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[文化] 朝鮮族画家・韓楽然特別展‘血を流した丹青の道’


▲ パリ凱旋門の前の自画像 (1935)

光復 60周年を迎えた今年、一人の朝鮮族画家が独立運動家として追叙された。 独立運動家でありながら画家 であると同時に考古学者でもある珍しい履歴の主人公・韓楽然(1898〜1947)の展示会が、先月 30日から来月末まで ソウルの徳寿宮美術館で ‘中国朝鮮族画家・韓楽然特別展’と言うテーマで開かれている。

‘今年の作家・徐世ト展’が開かれる上の階で展示されている韓楽然展で、彼が韓国人であることが判る作品と言うものは あまりない。 敦煌の近くに住むウイグル族の生活風習を描いた風俗画、敦煌石窟の壁画を模写した作品、風景画、自画像 を含む人物画が全てだからだ。

しかし彼がウイグルとカザフの女人たちを描いた作品である‘洗濯する姿’‘水汲み’‘カザフ族婦人の餅つき’ は確かに我が民族の姿だ。 また遊牧民家族が南部に向かって住む所を探し、去る姿を描いた‘光明を探す遊牧民’ のような作品は暮らしのために故国を去らなければならなかった画家自身のルーツである朝鮮族の歴史と重なる題目だ。

朝鮮族の村がある吉林省龍井で生まれた韓楽然は、上海美術専門学校と 9年間のフランス留学(1929〜1937)を経たが、 順調に美術家の王道のみを歩くことができなかった。 中国内少数民族だった朝鮮族の芸術家という個人的事情と、 日本の中国大陸侵略という歴史的事実がかみ合いながら、抗日運動と共産党運動に足を踏み入れたからだ。 1919年、 三一運動の影響を受けて故郷龍井で起きた 三一三運動で、彼は白い布地を切って来て、直接、太極旗数千枚を描いて 配布したりしたし、フランス留学後には戦争の炎の中で中国の中南、西南、華北、西北地域で社会主義系列の抗日運動に 身を投じて投獄されたりした。そんな彼の闘いの履歴は、民衆たちの日常生活に対する関心につながり、彼の芸術世界で 名もない少数民族の日常生活を記録するようになったのだ。

一方、中国では彼が考古学者として最後の 5年間、中国敦煌とキジル千仏洞石窟壁画を研究しながら残した数十店の壁画模 写の作品を高く評価している。 油絵と水彩画のような洋画の表現技法で中国の壁画を模写しながら、東洋西洋の二つの芸術 体系を総合しようとする努力に対する評価だ。 初めからシルクロードの入口にある蘭州に引っ越して、壁画を模写して 研究したのは、当時、中国の画壇に吹いた敦煌模写ブームの影響を受けた彼の先覚者的な歴史意識のためだったものと分 析される。 彼はある文で “今日、私たちの享受する文明はタダで得られたのではなく、文化戦士たちの数知れぬ悲痛な 戦闘を経て得られた蓄積で、共有の財産である”と言いながら “不屈の戦死たちの精神に学び、未来に向けて奮闘しなけ ればならない”と自分の芸術精神を定義した。


▲ 洗濯する女人たち (1945)

彼の遺作の大部分を所蔵した中国美術館のリュウ・シリン研究員は “韓楽然は、 20世紀初期の庶民的意識とリアリズムの 精神を代表する進歩的な芸術家で、彼の芸術と人生は一言で ‘血を流した丹青の道’と言える”と評価した。

(京郷新聞 リ・ムギョン記者 2005年9月14日)
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