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[社会] 抗日女性烈士・南慈賢の魂、中国を彷徨う



《‘抗日独立軍の母’と呼ばれる南慈賢(1872〜1933、写真) 烈士の中国ハルピンの墓地が 47年前、 コンクリートの底に埋まってしまったことが遅ればせながら明らかになった。 このような事実はドキュ メンタリー写真作家である姜衛遠(55、慶一大写真映像学部) 教授が独立記念館韓国独立運動史 研究所の研究チームの資格で最近、中国黒龍江省一帯を調査する過程で明らかになった。》

26日、姜教授によれば、中国は 1958年、ハルピン市南崗外国人墓地一帯に文化公園を造成し、 縁故が明らかでない朝鮮人墓を全て取り壊した。南烈士は 1933年に死んだ後、ハルピン市南崗区 東大直街1号にある南崗外国人墓地の朝鮮人墓地にあるものと知られて来た。

当時、縁故のある朝鮮人墓は、ここから 20km 離れた皇山墓地に移葬されたが、南烈士の墓はなく なってしまったものと推定される。

ハルピンの中国同胞郷土史学者・徐明勲(74) さんは、 “現在の文化公園の中の子供遊園地の 端に南烈士の墓があった”と証言した。

現場を踏査した姜教授は “当時、朝鮮人墓地と並んであったソ連軍の墓地は、今も垣の中によく 保存されているが、朝鮮人墓地はなくなった”と述べた。

慶北英陽出身であるも南烈士は、義兵だった夫が日本軍と戦って死ぬと 1919年満州に渡った後、 西路軍政署 などで大活躍した。武装団体の統合と軍資金の調逹、安昌浩先生の釈放運動などに 音頭を取り、 ‘独立軍の母’と呼ばれた。

1932年、国際連盟調査団がハルピンへ来た時、指を切って調査団に送り、韓国の独立を訴えた 事は有名だ。 彼は 1933年 8月、日帝の傀儡国である満州国駐在日本大使を暗殺するために ハルピンに潜んでいたが、逮捕された後 “敵の飯は食べることができない”とハンストをし、15日後に 61歳で死んだ。

1962年、女性独立運動家としては最高の勲章である建国勲章大統領章が追叙された。 政府は 1967年ソウル銅雀区銅雀洞国立墓地愛国志士墓地(41番)に南烈士の家廟を作った。   

(東亜日報 イ・グォンヒョ記者 2005年7月27日)
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