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[特集] 若さ、機会と挑戦−華東地域の朝鮮族の若者達に聞く


▲左から、チョン・リョンキル、朴ソンイル、金リョンイル、韓チュングク、朴ヨンジュン、李康

天を衝くような超高層ビルと静かにその間に挟まっている伝統的建物、ここが世界に向けて開かれた中国最大の 商業貿易都市、上海だ。

上海は 1843年に門戸を開放し始めた、 150年余りの発展の歴史を持った “若い”都市だ。 改革開放により中国経済 の心臓部であると同時に関門と呼ばれる上海は、既に世界 500大企業のうち 450社余りの企業が上海に進出しており、 なかでも 86社の企業が本部を上海に設置している状況で、一人当り国民総生産額が 5642ドル(2003年)で 中国全体の平均水準(1090ドル)の 5倍を超過している。

このように日増しに変わって行く上海で、私たち朝鮮族の若者たちの活躍の姿が目立ち、私たちの取材も多忙になるしかなかった。

エリート層: 目標決めて機会狙う

李康(30歳)さんも上海に進出した数多くの我が民族の若者のひとりだ。 吉林大学商業学院証券投資学科を卒業し、 延辺にある証券会社に通っている途中、 4年前に内地へ進出、 最初は深の方を志向していたが、偶然に訪れた 上海に心がひかれ、結局上海に住みつくようになったと言う。

万国測評という国内最大の証券諮問会社に勤めた後、今年からは自分で事業を始めて上海申銀投資諮問有限公司を 経営している李康は、証券投資諮問の専門資格証まで獲得したエリートであり、上海経済放送局の第1財政経済チャ ンネルに専門家として招聘され、証券市場分析までしている。

“上海へ来るようになったのは単純に給与が高いとか視野を広げるということにとどまるのではなく、個人的に発展 する機会が多いだろうという気がしたからだった。 上海は必ずや中国の金融センターとして発展するだろうし、証券 サービス事業を目標に決心した。” 李康は上海進出当時の心境を打ち明けた。

“現在、証券業が最も低調な時期を迎えているからか、多くの人々が証券業で手を引いた手。 しかし逆境でも最後ま で続ける人だけが自分の専業に対して研究するようになり、精通するようになるのだ。 既に目標を定めた以上、成功す るまで諦めたくない。”

きっぱりと言う李康の表情には、若さの魅力が表れていた。

現代綜合商事株式会社の金リョンイル(30歳)さんも 1998年に上海に進出した “老上海”で、 大学で貿易を専攻した 彼は今までずっと貿易会社に勤めて来た。 金リョンイル氏は “中国最大の金持ちも 30代前半に過ぎないのだから、 私もそのなることが出来ないはずがない”と、今後貿易方面に良い品目を選定して、自分の事業を展開するのが夢だと 述べた。 まだ業務面で未熟なので、あまり急ぐ必要はないが、ある程度の人脈関係と事業関係が出来れば、すぐ実践 に移すつもりという金リョンイル氏は、事業成功の時期を 30代なかばに定めている。

上海自動車グループの金クァンチョル(33歳)さんも、元々韓国の自動車会社・双龍グループが深に設立した現地法人 に勤めていたが、上海自動車グループが双龍を引受合併するのに合わせて上海へ職場を移した典型的な事例だ。 金クァンチョル氏は “とにかく双龍の大部分の株式を中国企業で買ったから、韓国の現地法人より中国側の会社に 入った方が良いという気がした”と機会を掴むことが個人の発展で何よりも重要だと、かみ締めるように述べた。

中国人たちの中で実力を見せ付けたい

上海を中心にした華東和経済圏の消費市場規模は、中国全体の 22%を上回っている。 なかでも蘇州地区は生産と 貿易の基地として上海に結びついている、最も展望のある所として注目されている。

蘇州でも朝鮮族の若者たちは飛躍に備えて熱心に走っていた。

恒江集団で品質部経理職を担当している朴ソンイル(30歳)さんの周りは、皆が漢族だ。 どうして朝鮮族が多い 韓国の会社を厭うのかという記者の問いに、朴ソンイルは “私たちは言語の強みがますます失われており、 漢族をもっとはっきりと知るために、元々の韓国の会社を辞職することにした”として、漢族の長所を吸収して 自分の強みを活かし、自分の実力を試し、誇示したかった"と明らかにした。

“最初、ニンニク臭を嫌がる蘇州の人たちは、私が昼休みに持って来たキムチを食べる時に鼻をつまんで遠く まで逃げた。いつからか好奇心で一度試食してからは、もう手慣れたもので、パクパク食べ、私の食べる分が なくなる位にまでなった”という朴ソンイルは、漢族たちの中に我が民族の食べ物文化を伝えるのに一役買っ ていると冗談を飛ばした。

