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[社会] 最大規模の '渤海オンドル' 遺跡を発掘

 
▲ 去る 21日、ロシア沿海州のクラスキノ渤海城で発掘されたオンドル遺跡(キム・テギョン)

ロシア沿海州クラスキノにある昔の渤海城跡から、今まで発掘された中では最も大きく、完璧な形態のオンドル遺跡が発見された。

このオンドル遺跡は中国黒龍江省寧安市渤海鎮の上京龍泉府から出たオンドル遺跡よりはるかに大きな規模だ。 典型的な高句麗式であるクラスキノのオンドル遺跡は、渤海が高句麗を受け継いだということを再度証明するものだ。

去る 1日から高句麗研究財団(理事長・金ジョンべ)とロシア科学院極東支部歴史・考古・民俗学研究所共同調査チームは、 クラスキノ城を発掘した。クラスキノはウラジオストクから南へ約 200km、中国延辺朝鮮族自治州の琿春から東へ 40kmの地点 にある村で、韓国でいえば里クラスの村だ。

発掘チームが初めてクラスキノ城跡 '34区域'の表土層を取り除くと、石列が現われた。 遺跡があると予想した発掘チームは 2〜3日に一度ずつ土砂降りになる悪条件にもかかわらず作業に拍車をかけ、去る 21日、ほぼ完璧な形態で残っているオンドル 遺跡を捜し出し、歓声を挙げた。

ゲルマン極東大教授 "クラスキノのオンドルは渤海と高句麗の継承関係を証明"


▲ クラスキノ渤海城でオンドルを発掘したエブゲニ・ゲルマン教授(キム・ギョンテ)

現場の発掘チーム長であるエブゲニ・ゲルマン(46) 極東科学技術大教授は "発掘されたオンドルは ''コの字形で、全長 は 14.8m、 幅は一番広い所が 1.3m、狭い所が 1m ほど"と言いながら "オンドルは二重になった '双溝'で、石を両側に立て、 上に平い石を乗せた典型的な高句麗式"という。

また炊き口 2ヶ所と煙を排出した煙突も現われた。オンドルがある建物跡の総面積は 50平米であり、現在 50cm位の深さまで掘 った状態だ。 発掘チームは一応、上から見る限りではオンドル遺跡の年代を 10世紀の渤海末期と推定している。

ゲルマン教授は "オンドル遺跡の出た所はクラスキノ城で最も高い所で、行政の中心地であったらしい"として、"したがって ここに住んでいた人は平凡な人ではないだろう"と推測する。

彼女は "クラスキノ城跡のオンドルは渤海が高句麗と継承関係があるということを明らかに証明する"とし、 "これからの渤海史 研究にも重要な資料になるだろう"と、この遺跡発掘の意味を評価した。

高句麗研究財団渤海チームのイム・サンソン博士は "日本が去る 1930年代に中国黒龍江省寧安市渤海鎮にある渤海の首都・ 上京龍泉府城跡を掘り出した時、オンドル遺跡が出た"とし、 "しかしその時のものは長さ 2.7m、 幅 1.5m ほどで、クラス キノ・オンドル遺跡よりずっと小さい"と説明した。

沿海州地域の場合、去る 1987年、ノボガルジェフスコエ地域でオンドルの跡だけが発見された。. 高句麗研究財団チョン・ ジェウン博士は "今度のオンドル遺跡は、ほぼ完璧な形態で発見された"として、 "今まで発掘された渤海オンドル遺跡の中で 最も完璧で最大のもの"と興奮を隠すことができなかった。

これ以外に、鉄製のシャベル・青銅製腰巻のバックル・上薬を塗って焼いた渤海陶磁器(渤海三彩)の破片・波柄がある土器片な ど 140点ぐらいの遺物が出た。

オンドルは韓民族の文化を象徴するものの一つだ。 中国・日本・契丹・靺鞨など周辺民族の中にオンドルを使う民族はいない。 2000年前、高句麗の初の首都だったホルスンゴル(中国桓仁県五女山城)にもオンドル遺跡がはっきりと残っている。

