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[社会] 歴史の中の記録、現実になる−白頭山定界碑

高句麗研究財団、白頭山定界碑の敷地を確認… ‘ニュースメーカー’去る 3月の位置予測‘的中’


▲高句麗研究財団が北朝鮮の学者たちと共に高句麗遺跡を調査した成果を発表しつつ公開した
白頭山定界碑跡地 にある表示石(後ろの白い石)と礎石(前の黒い石)

“白頭山定界碑の跡地は北朝鮮軍警戒所の横に位置していた。“ ニュースメーカー間島特別企画取材チームが本紙 615号(2005年 3月 15日) の記事で推定確認した白頭山定界碑の敷地の位置を高句麗研究財団調査団が目で直接確認 した。 7月 19日から 30日まで北朝鮮を訪問した高句麗研究財団調査団は “白頭山将軍峰を上る途中にある駐車場角 の北朝鮮軍警戒所の後に白頭山定界碑の敷地があった”と写真を公開した。

去る 3月、本紙が “将軍峰に上がる駐車場と北朝鮮軍警戒所の近所に定界碑があったことが確認された”と報道した 内容が実はそのまま現われたのだ。 この記事で間島特別企画取材チームは 1m級衛星映像を通じて駐車場、北朝鮮軍 警戒所、 定界碑推定地域などを正確に見せてくれた。 実際に北朝鮮地域を通じて白頭山を踏査さえすれば易しく捜す ことができる場所だった。間島特別企画取材チームは定界碑敷地の座標を北緯 41度 59分、東経 128度 5分と推正した。 衛亜(株)の衛星映像専門判読チームに依頼した結果だった。

土們江と鴨緑江の分水嶺に位置

これまで、白頭山を尋ねた韓国の訪問者たちがここを簡単に捜すことができなかった理由は、北朝鮮軍警戒所の裏手に あるという事実のため。 軍事地域に近付くことができないだけでなく、裏手に位置しているので、将軍峰に上る道の 上からは見られなかった。 それに白頭駅で、道案内役に行く索道(軌道列車)が最近あまり利用されないので、白頭駅の 近隣の駐車場に車が止まらず、直ちに将軍峰の下に直行するので、目立たなかったのだ。

高句麗研究財団が確認したところによれば、白頭山定界碑の場所には、現在、白い表示石(高さ 45cm、幅 25cmの四角柱) と定界碑を支えていた下敷石だけが残っている。 位置は行政区域上、両江道三池淵郡労動者区で、白頭山の下の駐車場隣 の北朝鮮軍警戒所の裏手だ。 金ジョンべ高句麗研究財団理事長は “北朝鮮が中国との外交トラブルを気づかったせいか、 表示石には何の文字も刻まれていなかった”と述べた。

定界碑の敷地の確認は定界碑を建立した 1712年の歴史的状況を事実そのままに証明することができた一大快挙と言える。 朝鮮と清、両国の国境線が定界碑が立てられた分水嶺で始まるからだ。定界碑の両側に位置した二つの小川は鴨緑江と土們 江で、土們江は松花江へ流れて行き、北間島全域を含む地域が朝鮮の土地だったことを明らかにしてくれる。 中国が主張す る豆満江の小川は、定界碑敷地から数十km離れた地域で始まっている。 中国側の主張が途方もないことを立証しているわけ だ。 高句麗研究財団ベ・ソンジュン研究委員は “今度の調査は定界碑が松花江の支流である土們江と鴨緑江の間の分水嶺に 位置していることを初めて確認したという意味がある”と述べた。

