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[特集] 中国ハンギョレ社会、どこまで来たか?−海南編

天涯地角に同胞の息づかい熱く


▲ 今年 5月、海口韓国料理 <漢江亭> 主催で開催された第2回海南韓国美食文化祝祭で
舞台に上がった 我が民族伝統舞踊が人気を集めている。 (リ・チョルホ)

海南省の我が同胞の生存現場を手探りの旅。 要式通信産業が主。朝鮮族・韓国人 400人余り。 去年、海南省を訪ねた韓国観光客、年間 6万名。 三星光ケーブル、海口保税区に 5億元余り投資

中国の最南端に位置した海南省、面積が 3.4万平方kmになるここは、台湾に次ぎ中国第2の財宝島と呼ばれている。赤道の日差しが熱く照り付けるここは、我が同胞が入って来て約 15年、数量的には極めて僅かだが、各々熱心に働き、 ‘島国’の正当な住人として立場を固めている。

90年代の初め、ここは ‘大儲けの場’

去る 80年代中盤まで、ここは広東省所属の未開発島だった。深を含む沿海地域の改革開放の成果が世の注目を 集めるようになると、1988年、国務院の決定により、海南島が海南省に昇格、同時に全国最大の経済特区に批准された。 一瞬にして海南の開発展望に対するマスコミの報道が熱気を帯びると、 90年代を前後して ‘10万の大軍、海南へ進軍’ の壮観だった。 深の場合、大部分が経済特区の設立初期に入って行った人が ‘市場成長機会のメリットに乗って基盤を 備えた歴史に鑑み、海南も新しい ‘大儲けの場’として注目されたのだ。

当時、少なからぬ ‘山師’たちが一攫千金の機会を狙って ‘割拠戦’を繰り広げ、あちこちで不動産工事を行ったが、 宿泊施設が不足していたため、夕方には工事現地ごとに集まって来る路宿者たちで、さながら修羅場を彷彿させたと言う。

この雄大な流れの中で、東北3省各地と沿海地域を転々とした我が朝鮮族の若者達も絶えず合流し、一時は 2000人を記録 したと言う。しかし深とは完全に異なり、地理的に市場、流通などの基盤ができず、製造業の進出が不可能で、この地域 の成功の機会は簡単には訪れなかった。夢を抱いて尋ねて来た幾多の若者達が厳しい現実に直面した。 ‘バブル景気’の輪 郭が徐々に現われ、不動産山師たちが資金が枯渇したり、市場性がなくなりそれ以上の投資をせずに逃走したせいで、あちこ ちに 10階建て余りの ‘骨格’だけ残した不良建物が、主人を失ったまま寂しく立っていた。

この頃、市場を全く把握することができないままやたらと海南行きを選んだ多くの朝鮮族は、適当な仕事がなく、猫も杓子 も当地のネットワークビジネス組職に加入、さまざまな化粧品、保健品、金時計、家電製品などの販売代理に出て、親戚、友 人のお金を数千元、 数万元ずつ凍結させてしまった者も数知れぬ程多いと言う。 2001年、政府側の強硬措置でネットワー クビジネス組職を取り締まると、彼ら数百人が無一物になり、相次いで影をひそめたと言う。 その外、少なからぬ人がつら い仕事からそっぽを向き、後に懐がつぶれてどうにもならない境遇になり、韓国人教会で何ヶ月かずつ ‘居候’になった後、 ‘大儲けの場’の夢が壊れると、一人二人と、その他の沿海地域へ散らばって行ったと言う。

