xxxxxxx
朝鮮族通信 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[社会] もっとひどい文化大革命も経験したが...

自治州崩壊危機の中、跳躍夢見る朝鮮族社会

韓中交流が急速に増える中、中国で暮す韓国人たちも急速に増えている。 去年まで でも 30〜40万人と推算されたが、今年 8月現在 44万5千人を記録した。 ところが、 妙なことは、渡って来るのは易しいが帰るのは難しいと言うのが移住者たちの言葉 だ。

中国に向かう韓国の人々

我が民族の中国移住史は長年の歴史を持っている。 代表的なものを見れば、今から 約 1300年前の 668年、新羅が三国を統一した後、唐との交易が活発になって張保皐 の海上活動が加速化し、韓半島の多くの人々が中国に渡って来た。続いて新羅坊とい う集団居留地が生じ、法華院などの宗教施設もできた。 現在は法華院だけが残り、 新羅人たちはいない。

1780年 7月 28日、燕巌・朴趾源の一行は豊潤から10里程離れた高麗堡に着いた。燕 巌は <熱河日記>に次のように高麗堡の姿を描いた。

"高麗堡まで来たら家々が全て草家で、非常に素朴だから、問わなくても高麗堡であ ると思う。丁丑年(1637) 騒乱により連行されて来た朝鮮の人々が集まって一つの村 を成して暮していた。" −熱河日記361ページ、李サンホ翻訳/

しかし高麗堡は勿論、高麗軍士たちの宿営地であると同時に村だったという高麗営な どの地名は、現在まで残っているが、私たちのような民族的認識を持った人を捜すの は難しい。

19世紀中盤、朝鮮に飢饉が頻発し、相対的に農土の多い所を尋ねて多くの人々が鴨緑 江や豆満江を越えた。 彼らは到底稲作は不可能だと信じたこの地域に稲作をするな ど、挑戦的な努力で生活の領域を新たに作った。 朝鮮末の混乱、日本の強制併合、 朝鮮戦争などを経て、彼らには朝鮮族という民族的アイデンティティが定着した。


▲ 朝鮮族同胞誕生の基礎になった龍井の井戸。この井戸が発見されてから、ここで 稲作を始めるなどの定着が始まった。

続いて 1992年に正式修交になる前から多くの韓国の人々が中国に入って来た。 97年 IMF危機 のためにかなり多くの中国移住者たちが苦難を経験したが、 2000年以後、 中国の価値が増大することで、チャイナ・ラッシュが起っていると言うほど、多くの 人々が中国に向っている。

北京の望京や天津の万徳荘、瀋陽の西塔、上海の古北などにはコリアタウンが形成さ れている。 50万人に迫る中国内の韓国人たちを指して '新朝鮮族'という新造語も出 来た。

'朝鮮族'と '新朝鮮族'

現在、東北 3省に形成された朝鮮族同胞社会は、大部分、日帝併合時期を基点に形成 された所だ。 小説家・朴景利が <土地>で描いたように、多様な群像を持つ人々が国 境を越えて中国に渡って来た。 祖国が日本の土地になってしまったせいで身と心ま で売ってしまい、中国人たちからまで憎しみを受けた人々もいるが、多くの人々が独 立運動を通じて韓民族の気概をふるった。

しかし解放と共に、彼らは北でもなく南でもない曖昧な立場に立ってしまった。 イ デオロギーの時代は急速にやって来た。朝鮮族社会に対する大々的な攻撃が起った文 化大革命(1966〜1976)も経験した。 しかし朝鮮族は中国内の民族の中で最高の教育 水準と所得水準を持つほどに、いつも努力した。 少数民族の中で最高位に上がった 趙南起将軍(中国人民政治協商会議副主席歴任)を含め、多くの人々が政治、経済、芸 術、医療、教育などで抜群の実力を見せた。 吉林省延辺朝鮮族自治州を中心にした サッカーチームはプロサッカーが出帆する前まで、中国内で抜群の実力で優勝を独り 占めしたりした。


