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[特集] 夕陽が立ち止まる他の風景

新しくなる朝鮮族の養老観念
社会機構を通じる養老を希望する老人 32.1%
新興産業として浮上する養老ホーム事業




1. 変化の背景

最近、韓国では “トンク族”という新造語が出来、世間の注目を集めている。 いわ ゆるトンク族の主体は、子に期待もせず、子に一切を捧げもしないという親たちだ。 “お金があって初めて親としての待遇を受ける”と言う次元を越えて、老年を堂々と 平和に過ごしたいというのが彼らの願いだ。 伝統的な父母像まで拒否している彼ら は堂々としている。

“葬礼生前予約制”も、やはり隣国日本で登場した新造語だ。老人たちが長期不況の 生存法として選択した窮余の策だといってこっそり目くばせするが、ただ手だけを差し伸べる 子どもたちの中から脱出するのは勇気がいることだろう。 TVを見ても日本では、やはり子どもたち の足かせを脱してそれなりに老後を過ごそうとする、いわゆる “逃亡老人”らが次第に増えている。

我が隣国の 世界の先進国日本と準先進国ながら我々と同じ血脈である韓国の老人世帯風土 を見せてくれるスケッチだ。

もちろん周辺のこのような激変の中で、ただ見ているだけの我が老人たちではない。 いつからとははっきり言うのは難しいが、静かに、そして徐々に変化が胎動 し、それが水面上に浮び上がって何年かになる。その中でも最も著しい現象が 社会養老へと徐々に追われる老人たちの意識変化と大胆な選択だ。

礼の民族としてで有名な我が民族は、昔から伝統的な倫理規範である親孝行 を頑迷な人格の主要要素として強調して来たし、そのような雰囲気の中で 親が子を愛し子が親を親切丁寧にもてなす美風良俗が世代を引き継いで続いて来た。 このような風土の中で老いた親を供養しないとか、粗末に待遇する子は不道徳の背倫児として 社会的世論の攻撃を受けなければならなかったし、親と別れて暮す子や子から離れ て暮す親は当然、変わり者扱いされなければならなかった。

まさにこのタブーが徐々に崩壊している。 この変化が伝統的な美風良俗を汚す 社会的後退現象として後ろ指を指されるのか、それとも老人共待の斬新な代案と認めら れるかはまだ未知数であるが、相当部分の老人たちが好む養老の経路であることだけは明らかだ。

去る 8月 20日、長春市朝陽区朝鮮族老人協会に依頼して 67人の老人 を相手に行なったアンケート調査によれば、子と離れて暮すことを希望する老人と子によ る家庭養老を希望する老人がそれぞれ 32.1%である一方、社会機構を通じる養老 を希望する老人は 35.8%にもなった。 朝鮮族が集まって住んでいる延辺で、やはり社会養老を希望す る老人たちが増えていると言うのが関連部門の分析だ。

いわゆる社会養老は機構養老と呼ばれ、計画経済の時期、主に革命烈士の遺家族、 老齢の功臣、子供のいない老人たちを供養して来たもので、その経費はほとんど全て 国家予算によりまかなわれている社会福利機構だった。 このような社会養老に市 場性が反映されたのは、お金を払ってでも親を養老ホームに寄託しようとする子どもたちと 自分のお金を出してでも養老ホームに入居しようとする老人たちが現われてからだった。 制度上、子を持つ親の無料養老ホームへの入住は不可能で、養老ホームは正常運営 のための相応な養老金を受けなければならなかった。 養老ホームが福祉機能と共に 新興産業として浮上したのもこの頃だった。 その中で素早く動いたのが延 吉市だ。 現在、延吉市の老人福利機構 (敬老院、老人アパート網羅)は、おおよそ 21ヶ所、延辺の 37ヶ所の半分ぐらいを占めている。未登録、建設中の施設 も少なくない。 延吉市の老人人口は 5万名、福利施設は1万名当たり 4つ以上に もなり、1万名当たり 1.3個にとどまる吉林省内の平均数値をはるかに上回っている。 延吉市の老人たちが社会養老を好んでいる、もしくはそれに対して寛大であることを示す 端的な事例と言える。

2. 行くか行かぬかの分かれ道

我が国は 1999年から老齢化社会に入った。 60才以上の老人が 1億 4000万人余りで総人口の 11%を占める。 2020年には 2億 4300万名に増え、総人 口の 17%を占める見込みだ。 吉林省の場合、 60才以上の老人が 280万人、そのうち 160万名が都市に、120万名が農村に居住している。

社会発展によって寿命が長くなり、増長した老人社会は深刻な社会的問題として 台頭しており、国家でも相応の措置を次々に出している。

老人問題の核心は、もしかすると健康で心配もなく楽に晩年を送れるかどうかにある。 この問題は社会的、道徳的、経済的な要素と結び付いている。 核 心部はどのようにして伝統的な観念から脱皮するかであり、これを支援してくれるカー ドは当然、経済力だ。

まず老人たちの意識が随分と開放的になっている。 子に余生を任せようとする老人たち の依存心が多くの変化を見せている。 長春市朝陽区老人協会の場合、機構養老を願 う理由として、 62.5%は子の負担を減らしてあげるためで、 37.5%は自分の便利のためであると の結果が出た。社会が発展するにつれて、家庭で親たちが担う役目が少なくなったのも、 やはり事実で、子どもたちの負担にならないという慇懃な自負心もその中に含まれている。.