逆境を勝ち抜けば希望に満ちた未来

当時、海南の劣悪な環境にもかかわらず粘り強く仕事しながら堪え、今日、島国の新しい住人として登場した人もいる。牡 丹江市朝鮮族中学校を終えて当地で 1年間日本語を学んだ金美子。1990年夏、海南に上陸、 初めの何年間かは渉外ホテル、 日本の会社に席を置いて想像を超えた苦労をしたが、‘南国’ の慌惚とした未来を描きながら歯を食いしばって技量を伸ばし て行った。 海南の独特の地理的メリットに照らし、中韓修交の後、韓国の観光客が毎年増えると、 1997年、彼女はカナダ籍の 韓国人と連携して旅行会社を設立、相次いで海口市に初の韓国料理店−漢江亭を設立した。翌年、韓国に観光事務所を建て、 客の誘致に本格的に動き出し、長年間応待した観光客が年間 8000人、政府側の配慮により韓国側のいろいろな分野の高階層の 代表団が来る時には彼女の会社で接待業務をほとんど引き受けた。早くは、海南省と韓国済州島の姉妹提携においても通訳を 引き受け、一翼を担当して、金経理は政府側から対外交流の ‘使者’に指名されたりした。

現在、海口市に経営面積 1300平米の 3階建の漢江亭本店の外、三亜市 大東海湾海岸の山海天ホテル(5星級) に経営面積 600 平米の漢江亭−三亜支店がいずれも好況を見せる中、既に内装を仕上げた漢江亭3号店(海口)が間もなくオープンすることにな る。韓国料里−漢江亭の主催で韓食の優秀性と特色をいかし、海南省の旅行飲食業市場活性化を主旨として、省、市の主な指導 者、そして韓国の多くの高階層代表の外、宮廷料理のグルメたちが参加し、韓国の多様な伝統食品と宮廷料理の妙技を披露した 海南韓国美食文化祝祭を、今年まで 2回、成功裏に開催した。そんなわけで漢江亭は海南省の ‘韓流’の先頭走者と言う評価 が伴ったりした。その間、健全な運営と対外交流などの面の着実な実績で、金経理は今年、三亜市 10大女性企業家に選定され、 同胞女性の誇りを精一杯高めた。

海南省には水産物経営に手を出した朝鮮族も多く、人それぞれに実績を積んでいる。早くからハルピン建築大学を卒業後、大 慶に配置され、 1年間出勤してから職場をやめ、浙江、広東一帯にて水産物貿易で基盤を築いた黒龍江省樺南県出身の南ミ ョンドンさん(39歳)は、広東省電白市に水産物加工工場を建て、年間 1000万ドル余りの対日本輸出を確保して来た。去る90年代 後半、三亜市水産物の巨頭と呼ばれる某氏と連携し、三亜経済開発区に冷凍工場を立て、汚染のない三亜海域で取った上質のサ ンマを買い付け加工、専門的に韓国に輸出して成長を続けていると言う。

天恵の地−同胞の息づかいを高める島国

現在、海南省には旅行会社、飲食娯楽、通信、水産物加工貿易などの業種に携わる朝鮮族、韓国人が約 400人、なかでも観光業 が主軸を成している。去る 90年代後半、韓国との航空便が開通して観光客が毎年増え、朝鮮族が運営する旅行会社も急増、現 在、海南省に約 30社と集計される。しかし韓食店は海口、三亜に合計 10店余で、お客の少ないオフシーズンが長いため、普 通の財力では堪えがたく、韓食店の運営に出る韓国人や朝鮮族が非常に少ないと言う。

ゴルフ観光が主であるお客を相手に、ここでは観光シーズンの冬季には旅行会社ごとにすべての職員が動員される。 ここにお客が少ない夏には、旅行会社の職員達は渡り鳥のように長白山、北京、上海、張家界、昆明等へ場所を移して仕事 を捜すのに熱中するのだそうだ。 去年、海南省の韓国人観光客が約 6万名(外国人観光客のうち 1位)、今年 9月、韓国と海口 市の航空便が間もなく開通すると伝えられ、持続的に増加傾向を見せる韓国観光客が間もなく 10万名の時代になるだろうとい うのが業界関係者たちの指摘だ。 これもまた島の第一の産業である旅行会社を運営する朝鮮族たちにとって、間違いなく朗報である。