“恥ずかしい事だが、わずか 3年にもならない間に 25回も職場を移った”と言う朴ヨンジュン(33歳)さんは、 のんびりと仕事するのが嫌だからではなく、生存のかかる問題によって、多くの韓国企業で朝鮮族と韓国人の 間の矛盾が噴出し、ストレスをたくさん受けたことも原因の一つと明らかにした。 朴ヨンジュンさんは “私 も長期間、夜間作業で鼻血まで流しながら働いたことがある”と言いながら、今の 20代が自分の轍を踏むこと なく、あくまでも熱心に働いて自分の資質にふさわしい企業ならその業種に精通するまで倦まず弛まず学びな がら働いてくれるように要望した。

28歳の若さで独立して広告会社を経営し、時間を作っては朝鮮族サッカーチームと歌自慢活動も運営し、遠く 延辺から芸術団を蘇州に招待して公演を開いたりしたチョウ・リョンキル氏は、まさに茶目っ子だ。 延辺 芸術学院を卒業したチョウ・リョンキルは自分の趣味に合わせて今後も文化活動の分野で何かをしたいと言 いながら、時が来れば、文化産業面へ進出することにも挑戦したいと打ち明けた。

インターネットサイト、ハングル文情報誌を運営する他、ホテル、KTV、デパートも運営して自動販売機、 チョウ・ソンジョク(33歳)さんは一日一日を目がまわるほど忙しく過ごす。 といえども、朝鮮族の集まり には常に参加し、後援金も送り、活動を円滑に進行するようにしてくれるありがたい人だ。 韓チュングクさん は “他郷で我が民族が力を持つためには、団結するしかない”として、自分の微力なりとも朝鮮族社会の発展 に役に立ってほしいと打ち明けた。

上海におよそ 40年間暮しながら桑田碧海の過程を見守った朝鮮族の老先輩は、この地域に進出した若者達の資 質を高く評価、 この人々こそ真正な国際的な視覚で民族社会の発展を推進できる核心的な人物に成長すると指 摘した。 熾烈な競争、機会と挑戦の中で、今日を充実して暮しながら夢を実現して行こうとする、こんな若者 達と話しているうちに、記者は彼ら中から我が民族の未来を導いて行く卓越したリーダーが現われることを期待して見た。

確かな実力で自分の立場を確保せねばならない

6月 17日午後、上海のあるホテルコーヒーショップで、韓氏(本人の要求によって個人情報を公開しない)は、 およそ 2時間の間、取材チームと対座して上海の朝鮮族企業界の現況と未来像について対談した。

丸く平たい顔に精気あふれる活き活きした両眼を持つ韓さんは、口数の少ない方だった。 彼は上海の朝鮮族企 業界について次のように紹介した。

“朝鮮族の企業人は大部分が貿易業に携わっており、大多数が韓国の会社を相手にし、一部が日本の会社と取り 引きをしている。 サービス業が急成長したが、何年か前までは旅行飲食業者が 20軒余り、 今は 100軒を越え るようだ。 製造業に進出した人は多くない。”

“規模を見れば資本金が億台になる人はほとんどおらず、一部が 2000〜3000万元位で大部分は盛んに成長して いる過程にある。 まだ経済的な実力をつけなければならない。北京よりも進出時間でみても企業発展の面で随分 遅れていると思う。 この頃、アメリカにいる朝鮮人たちと連携して5000万元余りを投資して上海の一番の繁華街 である外国人集住地区に大きなホテルを建てる人がいると聞いた。”

分散した上海朝鮮族の民間の集まりを一つに統合する問題と関連して、彼はこんな見解を打ち明けた。

“統合問題を巡って多くの人々が努力をして来た。 統合されれば、我が民族の経済、文化、教育活動が活性化できる ということは誰もが知っている事実だ。 問題は周りに団結するに値する人物がまだ現われないということだ。 いまだ に大部分の企業人たちが上海に進出してから日が浅く、年も若く、発展の状況もまだまだであり、信望があって指導力 のある能力者や抜きん出た大企業を持つ人が現われないのが最大の原因だと思う。”

上海の民族教育問題と関連して、韓さんは “幾分成功した 30人余りの企業人が、多少の余裕があるので、朝鮮族幼稚 園、学校、文化センターなどの設立問題についてここ 2年間研究、 努力して来たが、政府の許可を受けにくいなどさま ざまな原因で計画を諦めた事がある。 あの時はあまりにも単純に考えていた”と言って、自分たちの力があまりにも微 弱だと慨嘆した。

上海の朝鮮族企業人たちの長所・短所について、韓さんは “今、上海で成功した人々を見れば、いずれも倦まず弛まず 熱心に働いて来た人々だ。 単身、韓国企業に就職して、初めには 400〜500元位をもらいながら働き、後に自分の会社 を作った人がいるかと思えば、食べ物配達、通りで羊肉串焼きを販売した後、大きな食堂を二つ三つずつ作った人もいる。 まさに血の汗した努力をして来た。 こんな優秀な人々には優れた点が多い。 しかし欠点も少なくない。 急いで仕事を成 功させようと思って、じっくりと事業を進めることが出来ず品目・分野をしきりに変えるなど、起伏が甚だしいなどの弱点 がよく現われる”と隠さずに指摘した。

韓さんは終りに “上海の朝鮮族はこれから経済的な実力をもっと育てなければならず、しっかりした経済力で我が民族の 位置を確固たるものにしなければならないでしょう”と強調した。

蘇州で会った善良な延辺娘

“延辺チョンガーのお嫁さんになるんです!”

