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[社会] 朝鮮族自治州はただで与えられたものではない


▲ 延辺朝鮮族自治州初代州長だった朱徳海の記念碑は、延辺大学裏の公園に立つ

延辺朝鮮族自治州の成立を中国政府の恩恵授与だとする見解がある。 しかしそれは事実ではない。 延辺朝鮮族自治州は我が民族の血と汗で勝ち取ったものである。

延辺朝鮮族自治州は 1952年 9月3日 '自治区'として出帆した。 しかし 1955年 4月、自治州に格下げされた。 初代州長(行政責任者)である朱徳海は最初、吉林省の長白県と黒龍江省南部の寧安県までを含む '省級' 自治区を 考えた。 現在の延辺朝鮮族自治州の面積 4万3559平方kmの 2倍位になる広さだった。

しかし朱徳海は 57年民族整風運動の時、の自治区を構想したとして '地方民族主義者'との批判を受けた。 結局、 彼は文化大革命の時 '売国奴'、'北朝鮮のスパイ'との嫌疑をかけられ、粛清された。

ある在中同胞学者は、"抗日武装闘争が盛んだった時、満州地域の共産党幹部の 90%が朝鮮族だった"として、 "中華 人民共和国の樹立に朝鮮族は中国の 56の少数民族の中で最も多くの功績を立てた"と言った。 中国共産党に堂々と持分 を要求する権利があったというわけだ。

日帝敗北の後、共産党と国民党の間に内戦が起った時、満州で人民解放軍に参加した朝鮮族は 6万2000人だ。 当時の朝鮮 族全体人口の 5%にもなる。 中国政府が 1921年から 1982年まで活動した人のうち、烈士として認めた人が吉林省だけで 3万6000人だ。 このうち 1万4000人が在中同胞だ。 延辺の場合、烈士全体のの 93.8%が我が民族だった。

延辺地域は 1850年代まで 200年余りの間、清の封禁政策で、ほとんど見捨てられていた地だ。 しかし 1860年代から朝鮮 の人々がこの地を開拓し始めた。 畑作だけしていた漢族と違い、朝鮮族はこの地域で稲作をした。 稲作の限界線である 北緯 49度線を飛び越え、黒龍江省までこれを伝播させたのも朝鮮族だった。

(oh my news キム・テギョン記者 2004年10月18日)
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