観光のみならず海南を新しい創業の基盤と捉えて尋ねて来る韓国人も増えている。 いくつかの旅行飲食業の他、何年も前に海 南観光に来て、ここの広大な山地農場に目をつけてやたらと投資した50代の韓国人・金ヨンソンさん。三亜市から約 15km離 れた山地の 600畝余り(50年賃貸)のマンゴー農場の主人だ。 これまで、詐欺被害による挫折を繰り返して巨額の資金を失った が、韓民族の意志を曲げることなく、朝鮮族の通訳とともにあちこちの農場をしつこく捜し回り、マンゴー栽培の技術を習得 した。中腹に生活の家を作り、労務者たちとともに昼夜を問わず山裾を歩き回りながら作り、来年 2月には収獲の季節になる と喜ぶ金さん。 山の中の永久住民になるといい、紆余曲折の多い創業話を聞くと、中国の古代神話に出る ‘愚公移山’を連 想させる。

中国観光業の聖地といわれ、環境汚染を出す製造業者は一切進入が禁止されたこの地に、先端技術を土台とする韓国 ‘三星 光ケーブル’が入ったのは去年の 3月だ。 海口保税区に生産研究基地を作り、 1年以内で工事を仕上げ、 投資額が 5億元に 達するこの会社は、年間の運営実績が 5.4億元と予想され、海南省政府のこの上なく大きな関心を集めており、最優遇政策 の付与と共に関連部署最高のサービスが提供されている。

現在、この会社の海口常住の韓国側職員だけでも 30人余り、海南省ハンギョレ軍団が三星光ケーブルの力を借りて‘膨脹’ したわけだ。

それ以外に何年か前から、東北地域朝鮮族有志、老人たちが海南観光に参入し、この地域に対する関心が徐々に高まっている。 特に長い冬の寒さが襲う北方に比べ、穏やかな気候にこぢんまりした浜辺の景色、そして三亜市全体が保養地を彷彿とさせる居 住環境に魅かれた。 彼らが次々にアパートを買い、北方の冬をここで過ごし始めた。 現在はハルピン市離職休養・停年退職幹 部を含めて鶏西、長春、延吉等の数十世帯の朝鮮族が三亜にアパートを買うか賃貸しており、彼らが毎年 10月に来ては翌年 3月 まで当地で我が同胞と合流し、節日の集い、 浜辺遊び、温泉遠足を楽しんでいる。 今年の陰暦節を迎えた時、三亜市 ‘漢江亭’ では、豪華な膳を調えて彼らを招待、 はるか遠くの他郷で同胞の温情を実感させた。

関連資料の記載によれば、1940年代の初め日帝は朝鮮半島から 1000人余りの人足を連行し、海南の道路工事、空港建設、 トンネル工事に駆り出し、完工と共に敗戦を迎えると、彼らを全員生き埋めにする残虐行為を行った。 1950年 3月頃、 海 南解放戦役では、当時、中国人民解放軍 43軍所属の数十人の朝鮮族将兵が命をかけた海南は、我が民族の血が濃く染みた遺 跡でもある。 これ以外にここ 10年間、海南省政府の所属関連機構、放送、対外貿易、医療衛生、政治、教育などの分野にも 部分的に朝鮮族が転勤して各々実績をあげている。 遼寧省朝鮮族師範学校で 30年間教鞭を取ってから退職の後、子に付 いて海口市へ来た許チャンファン先生は、 ‘韓国語学校’を立て、初期の我が民族の子供たちに ‘韓国語’を教え、今は当 地の他民族を相手に運営して我が民族の言語文化を広く高揚している。

1500kmの長い海岸線、 200万平方kmの青い海域に無盡蔵の水産資源、数千種の熱帯植物が森を成す二役で、我が同胞たちは 赤道の日差しの下、荒々しい海風にも折れない椰子の木のように丈夫に根付き、一生懸命に生きている。

(黒龍江新聞 2005年9月9日)
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