▲ 韓国ではあまり知られていないが、中国では仰ぎ敬われる梁瑞鳳将軍の石像

こんな中、1992年締結された韓中国交正常化は機会であると同時に毒でもあった。 多くの人々が コリアンドリームを夢見て韓国を尋ねた。 朝鮮族たちの中にはたまに詐欺に あった人々もいるが、それでもかなり多くの数が少なからぬ収益をあげた。 しかしお金と 民族が結び付いた事に否定的な面がないわけがない。2000年初、韓国を吹き荒れた朝鮮族 に対する魔女狩りが見せてくれるように、韓国と朝鮮族の間には遠からず近からずの関係が 形成され始めた。 '朝鮮族に対する魔女狩り'の頃、朝鮮族同胞と韓国人た ちの間に葛藤が生じて、朝鮮族が韓国人を拉致する事件が起ると、韓国のマスコミが因果関係は 略したまま朝鮮族同胞に敵対的なだけの報道を繰り返し、朝鮮族に対する反目を強化させた事件 だ。

自治州を離れる朝鮮族たち

韓国との関係も重要だが、朝鮮族の人口の急速な移住と減少は、延辺朝鮮族自治州などの崩 壊原因になっている。 朝鮮族社会の重要な財政収入だった白頭山の観光収益さえ吉林 省政府が奪おうとしている。

吉林省政府は最近、白頭山の中国側地域の行政を統合管理するために省直属で ‘長白山 保護開発管理委員会’を新設したが、 この組職が白頭山 のすべての資源を管理するようになれば、自治州の役目が大幅に縮まる見込みだ。 この 発表以後、自治州では反対署名運動をしているが、既に出た発表を覆すのは難しい状況だ。

現在、朝鮮族同胞の総人口は 200万人程と推算されている。 このうち経済活動人口は 130万余りだが、かなり多くの数が既に外地へ移住した。 同胞の歴史研究家・柳燃山先生は 現在、北京 6万、天津 4万、青島・威海・煙台など山東 17万、上海と華東地域 4万、広州・海南島など 華南地域 3万、重慶・成都など西部地域と、東北地区を発った人が 40万人を越えると考えている。


▲ 梁瑞鳳将軍の石像が立っている福和小学校。 この朝鮮族学校は閉校してから 1年 が過ぎ、雑木だけが茂っている。

持続的な離脱にもかかわらず自治州の州都である延吉市では 40万名の人 口を維持しているが、これは農村人口が流入しているからだ。 しかし農村人口の都 市流入は農村で朝鮮族の空洞化を加速化させている。過去、郷や鎮の単位まで存在し た朝鮮族学校も、今では県単位でだけ存在する。 こんな学校も延吉や龍井、 和龍、敦化などの中型都市だけで安全であるのみ、人里離れた県では脅威に晒されている 情況だ。

去る 6月、記者は取材がてら、独立運動家・梁瑞鳳(一名、梁世奉) 将軍の銅像があった遼寧省 新賓県 旺清門鎮に立ち寄った。 ここは韓国独立運動 の首都と呼ばれるほど朝鮮族同胞には歴史的由来の深い所だ。 だから朝鮮族同 胞は勿論、漢族までが寄付金を出して1995年、朝鮮族学校である福和小学校に梁瑞鳳 将軍の銅像を立てた。 ところで私が訪問した時は、既に閉校してから 1年が過ぎて 雑木だけが茂っていた。 梁将軍の石像も寂しく放置されていた。

こんな現象はどこも同じだ。 柳麟錫将軍が独立運動をした吉林省寛甸県下露河鎮の中学校も 過去には朝鮮族学校だったが、去年、漢族学校に統 合されて朝鮮族学校としての面貌を大部分失った。

漢族学校に対する朝鮮族の選好度も高くなっていて、危機感がさらに増幅されてい る。 教師が薄給のため、教師職を捨てるのも問題だ。 教師の月給は 1000 元に満たない 場合が大半だ。 だからかなり多くの教師らは都市に出て、比較 的高所得層である旅行ガイドに転職したりする。

延吉で体育教師をしてから 2年目に北京でガイドをしている金サングクさんは "ガイド生活をしてからでくわした、以前の同僚教師だけでも既に 3名だ"と言いながら " 比較的教育水準が高い教師の立場で、簡単な仕事でも高所得をあげる友達を見れ ば、その誘惑に打ち勝つのは難しい"と言う。

