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[文化] 音楽と共に 50余年

著名な音楽家・安国民を訪ねる


▲ 著名な音楽家・安国民さん

3000回余りの歌舞公演を指揮し、延辺の歌舞と楽隊を国内外に名声が轟くまでにした安国民(75歳)、作曲に精進し、 立派な器楽曲や歌曲を創作することで、中国音楽界の最高賞である “金鐘賞”を 3回も受賞した彼は、朝鮮族の音楽家 の代名詞として通じる。

民族音楽の底力に惚れた作曲家

黒龍江省 密山県 永安鎮のある農民の息子として生まれた安国民は、幼い頃から音楽に特別な才覚を見せ、13歳の時、 教会堂で足風琴の演奏をした事がある。 演奏員として鶏林文公団に入団、3年後の1951年 1月に延辺歌舞団に加入、文公団 では民族音楽を継承発展させるため、民族楽器を兼ねさせながら彼に伽椰琴を学ばせた。その時まででも民族楽器は表現力で 西洋楽器に劣ると思った彼は、行き違いことを感じたねのの、伽椰琴で民族の旋律を奏でてからは、彼は胸をふるわせる民族 音楽のその底力に深く惚れこんでしまったと言う。 彼は伽椰琴でアリラン、陽山道、セタリョン、チュンチュンモリ、春香 伝の獄中歌を奏でた。 それとともに伽椰琴は音量が小さ過ぎて舞台公演では自分の独特の魅力をまともに活かすことができな い点を残念に思った彼は、鋼線で伽揶琴の弦を変え、もともと12弦だった伽椰琴に1弦を加える改良も敢然と試みつつ、1984年、 吉林省創作曲目評議 1等賞を受賞した伽椰琴組曲 “沈清”を創作、鄭鎮玉が作曲した “娘の黄色い パンソリ”など の歌伴奏で全国第3回音楽作品 3等賞も受賞した。 今までしめて 150曲余りの音楽作品を創作した安国民が延辺歌舞団に来て初 めて作曲した “井戸端の踊り”は当時、レコードに吹き込まれ、50年の歳月が経っても人々から忘れ得ぬ名曲として親しまれている。

芸術は生活を離れることができない。 安国民の “延辺を取り巻く国境”10周年献礼作品で、延辺では初めて節歌形式を破っ た芸術歌曲として我が省の文芸コンクールに参加し、中央レコード社で吹き込み発行した。琿春市敬信郷に行き、小さな車を走 らせながら、ある農民が楽しく吹く口笛のメロディーから楽譜を書き始めたものだという。

“密林は青い海、私は鴎”も公演のために来頭山、白河、小沙河一帯へ行き、果てしなく拡がる青い海のような一望無際の密林 を眺めながら、自分が悠然と飛び交う鴎になったような、こみ上げる感傷を抑えることができず、曲のアイデアが自然に浮び 上がり、 1984年に作曲した歌であり、 1990年に改作、2001年に “第1回中国音楽‘金鐘賞’”銀賞を受賞した。 彼が創作した 歌劇 “アリラン”は 1990年、全国歌曲作品コンクールで 1等賞を受け、 1991年国家文化部 “文化賞”大賞を受賞することで、 中国現代音楽史の里程碑のような作品として脚光を浴びている。

その外、彼の起想曲 “私の住んだ故郷”は “98年、“韓国交響楽祭”と 1998年 “第1回在外同胞ソウル芸術祭”で演奏され、 好評を博し、 2001年党創建 80周年を記念する交響音楽会で、中国交響楽団が演奏、聴衆の心の琴線に触れた。この作品は 2001年 “第1回中国音楽‘金鐘賞’”優秀音楽作品銅賞を受賞した。 延辺朝鮮族自治州創建 50周年にプレゼントした独唱曲 “チンダルレ(李得龍作詞) も 2003年 “第3回中国音楽‘金鐘賞’”優秀声楽作品賞を受賞した。

名高い指揮者

延吉につい先日来た時、延辺州党委で延辺歌舞団の公演を指示したが、楽隊指揮である鄭鎮玉先生が映画音楽の創 作で長春に行ったため、安国民に指揮を任せたことが、彼が後に著名な指揮者になるきっかけになった。 一緒に頑張って見 ようという真摯な練習態度で、楽士たちの不安心理を鎮め、後で公演が大成功を修めることが出来たが、その後、鄭鎮玉 先生は永遠に安国民に指揮棒を渡してしまった。

安国民は優れた指揮者になりたかった。 1956年、安国民はドイツの指揮者グスリンの指導で指揮を習い、1958年にはイワノ フとアノソフが指揮するモスクワ国家交響楽団の公演を通じ、彼らの情熱的で自由奔放な演奏の風格を消化、トスカニーニの 厳肅かつ果断性ある指揮の風格も学んだ。延辺歌舞団は安国民の時から必ず指揮者がいるようになり、延辺歌舞団管弦楽団は 徐々に全国に名前を馳せるようになった。   

(吉林新聞 リュウ・イルソク記者 2005年8月6日)
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