現在、中国に居住する韓国人はヒーターシステムを備えた現代式アパートに入居した後、別途多額のお金をかけてオンドル施工を する。 数千年も続いて来るほどに、オンドル文化の生命力は粘り強い。

2週間前、モンゴル地域の靺鞨遺跡を調査したアレクサンドル・イブリエフ極東歴史・考古・民俗学研究所副所長は "モンゴルの 首都ウランバートル西方のトルガン付近に 11世紀の靺鞨の遺跡がある"とし "ここからもオンドルが出た。 926年に渤海が滅び た後、契丹に連行されて行った渤海の流民たちが残したものと現地の学者たちは見ている"と伝えた。

中国、渤海遺跡を自国の世界文化遺産に登録する計画


▲ 去年 9月17日、中国人発掘団が黒龍江省寧安軒渤海鎮にある渤海の昔の都・上京城を発掘している。(キム・テギョン)

中国は東北工程を進めながら、高句麗史を中国史に編入させている。 また集安と桓仁にある高句麗遺跡を世界文化遺産に登録させた。

渤海史はさらに深刻だ。 渤海を '唐の地方政権'と規定した中国は、上京龍泉府遺跡を全て修復し、世界文化遺産に登録させる計画だ。

去年 6月24日、 <中国教育報>の報道によれば、中国国家文物局世界遺産処のワン・ダミンは、 '世界文化遺産青年論壇'という 会議で "これから数年の内に渤海遺跡、安陽の殷墟遺跡、雲南省にあるハニ族の階段式田畑などを世界文化遺産に登録する計画"と 明らかにした。 国家文物局世界遺産処こそが、中国が自国遺跡の世界文化遺産登録を直接管掌する所だ。

去年 7月 24日 <中国新聞>の報道によれば、黒龍江省旅行局のスン・ジャゴウ処長は "渤海遺跡を世界文化遺産として登録するため の申請書を既に国家文物局に提出した"と述べた。 韓国内の学界では、早ければ来る 2008年、中国が渤海遺跡を世界文化遺産に登 録するものと見ている。 2008年に北京オリンピックがあるため、中国政府が渤海遺跡の世界文化遺産登録をやや延ばす可能性はある。

中国政府が発掘作業をしているか、進行予定である所は、渤海の首都だった黒龍江省寧安県の東京城(上京龍泉府)、延吉近辺の西 古城(中京顕徳府)、琿春の八連城(東京龍源府) など 8ヶ所もある。 中国政府は発掘現場に公安員を配置するなど徹底的に外部人、 特に韓国人の出入りを統制している。

中国政府は来る 2006年まで渤海遺跡の発掘及び補修作業を終わらせるために、最少でも13億元を投入する計画であるという。 これは集安の高句麗遺跡整備に投入した費用 3億元の 4倍にもなる金額だ。

高句麗遺跡は平壌を中心に北朝鮮地域にかなり多くの数が残っている。 しかし渤海の場合、王城などの重要な遺跡地が中国に 集中している状況だ。 中国は去る 1960年代、北朝鮮とたった一度だけ渤海遺跡に対する共同発掘をした後、外部の学者たちの 接近を認めていない。

中国は渤海を巡る '歴史戦争'で、絶対的に有利な位置にあるわけだ。 したがって韓国内の学者たちが近付くことができる沿海州 地域の渤海遺跡で成果をあげることは非常に重要だ。 このような脈絡で見ると、今度のクラスキノ城から最大規模の渤海オンドル 遺跡を見つけたことは、より大きな意味を持つ。


▲ クラスキノ渤海城で発掘作業中の高句麗研究財団渤海チームの研究員たち。
左側から金ウングク博士、イム・サンソン博士、 チョン・ジェウン博士。(キム・テギョン)

(oh my news キム・テギョン記者 2005年8月25日)
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