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[経済] 鶴崗市合発石炭有限公司・金日権董事長の創業実記


▲ 金日権理事長(前左)が坑夫たちとともに休息のひと時を過ごしている。 (リュク・チョルナム)

石炭の都市−鶴崗市には、裸一貫から 3千万元もの富を築き上げた奇跡的な創業に成功した企業家がいる。 彼こそが鶴崗市合発石炭有限公司理事長である金日権(朝鮮族)さんだ. 彼はここ10年来、ずっと現況に満足する ことなく一つ一つの新しい機会に挑戦し、企業をより大きな成功へ導いた。

今年、齢 50の峠にさしかかった金日権さんは 10年前まででも鶴崗市鉱務局 電処 両管理課の職員だった。上り 坂があれば下り坂もあるという如く、ひと時興亡した鉱業が 1995年度に入って不景気に直面すると、少なからぬ 炭鉱が相次いで閉山し始めた。彼の元部署も例外なく、給料すら適時に支給することができない情況に至るように なった。 この時、彼は思い切って職場生活をやめ、部署から譲り受けた1トントラック一台を引き受けて石炭運輸業 を始めた。 その時から彼は創業の第一歩を踏み出し、日夜を問わず節日にも休むことなく一日に一度ずつハルピ ンまで往復し、行く時は石炭を積み帰って来る時は空車代理運送をし、必死で走り続けた。そしてその時彼は、元 の職場から飛び出しはしたものの、相変らず元の職場との関係を切らずに主に元職場の石炭をハルピンへ運送し 、元職場で不景気のために運送費を適時に決栽してくれなくても借金を督促することなく代わりに帳簿だけはきち っと記帳していた。単位が存在している限り、帳簿さえあればいつでもお金を決済してもらうことが出来るというの が彼の計算だった。 ところが、一年も経たないうちに元の職場が不渡りを出してしまった。この時彼は、負債の代 わりに元職場の所属である地質大隊第2炭坑の経営権を渡され、優先権を持つようになった。この炭坑の不渡りの 原因が管理の問題だと言う事がよく分かった彼は、この絶好の機会を逃すまいと引き受けて出た。 そして採炭量 を向上するために胆大に資金 100万元を調達して貸し付け、老朽化した生産施設に対して全面的な更新改造を進 め、元々原始的な生産過程で半自動化を実現、生産量を倍に引き上げた。 これと同時に彼は坑夫たちの生産意 欲が低く、責任感が不足した状況を立て直すために、元職場で何ヶ月目か以上勤務した職員たちに借金した労賃 70万元を一度に計算して支払ってやった外、自分が請負った後の労賃基準をほとんど倍に上げてやり、中断されて いた採炭生産を再び回復した。 これ以外にも彼は管理上で非生産的な人員を減らし、生産の第一線に強化、分配 原則で生産定量制を実施して、販売における掛けを厳禁するなど、一連の効果的な措置を次々に立て、採炭量を倍 に引き上げ、欠損局面を一挙に払拭、翌年から毎年百万元余り純収益をあげた。

1998年度、鶴崗市順発炭坑が不景気のため競売されることになった。その頃、採炭業が相変らず全国的に低調期 にあった時だった。 この時にも彼はまた特別な市場観察力と漲る覇気、そして 3百万元の経済力で多くの競争者 を退けて入札に成功し、この炭鉱を手に入れた。彼はこの問題の炭鉱が損失を出すようになった原因と教訓をしっ かりと調べ、生産施設の更新と経営管理の改革に着手し、何年間も門を閉めた炭鉱の生産経営活動を一ヶ月ぶり に再び正常軌道に乗せ、欠損を消却して、翌年からは毎年おおよそ 2百万元余りの純収益を上げた。

彼はこのように他人が見向きもしない時に、他人達が出来ない時、その中に潜む成功チャンスを掴んで敢然と挑戦 した。 彼はこうした特別な経営理念と考え方を企業発展の全過程に貫徹させた。その何年か後、彼は続けて二つ の炭鉱を買受け、後にまた石炭洗浄工場と機械加工工場を建立して全て軌道に乗せた。 しかし性格的に現状に 満足することができない彼は、やはり成果に満足出来ず、 2000年度から石炭生産において最も基礎的で一番カ ギになる安全生産を、誰よりも早く重視し、次々と 7百万元の資金を投入して鶴崗市全体で一番の先進技術水準 に到達した自動コンピュータガス監督施設を作り、省と市の石炭管理コンピューター・ネットワークに連結して、採炭 生産で一番危険な安全問題を適時に効果的に防止した。 そしてさらに続いて生産工程の改善、生産技術の改造、 生産施設更新に 3百万元余りを投入して採炭、石炭運送、 石炭上下車などの作業に機械化を実現し、坑夫たちの 労動負担を大幅に下げ、作業効率を倍に伸ばすことで “人が主体"という企業理念をそのまま実践に移し、 “一流の 生産"という経営理念を確実に実現した。 この何年間、彼の炭鉱では毎年 10万トン余りの石炭を生産しており、 炭坑の一つ当りの生産量は当地で一番高く、1トン当りの採炭原価は最も低く、国に納める税金は百万元に達し、 常に上位を占めている。.

10年余りの艱苦奮闘を経て、今日の彼の固定財産は 3千万元と推定される。 彼のこうした奇跡的な事業実績は、 同業者たちを驚かせたばかりでなく、当地政府の好評と注目も呼んだ。そしてここ何年来、彼はずっと “鶴崗市優秀 企業家"、“興山区納税上位者"に評価され、現在、鶴崗市人代代表、興山区人代常務委員などの社会職を引き 受けており、彼の会社も何回も “鶴崗市安全生産先進企業"、“鶴崗市信用先進企業" などの栄誉称号を授与された。      

(黒龍江新聞 リュク・チョルナム、コ・ボムリョン、シン・チョルグク記者 2005年8月5日)
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