一方、子どもたちの場合も千差万別だ。 まだ元気な親と一緒に過ごすのも、正直言えば 負担であり、とはいえ、別れて住むとなると周辺の評判が恐ろしく、人の口に戸は 立てられないのだ。 率直に言えば、移り変わりの早い現代生活に揉まれながら、 親たちとまともに対話を交わすことができないし、交わす余裕もないのやはり大きな悩みだ。

また子たちが国外か他の地方に出ている状況で一人きりでいる老人たちは、やむを得ず 親戚よりは養老ホームを捜すようになり、子どもたちも自分がそばにいない状況で老人たち を養老ホームに任せるしかなくなった。

このように機構養老は願うもののそうするしかない子どもたちと、願うかどうかに関係なく 収容するしかない親の間の微妙な妥協点の産物と言える。

延辺老人福利センターに入居した李ランオク(75歳)さんは、 “仕事に 忙しく動き回る子どもを大事にする心からここへ来る考えをし、家で子どもたちが帰っ て来るのを待つよりはさまざまな活動に参加しながら時間を過ごす方が良いと思ったの で尋ねて来た”と語った。

老人センターに来る前、李ランオクさんは夫の方チョルス(当時 73歳)さんと暮していて、 腰がとても痛くて家事ができなくなると、養老ホームを考えるようになった。 養老 ホームへの入住意向を仄めかすと、方老人は可愛い子供たちを放っておいて、どうしてそこに行くのか と叱りつけた。 お婆さんが、自分の身体の状況と子どもたちの事業状況をきち んきちんと話しながら説得すると、方老人は遂に同意してしまった。

次は子どもたちを説得しなければならなかった。 息子一人、娘一人を持つ李お婆さんの 家庭は、延吉市新興街では模範的な家庭と呼ばれた。 お婆さんの動機に、息子は当然不賛成 だ。 一度ダメならば二度、二度ダメならば三度、 10回掘っても倒れない木はない。 遂に 息子を説得させた二人は 2002年 10月 30日に “新居”に引っ越した。

政府のある部門で副主任をしている李お婆さんの息子は “初めには納得が行かなかったが 親たちの選択に仕方なく同意した”として、 “母が楽しさを感じるのなら、子としてそれ よりもっと親孝行することがどこにあるのか”と語った。

去年、方老人が肝臓癌で死んだ後、李お婆さんは老人センターにいて、さまざまな活動 で時間を過ごしたため、孤独感をさほど感じることができなかったと言う。

延吉市工商局で仕事をしている李お婆さんの娘はこのように言う。 “母は新しい事 を早く受け入れる人だ。 時代が変わるにつれて人々は福利機構による養老方式を認めて いるし、日増しにさらに多くの人々が福利機構を利用している状況だ。 伝統観念が崩れて来ている ことを示している。 母が環境が良く、医者もいて、その他にも奉仕施設が 充分に揃った所にいるので、私たちも安心だ”と語った。

延吉市新興街の社会区域老人アパートにいる太さん(84歳)は、娘が 七人だ。 一生農業をしていた彼女は、今まで娘の家にいたが、老人アパートに移り、 娘たちがお金を面倒みてくれる。 太お婆さんは娘や壻たちが皆良い人たちで、真心を込 めて面倒を見てくれるが... ここへ来たら難しいことは考えなくてよいから気楽だと言う。

今年 83歳になる安さんは、老人アパートに来てから 3年目になる。 息子五人 に娘二人を持つ老人だが、子どもたちの反対にもかかわらず養老ホームに来た。 彼は <<考えがよく似た話し相手の老人たちも多いから、こんなに楽しく暮らせるのです。そして 私が通いたい所も自由に通うことができるのがさらに良い。”と言いながら明るい姿を見せる。

見てのとおり、機構養老をめぐってどうのこうの言うよりは、当事者の考え方に合うとおりになる。

3. 点検して見る老人福利施設

吉林省民政庁福利事務処の王リブソンによれば、吉林省の老人人口は 280万 名、総人口の 11%を占めており、既に老齢化時代に入った。 省全体で 365ヶ所(国 立の養老機構が 14ヶ所になる)の老人福利機構があるが、1万名当たり 1.3 ヶ所になる。