蘇州でとても気立てのよい延辺娘に会った。

蘇州の有名な太湖の外れに位置した下山路の食堂街には、朝鮮族の飲食店が二つあり、その一つが “坡州苑”だ。

食堂の主人は和龍から来た 50代のおばさんで、3年前からここで食堂を経営していると言う。

この食堂は羊の串焼き、ヘジャンクク、冷麺など、あらゆる食べ物が延辺の味そのままなので、蘇州に住んでいる 朝鮮族と韓国人たちの中で噂が高いと言う。 大部分が得意先であるお客をにこやかに迎えたのが、可愛らしい延辺娘だった。

普通の体格に均衡の取れた体つき、丸くて福々とした顔に細い目、笑う時には細目を作って右の頬に笑くぼを立てる 可愛い彼女は、今年の 1月に食堂主人である祖母を手伝おうと蘇州に入って来て従業員として働くようになったという。 和龍市が故郷である彼女は 22歳、リム・ミョンイという。

お膳にあげた羊の串焼きを焼く彼女の手さばきはやや下手ではあったが、結構よく焼けていた。 ボーイフレンドがいるかと 言う問いに彼女はにこっと笑いながら受け流した。

“ないです。 まだお金も儲けなければならないんです。 もうすぐ食堂従業員が新らしく入って来たら、私は就職します。”

ぐずぐずしながら猫かぶるような子では全くなく、爽やかだ。

“ここに出て来て、世の中の見物もして手まめに働いて勉強しながらお金も儲けて、とても良いです。 故郷にいる村の 男の子たちにしきりに教えてあげても、言うことを聞かないです。 家でいつも何もせずに遊んでばかりで...”と舌打ち をするリム・ミョンイの姿は実にてきぱきとしていた。

蘇州には年若くしてお金もよく儲けて能力もある朝鮮族チョンガーたちが多いだろうに、お嫁に行くつもりはないのかと 聞いたら、彼女は “そんなお兄さんたちが多いですね。 またよく尋ねて来ます。 ところで私がここへお嫁に来てしまっ たら、どうなることか。延辺に結婚出来なかったチョンガーたちがどんなに多いことか。 娘たちがいなくなって結婚も 出来ず... 彼らが可哀想です...”

“私は延辺に帰って延辺チョンガーのお嫁さんになるんです!”

唐突な返事に驚きを禁じえなかった。 将来結果がどうなるかは言い切ることができないが、若くしてこんな殊勝 な考えを心に収めているというのが、まことに愛らしかった。

白くてふっくらと肉付きがよい両手に冷麺どんぶりを持って近付く彼女が、満月のようにきれいに見えた。

一つに統合して、交流を活性化すべし

上海味道株式会社チョン・サンウン代表の一家見

6月 17日、上海味道株式会社チョン・サンウン(56歳)代表は、自分の事務室で取材チームを迎えてくれた。

延吉市防暴電気器具工場で工場長として活動した後、 1994年に上海に進出、1997年から独立して会社を作り、 機械貿易、衣類貿易をして来たというチョン・サンウン代表は、 “中韓修交をきっかけに朝鮮族は 1990年代の 初めから上海へ少しづつ進出しはじめ、1995年から大量に進出したが、初めは通訳や中国駐在事務所で働く人々が 多かった。 そして一部の大胆な人々がチャンスを求めて単身ここへ来て水産物、ワラビ、豆などお金になる商売 は何でもやった”と紹介した。

彼は、現在の自分たちの集まりである東方サロンは故郷を主題にして組職された集まりだと言いながら、“20人余 りからなるこの集まりは、節日に家族連れで集まって休日などに一緒に観光に行ったり、難しい事をお互いに助け合い、 情を交わして故郷の懐かしさをなぐさめ、子どもたちに私たちの文化伝統を伝えている”と明らかにした。

チョン代表は “朝鮮族たちの民俗活動が多くの制限を受けているだけでなく、子どもも二人目を生むことができない。 特に子どもたちが我が民族の教育を受けることができないのが一番切ない”と言いながら、現在自分たちはやや小さな 朝鮮族幼稚園を一つ立てている状況だと紹介した。

“上海の多くの民間の集まりが一つに統合されなければならず、交流を円滑にできる情報センターも必要だ。 市政府が消極的な態度で出るなら、朝鮮族の文化活動に興趣を持って自分の区域の特色にする意向がある閔行区政府 とよく協力して上海朝鮮族の文化活動を活性化させるのが近道だと判断される。 これからそれなりの計画を持って 力が及ぶまで推進しようと思う。” 民族の文化活動と多くの朝鮮族民間の集まりの統合のために努力して来たチョ ン・サンウン代表の今後の計画だった。  

(アリランジャーナル チ・チォルホ、キム・リョンパ、ユン・ヒョンギュン記者 2005年7月2日)
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