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![]() [社会] 再び書く独立運動列伝−“遺跡、遺物、次第に消える” 明東村、長財村に住んでいる金ボムチュン氏(52)は最近、明東村の歴史を探る楽しみにハマっている。 彼は明東村を通う時はいつも不通の歩き方が出来ない。 足に引っかかる瓦の破片、壊れた碑石彫刻にも 目を注いで見る癖が出来た。 “これ見てください。 明東学校の敷地で拾った瓦なのに、ムクゲと太極旗文様が鮮かではないですか。教会 の跡地で拾って来た瓦には十字架が描かれています。” 金さんは家に立ち入るやいなや軒下に積んだ瓦を見せてくれた。 金さんは “ムクゲは明洞学校の校花だった ”として “瓦にムクゲ、太極旗を刻んだところで、明東村人々の民族精神が分かるのではないか”と問い返した。 これだけではなかった。 庭先の一方には、文益換牧師の祖父・文治正の碑石があった。 2002年、長財村と明 洞村の間に産業道路が建設された時、撤去された文治正の碑石を移しておいたのだ。 金ボムチュン氏は、金躍淵の傍系曽孫だ。 親等では 5親等だが、金躍淵の直系が皆韓国やアメリカ等に住ん でいるため、明東村では金躍淵の一番近い親戚だ。 そんな理由で彼は明東村で誰より金躍淵についてよく知っ ており、関心も高い。 長財村で生まれてずっとここで育った金さんが、明東村の歴史に目覚めるようになったのは圭巌(金躍淵)の曽孫 ・金ジェホン氏(57、京幾竜仁居住)の役目が大きかった。 圭巌と明東学校の資料を収集したジェホン氏は、韓中 修交の後、弟分であるボムチュン氏が明東村に住んでいることを知り、故郷を守ってくれるように頼んだと言う。 以後、ジェホン氏は随時、明東村に立ち寄ってボムチュン氏とともに資料を集め、 収集された資料を去る 1月、 韓国の独立記念館に寄贈して ‘北間島明東村、その生と独立運動’という展示会を開いたりした。金ボムチュン 氏はひととき農村に住みにくくて戸籍を龍井市へ移すなど離農を考えたという。 しかし彼は “兄(ジェホン氏)が ‘ 明東村を守ってくれ’と強く頼まれ、計画を変えた”として、 “今からでも明東村の遺跡保存にさらに積極敵に出る ”と言った。 “最近まで村に瓦の家がいくつかあったが、人が住まないのでその瓦の家を民俗博物館側で引き取りました。 皆、 圭巌爺さんの在世中にあった家なのに、 すべて文化財ですね。” 金ボムチュン氏のこのような消息を聞いて、明東村移住 1世代の文益換牧師の家、尹東柱詩人の家の人々が明 東村に立ち寄り、金さんに会ったりする。 最近はオーストラリアに住んでいる尹東柱詩人の姉である尹ヒェワン お婆さんが金さんの家を訪問した。 また文益換牧師の弟・文ヨンファンも明東村を回って来る 9月9日、文治正 の碑石を建てる問題について金ボムチュン氏と相談した。 この間まで 100世帯だった朝鮮族が今では 80世帯 に減るなど、明東村の昔の面影が消えるのが惜しいという金さんは、 “明東学校の嚆矢だった圭巌斎が早く復 元されればよいのだが”と韓国政府の積極的な支援を望んだ。 (京郷新聞 チョウ・ウンチャン記者 2005年6月27日)
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