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[社会] 高句麗研・会長職を退いた徐吉洙教授(韓国)




“中国集安を初めて訪問したのが 1990年でした。 朝鮮族青年の案内で訪ねて見た高句麗遺跡の規模は、想像をはるか に越えていました。先祖の気概を目で見ながら、高句麗研究に残った一生を捧げようと考えるようになったのです。”

徐吉洙(60) 西京大経済学科教授はそのようにして高句麗にのめり込み始めた。 1994年 ‘高句麗研究所’を設立して 本格的に高句麗研究に飛び込み、40回余り高句麗の遺跡地を訪問し、高句麗人の遺産をカメラに収めて整理した。 ‘高句麗研究所’は 1996年 ‘高句麗研究会’と名前を変え、高句麗に関する学問研究を本格化した。 中国政府が ‘東北工程’を通じて高句麗の歴史を歪曲しているという事実が非難されるしばらく前の事だった。

その間、静かに ‘高句麗の守り’の役目をして来た徐教授は、高句麗歴史歪曲問題が盛んに社会問題として浮び上がった 先月末、突然に高句麗研究会の会長職から退いた。 なぜか? “学会ですべきことはすべてしたという気がしました。 はじめから高句麗史研究を活性化させるための、飛び石の役目をしようと思っただけです。 既に政府の支援もよくさ れていますし、高句麗を研究する人々も多くなったようで…。”

彼は “初めて高句麗遺跡を見た時 ‘事大主義’を越えることができる雄大壮厳なスケールに惚れこんだ”と言う。 1980年代、日帝が全国に打ちこんだ楔を抜いて歩き回った ‘戦力’が物語るように、彼の高句麗研究も韓民族の気概を 守ろうという主旨で始まったのだった。

エコノミストである彼が高句麗研究を始めた時、学界の視線はあまり暖かくはなかった。 ‘無茶な’ 学問に跳びこんだ ものと映ったからだ。

“私の専攻は経済史です。 一生歴史を勉強して来ました。 ところでまるで私が全然関係ない学問をするかのように思っ ている人も多いですね。”

学界の先入観にもかかわらず ‘高句麗研究会’は去る 10年間、少なからぬ学問的成果を挙げた。 18冊の研究論文集を 発行したし、 国際学術会議も 10回開催した。 発表論文だけでも 250編を超える。 現在 100人余りの学者が会員として 参加している。

高句麗を自国の歴史に編入しようとする中国の動きがただならぬ状況だが、高句麗史をめぐって中国学界と ‘けんか’ をする場合、十分な ‘勝算’があるというのが彼の見解だ。 中国に比べて我々が研究者と研究成果などの資源をより沢山 持っているというのだ。 10日に開かれた高句麗研究会定期学術発表会で、彼は、高句麗史研究で博士の学位を受けた学者 が韓国に 32人いるのに比べて、中国には 2人に過ぎないという調査結果を発表したりした。 ただ中国が歴史の ‘帰属問題’ に研究を集中している一方、韓国は ‘当然国史’という考えで純粋な学問的研究のみをして来たという点が ‘気にかかる’ 課題だ。 彼は “中国が政府次元で高句麗史研究に没頭するからといって、予め恐れるのではなく、今までの研究成果を土 台に多様な次元の学術活動を倦まず弛まず展開して行かなければならない”と言う。

‘高句麗研究会’ 会長職からは退いたが、彼は高句麗史研究から手を放すつもりは全くない。“これから 5年の間は今まで 集めた高句麗関連資料を整理する計画です。 その後には他の勉強もして見る気持ちがあることはあるが…。” 彼が今まで 高句麗の遺跡地に通いながら撮った写真資料は、スライドフィルムだけでも 1万カット余りにもなる。 最近、中国政府が 主要な高句麗遺跡に対する韓国学者の接近に神経を逆立てている状況なので、彼の資料はなおさら価値がある。

彼が 5年以後に思う ‘他の勉強’とは何か? “停年退任以後には生死に関する問題を研究したいと思って来ました。 実はそれは知識というよりは知恵の領域です。 資料の整理作業が終わればチベットとインドを旅行する計画です。 今まで ‘詰め込む’ 勉強をして来たので、今度は ‘引き出す’ 勉強をしたいんです。”

▼ 徐吉洙教授は▼

▽1944年全羅南道和順生まれ ▽国際大(現・西京大) 経済学科、檀国大大学院修士・博士(韓国経済史) ▽1979年〜現在、 西京大経済学科教授 ▽1994〜2004年、高句麗研究会会長 ▽現在、高句麗研究財団理事 ▽著書 ‘高句麗歴史遺跡踏査’ ‘大陸に残った高句麗’ など

(延辺通信 2004年9月14日)
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