延辺の場合、 60才以上の老人が 23万名、総人口の 10.4%を占め、 吉林省の老人比率 11%より低いが、老人福利機構が 37ヶ所ある。 1万名当たり 1.6ヶ所あるわけだ。 37ヶ所のうち、延吉市に 21ヶ所もある。 これに、延吉市民政局に登録されなかったものや、現在建 設中である福利施設まで合せれば、その数量はさらに多い。 老人人口が 5万名にな る延吉市に1万名当たり 4ヶ所以上ある珪酸だ。

延吉市にある養老機構の中で、一定の規模を備えた養老機構のベッド数は 150個前後で、 規模がやや小さな養老機構のベッド数は 30個前後になる。

延辺社会福利院所属の延辺老人福利センターでは、建物建設の時、ベッド数 を 112個にて設計したが、需要を満足させることができず、現在はしめて 153個のベッド をおいた。 現在 147人の老人が入住、満員の運営状態で、一部の等級ではベッドが足りな い状況になっており、 20人余りの老人たちが待機中だ。 147人の老人のうち、自立することが できない老人が 50人を占め、子どもたちが経済負担をしている老人が 45名であるほかは、 全員が退職金がある老人たちだ。

建築総面積が 6000平米余りである延辺老人福利センターに は、ゲートポール競技場があってビリヤード室、ピンポン室、学習室などの施設と医務室 がある。

25平米余りの部屋に老人 2人ずつが配置されたが、一人当り 620元を支払う。 ここには食費、ベッド費、電気代、水道代、サービス費などが網羅され、 医療費と電話費は別に 支払う。 部屋ごとにテレビ、電話、たんす、浴室付きのトイレがある。 自立できない老人たちに限っては看護費を別に受け、しめて一人当り 毎月 800元だ。

このセンターは延辺社会福利院傘下の事業単位であり、職員の大部分が老人看護の経験が あるだけではなく、管理水準も規範化されている。

民営老人福利機構である延吉市新興街の社会区域老人アパートは 暖かいサービスで多くの老人たちの人気を集めている。 145個のベッドに 134人の老人が 入居している。 一人当り毎月 550元ないし 580元を受け取り、状況によって看護 費用を 100元ないし 300元、追加徴収する。

延辺老人福利センターと新興街老人アパートに入居した老人の大部分が朝鮮族の老人たちだ。

農村養老機構の代表としては、吉林市 龍潭区 江密峰鎮にある吉林市アリラン 養老院を挙げることができる。 1998年に建設されたこの養老ホームは、農村農民た ちを相手とした老人福利院だ。 養老院の李院長によれば、外国や沿海地区 にお金儲けに出て行った若者達が増え、農村に残った老人たちの生活にかなりの 困難があるのを見て、養老院を立てるようになったと言う。 たとえ人里離れた所 にいても、森林の中にいるので空気が良く、景色が美しい。 アリラン養老院 では全て朝鮮族たちだけを受け入れており、現在 90人余りの老人たちが入居しており、 最高で一人当り毎月500円前後、最低で 390元を徴収する。

このように社会養老は伝統的な家庭養老の補充として活躍している。今や老人 福利機構の市場化が加速化し、老人たちを相手としたサービスは不可避的 に多様になり、完成されたものになって行くだろう。

4. 未来指向的な視覚の座標

社会養老は急変する時代に不可欠な産物だが、老人問題を解決する万能薬ではない。

今日、老人問題は道徳的次元も勿論だが、それと共により現実的で実用的な視角から未 来指向的な方向で進めることが要請される。 伝統と現実の衝突は妥協、協力により解決して行く のが望ましい。

親を社会養老院に送ることで子の親孝行が終わるわけではない。 経常的に訪問 して家庭への招待などで相互間の疎通をはかり、血肉関係を引き継いで行かなければ ならない。 子にとって親は永遠に親であり、親にとって子は永遠に子だ。 この基本フレームが搖れる場合、社会養老の意味は価値を失い、色褪せるしかない。

ある関係者は “国蚊民間かを問わず、資金上の制限で社会養老は増える実需 要を満足しにくい。 だから家庭養老を主とする養老方式を取る一方で機構養老を発展 させ、社会区域養老を社会養老の補充とする養老方式を提唱する”と未来を提示した。

ともかく、社会養老は現代の老人福祉の一形態として私たちの生活に位置付けられており、 これからさらに多くの話題を集める趨勢にある。 ここで親がどんな選択をして子 がどんな義務を担わなければならないのかは、各自が考えることである。

もしかすると、それは難しいながらも幸せな悩みになるのかも知れない。何故な らば、老人たちの過去が子どもたちの今日であり、親たちの今日が子どもたちの未来でもある という自然法則に間違いはないからだ。  

(吉林新聞 ホン・オク記者 2005年9月10日)
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