1945年の解放前まで関心の対象だった白頭山定界碑の跡地は、分断以後、位置さえわからない状況だった。間島特別企画取 材チームは去年、間島奪還キャンペーンを実施して以来、定界碑の位置をずっと探して来た。 定界碑は記録上、白頭山の最 高峰である将軍峰から東南へ 10里(4km) 離れた海抜 2200m の地点に位置したものと知られて来た。 18世紀以後の古地図 でも定界碑の位置が表示されている。 これまで、北朝鮮地域を通じて白頭山を尋ねた人々と接触、定界碑の敷地の位置を 噂をたよりに捜したが成果がなかった。 取材チームは日帝時代に製作された 5万分の 1 の地図と韓国内で出版された北朝 鮮地図に現われた定界碑の位置を衛星映像を通じて推定して行った。

手がかりを提供したのは北朝鮮で 2001年に刊行された長編紀行文 ‘わが国’。北朝鮮の住民・崔ソンジンさんが著わした この本には、白頭山定界碑が北朝鮮軍警戒所の後にあるという事実が書いてある。間島特別企画取材チームは衛星映像を通 じて鴨緑江から将軍峰に上がる途中と三池淵から将軍峰に上がる道が合流する地点の上に駐車場があり、駐車場の角に北朝 鮮軍警戒所があることを確認した。 定界碑がこの警戒所の隣にあるという事実が分かるようになったのだ。

KBSで放送したドキュメンタリー ‘最初の公開、北朝鮮から見た白頭山’も重要な手がかりになった。 北朝鮮を通じて最 初に白頭山に上る姿を撮影したこのプログラムは、中国の朝鮮族製作チームが製作した。 朝鮮族製作チームは駐車場で降り て定界碑の礎石をすれちがうように撮影した。警戒所の隣だから詳しく撮影することができなかった状況を推測出来る。


▲‘ニュースメーカー’ は衛星映像とドキュメンタリー画面などを通じて、白頭山定界碑の実際の位置を確認したことがあっ た。
関連記事が掲載された‘ニュースメーカー’615号。

“共同調査で定界碑も捜すべし”

最初、 TV 画面で見られなかった警戒所の姿は、写真の提供を受けるために KBSを訪問、原画面を見た瞬間、右側画面の隅に 現われた。 警戒所の屋根が一部分現われたのだ。定界碑の敷地が警戒所のすぐ裏手にあるという事実を確認することになった のだ。 定界碑の敷地の位置を推定確認すると、間島研究者である李イルコル博士(政治学)は “定界碑の敷地の位置を正確に推正 しただけでも大きな意味がある”と述べた。

衛星映像で推定確認した白頭山定界碑跡地は、高句麗研究財団の直接踏査で歴史の中の記録から現実の文化財として再び浮上した。 間島領有権の主張の確かな根拠である定界碑敷地を確認することによって、間島研究が活発になるものと期待される。 これまで、 間島領有権の主張に対して否定的な視覚だけにとどまった国内の雰囲気も好転すると思われる。

間島奪還運動本部・陸ナクヒョン代表は “何らの字も書かれていない表示石に白頭山定界碑敷地と名付けて入れなければならな い”と主張した。 北朝鮮はもちろん、韓国も中国との外交関係を考慮して無条件に不問に付そうと考えず、歴史考証作業に出 なければならないというのだ。

1931年に消えた定界碑を捜すことも一つの課題だ。 陸代表は “険峻な白頭山地域であるだけに定界碑を遠くまで移すことはで きなかったはず”と言いながら “南北が共同調査すれば、間違いなく近隣地域で定界碑を見つけることもできるだろう”と期待する。

定界碑建立当時、設置した石垣、木柵、土盛りの跡を捜すことも残った課題だ。 垣根の跡を追跡して行けば、朝鮮と清の境界に なった土們江の小川を捜し出すことができる。 間島特別企画取材チームは三池淵から将軍峰に上る道にかかった橋である ‘白頭橋’ の下の小さな小川が土們江上流であることを衛星映像を通じて最近確認した。 定界碑敷地の分水嶺の隣で発源した 土們江は、国境線であることを表示する垣根を挟んで、緩い U字模様の曲線を描きながら白頭橋を経て北に流れ、松花江に合流する。   

(京郷新聞 ユン・ホウ記者 2005年8月16日)
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