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[文化] サムルノリとともに生きる人



サムルノリの仲間を集めて、初めて延辺の空と地に楽しいサムルノリの舞台を披露し、今も後輩たちに サムルノリを伝授しながらサムルノリとともに泣き笑いしながら暮す人がいる。 彼こそが延吉市朝鮮族芸術 団器楽部部長の陳京洙(40歳)さんだ。

1990年、延辺大学芸術学院音楽教育専業を卒業した陳京洙は、延吉市朝鮮族芸術団に配置された。 彼は 学校時代、他人が皆休息している休み時間にも汽車で韋子溝から延吉へ通勤しながらアコーディオンとジャズ ブックを習うほどに打楽器に凝っていた。 延吉市朝鮮族芸術団に来た後、ジャズブックは事情によりチャンゴに した。 1991年、陳京洙が 27歳になった日、韓国に行って来たある教員が、韓国にサムルノリと言うのがあって、 本当に良かったと語った。 鼓、太鼓、ケンガリ、チンの四つの打楽器で楽しい民族調子を演奏するものだった。 サムルノリの楽譜を得るために色んな所を噂をたよりに捜す中、延辺大学芸術学院音響資料室に韓国のサム ルノリの録音テープがあるという話を聞いた。 陳京洙はすぐさま芸術学院に駆け付けた。 そして自分の懐をは たいてテープを買い、複製した。録音テープを聞かせながら質問しても、先輩たちは分からないと言う。楽譜にし にくく、演奏はさらに難しかった。 陳京洙は、当時、延吉市朝鮮族芸術団団長だった金声民先生を訪ねた。 そし て楽譜の作成を頼んだ。

金哲、金翔雲、千優、陳京洙の4人がサムルノリのチームを編成した。12平米余りの陳京洙の独身宿所が練習場 になった。 時は 5月、扇風機一つない部屋がとても暑く、彼ら4人は服を脱ぎ捨てタオルを首にかけてサムルノリを 練習した。 その年 7月中旬、韓国のサムルノリ芸術団であるマダンプンムルノリが延辺芸術劇場で公演された。陳 京洙達はもっぱら前の席に陣取り、首をもたげて熱心に見ながら目で覚えた。 韓国マダンプンムルノリ芸術団のサ ムルノリ公演は、陳京洙達に大きな啓発を与えた。 楽器からして違った。 我々の打楽器はやっと音が出る程度のも のだったのだ。 韓国のマダンプンムルノリ芸術団は、帰りがけにサムルノリの楽器を延辺に寄贈したが、いつの間に か京洙達に回って来た。この時から彼らは過酷な訓練をした。陳京洙は暇さえあれば宿所でサムルノリの練習をした。 朝 5時に起床すると、太鼓とドラから握り、食事時間すら抜いて練習に没頭した。 昼寝などは考えもしなかった。 周辺の家々からの不満が大変だった。 ある時は、耳が痛いと大声で叫び、石を投げつけられた時もあった。 そん な時、陳京洙は壁にぴったりくっついて投石の洗礼をしばらく避け、再び練習した。

1992年 8月、第3回延辺の夏芸術祭で、陳京洙達はサムルノリで舞台出演した。延辺で、いや中国の地で初めて 舞台に上がったサムルノリ、 ぶっちぎりの1等賞を受賞した。 その時から陳京洙のサムルノリは派手な受賞経歴を 積み始めた。 その年 9月、省文化庁と省群衆芸術館で主催した吉林省民間音楽舞踊試合で、陳京洙のサムルノ リが演奏 1等賞を、その年 10月、国家文化部とラジオテレビジョン放送局で主催した全国民間音楽舞踊試合で 優勝を、そして中国東北少数民族芸術団の種目として香港に行き、第14回アジア芸術祭に参加した。 そしてそ の翌年の 1993年 3月、中国少数民族芸術団の種目として韓国で公演、 8月にはロシアで公演した。 1997年 8月 、陳京洙と彼の仲間たちが企てた第1回延吉市朝鮮族芸術団民族器楽演奏音楽会が開かれた。 その外、また香 港、シンガポールなどの国で公演し、無錫市、洪湖市など国内の都市でも公演し絶賛を受けた。

陳京洙は 2002年 3月から 9月まで、自治州創立 50周年慶祝、大型広場文芸公演の中の民俗打楽種目芸術指導 を担当したが、あまり長く立ち続け、走り回ったため、腎臓下垂になってしまった。それでも彼は最後まで立ち続け、 立派に指導して延吉市政府から “貢献賞”を授与された。 延吉市朝鮮族芸術団のサムルノリ演奏は、他人が十数 回交替しようとも、陳京洙だけは今日まで頑張って来た。.

今、陳京洙は延吉市朝鮮族芸術団の打楽器講義をするほか、対外的にも打楽器の講義をする。延吉監獄で囚人 たちに人間教養の一環として音楽の勉強をさせるため、陳京洙がサムルノリを教えている。 彼は延辺大学の初の サムルノリチームを指導したりした。その時のサムルノリチームのメンバーだった李ヒャンファが、今は陳京洙の妻 である。 サムルノリが彼らの縁を結んでくれたのだ。 陳京洙はその外、さらに龍井高中に通いながら打楽器演奏 を教え、先日は黒龍江省五常市から人が来て、サムルノリを学び、また学びに来ると約束した。

弟子が何人ほどいるのかという記者の問いに、陳京洙は笑いながら “数えたことはないが、少なくとも何百名に はなりますね”と言った。 彼が養成した弟子たちのうち、チョン・ムンイル、金ヘグムなどは打楽器分野で活躍し ており、将来が嘱望される若い芸術人たちだ。 その外、延辺大学芸術学院音楽学部サムルノリチームは全国 試合で数回、 1等賞を受賞し、延吉市延北小学校のサムルノリチームは 2004年の全国試合で特別演奏賞を 受賞した。

“叩けば開かれる。叩けば見える。叩けば見つかる。 あらゆる知恵と真心をつくして” これが陳京洙が率いる延 吉市朝鮮族芸術団器楽部の座右の銘だ。 “サムルノリを演奏しながら我が民族の音楽がどれだけ偉大であるか を今更ながらに認識するようになりました。 サムルノリの楽器の中で、チャンゴとプクは地の音で、ケンガリとチン は空の音だと言います。 サムルノリは簡単なように見えますが、決してそんなことはありません。 最も深くて豊か な音楽こそがサムルノリです。 そして世界で最も豊かなリズムが、まさに私たちの長短調子です。 ですから、サ ムルノリというこの井戸を掘って掘って、掘りまくるつもりです。” このように語る陳京洙さんは、私たちの長短調子 は心をこめて打つとその心の音がし、音とリズム、調子が骨の中にまで沁み付いてこそ私たちの音楽を本当に分 かると言えると語った。それほどの打楽器の達人になるため “サムルノリ狂”の陳京洙が流した汗と傾けた努力 ははかり知れない。   

(延辺日報 キム・インソン記者 2005年8月5日)
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