及び休養 施設そして文芸創作基地とグリーンキャンプサイトが造成されている。 ここで独立軍体験学校、生態 紀行、歴史紀行、文学紀行、休養休息などの各種プログラムがあり、 国内外の幾多のシンポジウムと 教育研修行事が続いている。 韓国からも学生たちを含めた多くの団体から研修と休養のためにここを 尋ねている。 このような訪問は 7、 8月に集中するが、春・秋の 5、 6月と 9、 10月にもかなり多くの 数が来る。

長白山ドゥレマウルを訪ねた人々がたくさん買っていて行くものが、味噌と蜂蜜だ。 ドゥレマウル味 噌は北京を含む中国全域に噂が立っているほどに有名だ。 味噌味の秘訣を聞くと、李ソンハン長白山ド ゥレマウル総務課長は水と椀がその秘訣だという。一級品の水と清い空気で醗酵がよく進むのだという。 ここの蜂蜜は異物が全く入らない本当の蜂蜜だ。

長白山ドゥレマウルの未来


▲ イム・ジンチョル・ドゥレ共同体運動北東アジア本部長

共同体は普通、自然に形成された地域・里のような自然的共同体と、決まった理念、信念、価値を媒介と して目的意識を持って形成された計画共同体(例えばイスラエルのキブツ、モシャブ共同体)に分けられる。

こんな次元で見ればドゥレマウルは計画共同体だ。 このような計画共同体は既存社会をより望ましい社会 に変革させようとする目的意識を持っているから、代案的共同体とも言える。

しかし 9年が過ぎた今まで、彼らが夢見たドゥレマウルの姿は完全には現われていない状態だ。

イム本部長によれば、中国には国家機関と民間企業だけが存在し、市民社会の自発的結社である NGOや 非営利公益法人としての NPOが存在しないから、中国社会が NPOである長白山ドゥレマウルを理解するの が易しくないからだと言う。 農場など農畜産業をする外資企業の法的形式を持っているので、現地社会は ドゥレマウルを外資企業と見ているが、運営方式は非営利公益法人なので理解しにくいのが当たり前でも ある。

そしてこのような長期プロジェクトを巨大な収入源なしに味噌と蜂蜜の販売収益金、本部支援金にのみ寄 り掛かっているのだから、どうしても遅々となるしかない。

しかし今後の 20年余にわたって '産(緑産業基地)−学(教育基地)−住(住居団地)−休(休養団地)'が一体化 したエコポリス(ECOPOLIS、生態文明村)を建設しようとするドゥレマウル・プロジェクトは今も続いている。

イム本部長は "北朝鮮核問題さえ解決されれば、延辺地域は中国−北朝鮮−韓国−ロシアが共に一団となる '北東アジアの香港地域'に変化発展する可能性がある"として、 "その場合、長白山ドゥレマウルは北東ア ジアグリーンルネサンス運動の拠点になるだろう"と壮語する。

ドゥレ村を見て白凡金九先生の '今までこのような事をした同胞がいないから、私たちがやろう'と言う言葉 が浮び上がるのはどうしてだろうか。

(oh my news チョン・ホカプ記者 2005年9月22日)
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