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![]() [特集] 加里峰洞の朝鮮族タウンは消えるのか? 自発的帰国のインセンティブを提示。デジタル団地の造成発表で同胞、商人たちが続々と離脱中 去る4月6日午後遅く、ソウル九老区加里峰1洞に住む宋ヒスさん(70)は軒下に ポツポツと落ちる雨粒を眺めていた。遼寧省に残して来た次男のことを考えているのだろう。 韓国語を流暢に駆使する宋さんは海外同胞1世だ。 “3歳の時、遼寧省大連市に行った。だから戸籍は韓国にある。 2003年に韓国に来て国籍の申し込 みをした。 2週後には住民登録証が出る。そうすれば中国にある末の息子(40)を招待できるから良いことは良いでしょう。” 現在、宋さんと一緒に暮す長男(50)は、彼女より2年先に密かに韓国に入国した。いわゆる‘不法滞留者’ となるわけだ。宋さんは2坪余りの小部屋が鈴なりになった、俗称‘蜂の巣ハウス’で部屋一つを借りて不 法滞留者の息子と二人だけで住んでいる。賃貸料は保証金なしで家賃15万ウォン。部屋の大きさが他 の蜂の巣に比べて少し広いが、ボイラーもないのに家賃は高い方だ。 TVと食膳を抜けば二人が横たわるのも難しいほどの狭い空間で生活するが、彼女はまもなく住民登録 証が出るという期待にただ楽しい気分だ。そのためか幾年間のねぐらの役目を充実に果たしてくれたこ の蜂の巣が取り払われるだろうという‘予定された話に対しては、話すことは何もない。蜂の巣が取り払 われれば、彼らが一団となって住んでいる加里峰洞朝鮮族タウンももはやなくなってしまう。 “ここが取り払われれば、他の所へ行かなくてはならないでしょう” “先月、家賃を払う時、家主が来年にこの町内を崩すから、その時までずっと住めば私たちにもお金 が出ると言っていたが、私たちがどうしてお金がもらえるのですか?そのまま私たちをつかまえておこう と思っているようです。私たちはここを取り払われれば違うところへ引越ししなくてはなりません。” 家主が宋さんをつかまえておこうとするのにも理由がある。加里峰洞朝鮮族タウンに拡がる‘帰郷アリラン’ のためだ。法務部は3月21日、国内滞留中の同胞が自発的に帰国すれば一定期間後に再入国すること ができるという‘同胞自発的帰国プログラム’を作り、施行する予定だといきなり発表した。中国同胞などが 合法的に国内に滞留することができる道を開き、不法滞留者量産を阻むという主旨だった。 また3月20日以前に出国した人々には、一種のインセンティブを与え、出国日基準で通常1年以後に入国査 証の発給を申し込めるようにしていたのを、6ケ月経てば査証発給申し込みが可能になるようにすると明らか にした。政府のこうした方針が伝わると、ここ加里峰洞朝鮮族タウンに滞在する中国同胞たちが、引潮のよう に去り始めたのだ。 加里峰1洞でウリ不動産を経営する金ハクジェさんは、“政府の今度の措置で蜂の巣ハウスが賃貸物件 として溢れ出した”とし、“加里峰1洞、2洞だけではなく、加山洞と大林洞、禿山洞一帯に鈴なりになっている 蜂の巣ハウスも事情は同じ”と明らかにした。 加里峰洞朝鮮族タウンを脅かしていることは他にもある。加里峰洞を取り囲んで空を突くように聳えている デジタル産業団地のためだ。政府では2006年まで1団地8万坪をベンチャー専門団地に、 2団地12万坪を ファッションデザイン団地に、 3団地34万坪は知識産業団地として造成するという中長期プロジェクトを発表した。 今まで取り払われた‘蜂の巣ハウス’560棟余りに達して 過去、九老工業団地60万坪に入ったアパート型産業団地には、既に高層ビルが林立している。 ‘九老工業団地’という名前は‘ソウルデジタル産業団地’という名前に変わった。