新しい跳躍を夢見る朝鮮族社会


▲ 柳麟錫将軍が活動した下露河の学校。 朝鮮族学校だったが、統合されて今では漢 族学校化している。

まだ半分である祖国と、彼らが暮して来た中国という地の前で朝鮮族は相変らず当惑するしかない。 それに加えて、彼らが経験した過去の 10年は、鉄砲を持って彼らを攻撃 した紅衛兵たちと争った文化大革命よりもさらに激動の歳月なのかも知れない。 しかし朝鮮族たちは新しい朝鮮族社会を立てるために、再び腕を捲り上げた。

朝鮮族はまず彼らを一つに団結させたサッカーを再生させるため、吉林省の朝 鮮族サッカーチームを活性化し始めた。 その結果、吉林チームは再び 1部リーグに昇格 した。

また北京、天津、山東など外地で生活する朝鮮族は、民族のアイデンティ ティ教育を理解し、朝鮮族学校を建てる一方、朝鮮族のコミュニティ結成に力を注いでいる。 1989年、北京に朝鮮族学校が設立されて以来、石家庄、天津など主要都 市に朝鮮族学校が設立されたのが、上のような努力の結実だ。

韓国での経験をいかしてサービス業で成功した人々も少なくない。 多くの人々が韓国 料理店に勤めながら培ったサービスノーハウと集めた資金で、 北京や天津など韓国人の主たる居住地区に飲食店など自営業を始めて成功した。

朝鮮族文化の基地と言える延辺自治州での活動も目立つ。 延辺放送局は去年、 10部作 で中国で活動した独立闘士たちに対するドキュメンタリーを作った。 最近勲章が授与された 金山(本名・張志楽)や梁瑞鳳、安武など重要な人物たちを几帳面に取材した。 中 国という土壌を持っているので、同胞というよりは抗日という性格が色濃かったが、後日 評価を受けることができる重要な作業だった。

柳燃山先生は、高句麗史問題が出た時点で、韓国に高句麗や渤海関連の書籍を出刊した、いわ ゆる恐れを知らぬ研究者だ。 延辺自治州常務委員会委員である彼としては、冒険をしたことになる。 彼の弁はこうだった。 "高句麗問題については、中国でも正確に理解している。ただ統一と 長期的な布石のためにこんな方式を取っている。 この状態で、あまりにも消極的なのも問題だ。"

朝鮮族と中国僑民、葛藤を越えて和合切実


▲ 満州朝鮮族社会のシンボルだった金躍淵牧師がいた明東教会内部の姿

中国で長年の間暮して来た我が国の人々の中には、相変らず朝鮮族同胞の話さえ出れば熱弁 を吐きながら批判する人々がいる。 もちろん韓国人を相手に詐欺を働くとか欺いた朝 鮮族同胞たちも少なくない。 しかし彼らも数千年の間韓民族の血を持った民族に違 いないのだ。

韓国人と朝鮮族の間の葛藤があった 2000年頃から二つの勢力間の距離は既に縮まりつつある。 しかし多くの否定的な要素にもかかわらず、もし朝鮮族がいなかったら、修交 以後 10年間にこれほど早い進出を実現するのは難しかっただろう。 もちろん朝鮮族の間 にインナーサークルを作り、中国人は勿論、韓国人さえ近付くことができないように 阻む所も多い。 しかし既に中国内の大都市の韓国人の数字は、朝鮮族の数を越えた。 こ んな状況で朝鮮族同胞が韓国人のために尽くすというのは、常識から外れた事だ。

中国で朝鮮族は相変らず 200万人に過ぎない少数民族だ。 しかし彼らが今後、どんな 姿になるのかも判らない。今後の東アジアで韓国の位相が作られる時、朝鮮族の努力によって 少なからぬ変化があり得るということを否認することはできない。

150年前の朝鮮族、そして現在の新朝鮮族の 100年後、500年後はどんな姿だろう。 新羅坊の流民たちのように中国の中に溶け込んで跡形もない塩人形になってしまうのか。 でなければ、チャイナタウンの華僑たちのように韓民族というアイデンティティ を守りながら生きて行くのか。その鍵を握っている人々は 100年余りの歴史を持った朝 鮮族同胞たちかも知れない。

(oh my news チョウ・チャンワン記者 2005年9月11日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット