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![]() [経済] ある30代が描く一人立ちの道のり 黒龍江省 黒玉野生動物養殖場 チョン・ヨングン経理の話 ▲職場に向かうチョン・ヨングン経理 阿城市玉泉鎮の西南の高い山の尾根には、中国の万里長城をそのまま真似して作った‘威虎山’と言う 公園があるが、養殖場をすぐ傍に持つチョン・ヨングンさん(39歳)は、 1000m余りになるその険しい石段を 上がるのをとても楽しんでいる。 休日なら多くの遊覧客がここの ‘長城’に集まって来るが、僅かに何層だけ上 がって諦める人、 山を中腹ほどまで上がって諦める人、我を張って山頂まで上る頑張り屋の人々の姿を見物するの が面白いのだそうだ。 ちょうど市場経済と言うのは、舞台の上で限りない数の人間が生活と富のために競争して格闘 する姿を見るような感じがすると言う。 その限りない人波の中で、自分が立つ場所も考えて見ながら... 一人立ちスタート 1991年、 ハルピン水利単科大学を卒業したチョン・ヨングンは、松花江地区水利設計員に配置された。仕事も待遇も、 大学の同期生たちの中では一番良い方だった。 ところが独立志向の強い彼は、二年経つと ‘出勤族’の生活が嫌になっ た。 誰かがさせる仕事ではなく、私の考えで何か出来ないものか? こんな悩みを繰り返した。 何よりもまずは手元にお 金がなければならなかった。 ところが、早く結婚をして、父が病気で世を去ってから尚志市 亜布力鎮にいる母まで連れて来 た彼には、何もなかった。 思案したあげく、彼は韓国への出稼ぎを選んだ。 1994年秋、職場に辞表を出して、そのまま 韓国に発った彼は、知識人としてではなくソウルの下積みの労務者になって、毎日土ぼこりの中で格闘した。 それでもお 金を稼ぎたいという気持ちから、後には夫人まで連れて行った。 そうして韓国に 6年、 彼は血と汗を流して数十万元と 言う大金を手にした。 玉泉の魅力 何をしようか? 2000年春、 韓国から帰って来た若い夫婦はおびただしいプロジェクトを比較することで慌ただしかった。 ハルピンで飲食店も何回かやったという豆腐工場に興味を抱き、取引にも入ったが 200万元と言う投資が手に負えず、諦めた。 そんな時、阿城市玉泉鎮にある韓国人が何年間か熊、鹿、きじなどの野生動物養殖場を作ったものの赤字になり、門を閉めて去 ろうとしているという情報を得た。 それで玉泉養殖場の考察に出たが、韓国人が 200平米余りになる養殖場の建物をただで貸し てくれるという条件もさることながら、それよりも阿城市政府の優遇政策が判明した瞬間(阿城市では、養殖業の発展を重視して、 凡そ養殖業経営者たちには所得税を免除するなど、さまざまな優遇政策を実施している)、 これこそ、逃すことができない機会と 思ったのだ。 チョン・ヨングンは阿城市と省関係機関を訪ね、野生動物養殖の許可手続きを踏む一方、暇を見て東北林業大学の図書館に 行って ‘野生動物飼育学’などの関連書籍を読みあさり、また周辺の熊飼育場を見学して、身体で飼育技術を覚えた。 自 信感が湧いて来た。. 彼は資金 30万元余りを投資して、熊 10匹を買い受け、養殖場には専門担当者 2人として退職した しゅうと、妻の母を送って、ハルピンには妻と妹を専属販売員とした。 こうしてチョン・ヨングン名義の事業場が作られたのだ。 大いに異なる二つの顔 韓国へ行きお金を稼いで来た若い夫婦が、一つの都市に住む東西の家に遊びに行くのにタクシー費 20元を節約するた めに幼い娘を抱いて10分ほど歩いた後、17番バスに乗って駅に降り、また 59番に乗り換えて通うと言えば “朝鮮族にもそんなが人いるのか?”と両目を丸くする人が少なくないだろう。 チョン・ヨングン夫婦がまさにそんな人 々である。 ハルピンにあるチョン・ヨングンのアパートは養殖場で生産した熊肝商品を加工販売する加工工場であり販売本部で もある。 そしてハルピンと玉泉の間を一日中行き来しているのに、彼はいつも汽車もしくはバスにだけ乗って通う。 自家用車一台ほどは買える状態には既になったが、車があれば 1年に消費が 2万元は増えるので、まだその気はないそう だ。 そうかと思えば彼の嫁の家には自家用車があり、彼が思いのままに使うことができるが、特別な事情がない限り絶対に その車には乗らない。 ハルピンから玉泉まで汽車賃は 7元、 バス代が 11元で、車を運転すれば、道路税とガソリン代が往 復 100元は充分にかかるからだ。 “節約して使うと資金の蓄積になります”と彼は言う。 ところがこれほどにお金を惜しむ彼が、特に飼育する熊が食べる餌にだけは、全くお金を惜しむことができない。 彼の言葉 通りだと、熊の身から出る肝汁がまさに商品であり、凡そ商品と言えばまずは質が良くてはじめて市場から歓迎されるという のだ。 この養殖場の熊は毎日間違いなく蜂蜜2瓶、 鶏卵 2つにリンゴ、にんじん、 牛乳パウダー、キャンディーパウダーを 主に食べる。 熊一匹当たりの 1年間の食べ物だけで 6000元は必ずかかる。 そうして算出した熊肝は、また専門機会にて濾 過し、ゴミを全てとり除いた後、乾燥器にて乾燥し、熊肝カプセルにして売る。 それを低質の熊肝と比べて見ると、肉眼 でもずっと透明で光沢が出ることが判るので、質と共に薬効も、一度服用して見た顧客はその後は得意先に変わるようになる と言う。 “商品の質と信用は私たちの養殖場の生命ですね” と、正しい話だけ書けといわんばかりである。 彼の熊肝カプ セルは、市場での売れ行きが良く、ハルピンに続き徐々に大連、青島、 北京、牡丹江等に販売代理店を置き、立派な配達サ ービスも構築している。 成長する夢 一人立ちを実現したチョン・ヨングン氏の夢は、養殖場の規模拡大と熊肝を深層加工して系列薬工場を立てることだ。熊肝 も深層加工をすると固定された市場確保と共に大変に大きな収入が期待され、そうすれば一つの薬の品目番号を獲得するだけ でも数百万元の資金が入ると言う。 しかしつとに実利を求めてその準備を急いでいるチョン・ヨングン氏の表情には、その 夢が近く実現するような自信感が漂っている。 (黒龍江新聞 パク・イル、キム・ドンギュ記者 2005年6月7日)
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