1団地から3団 地まで造成されたこの産業団地が、加里峰洞の蜂の巣村をかこんだ形であるため、団地の造成以 前からここの蜂の巣村はいつかは取り払われなければならないということが既定事実になっている 。既に隣近の九老洞一帯の蜂の巣と零細住宅は、‘九老再開発区域’に指定される事によって、 去年10月に全て歴史の中に消えた。こうして取り払われた蜂の巣が、560棟余りに達した。九老区 地域均衡発展団の金ドクヨン事業3チーム長は、“まだ具体的な方針は出来ていないが、早けれ ば来年上半期にソウル市から地域均衡発展促進地区に指定された加里峰洞の蜂の巣村撤去を 始めようと思う”として、“現在、デジタル1〜3団地で外国人のバイヤーをたくさん誘致しているが、 人々が相談するとか生産品を展示する空間もまともにない状態”と言った。 ソウル市と九老区の計画通りであれば、最後に残った大型‘蜂の巣村’の加里峰1洞の中心部は、 ホテルやコンベンションセンターなどの業務支援施設が、周辺部にはオフィステルなど住居施設が入るようになる。 加里峰2洞もやはり都心型住居密集地域として再開発される予定で、南部循環道路は都市の美観を考慮して 地下に入って行くようになる。加里峰洞の中心だった加里峰五叉路も、十字路に整備される事によって加里峰 十字路と名前を変えるようになる。 加里峰一帯の建物主も一日も早く再開発が着手されるように願う。朝鮮族の同胞たちが大挙して抜け、 賃貸需要がなくなり、町内がスラム化しているからだ。それに建物に欠点があっても今の状況では補修もできない。 加里峰洞で‘床屋おじさん’で通じる水晶理髪館・金シクォンさん(59)は、こんな状況を思えば万感がこみ上げる。 彼は加里峰洞で30年間、理髪師として働いて来た‘九老工業団地の生き証人’である。 “初めは公団で働く、いわゆる工員達が主な顧客だった。高ければ彼らは来る事が出来ないから、 整髪費が1500ウォンだった。そういえばこのごろの整髪費も5000ウォンだから、大して上がったわけでもないね。 それでも当時は結構儲かったよ。” 1964年、ソウル九老区と衿川区加山洞一帯に60万坪規模で造成された九老工業団地は、国内の工業団地第1号だ。 70、80年代‘漢江の奇蹟’もまさにここから始まった。しかし安い労動力を土台にして纎維や縫製など の労動集約的な軽工業製品を主に生産していたが、90年代に入り、急激に競争力を喪失し始めた。 当然‘工員達’も抜けるしかなかった。そしてその空席を補ったのがまさに中国同胞だった。特に加里 峰洞は中国同胞たちには約束と集まりの場所として機能した。家族と離れてたった一人で韓国に越え て来た男やもめたちは、ここのカラオケのコンパニオンたちを訪ねては憂さ晴らしをしていた。 金さんは“IMF以後に朝鮮族たちが大挙入って来て、家主たちや商人たちが結構稼いだ”として、 “それさえもあの人々がここの景気をこんなに引っぱってくれたのに、現代式再開発がやむを得ない 時代的潮流だと言っても、時間を置いて少しはゆっくり進めてやってほしい”との願いを打ち明けた。 加里峰一帯の商人たちは、とかく不満の声を、まもなく‘商人連合会’という団体を本格的に出帆させて 一ヶ所に集めるだろうと明らかにした。金イルソン商人連合会執行委員長(46)は、“ベンチャー団地が 入るのは一応望ましいことだと思う”としつつ、“ただ今までここで生活していた我々の同胞たちや商人 たちが、ずっととどまることができる空間も一緒に用意するべきだ”と述べた。 “朝鮮族のための小型住宅村の用意を” もちろん九老工業団地がデジタル産業団地に様変りしたことで、周辺の環境が大きく改善しているこ とだけは明らかな事実だ。何よりも、みすぼらしい蜂の巣村がきれいな現代式の建物に変わるというこ ともあり、薄暗い工団のイメージが国内先端産業の中枢地域に生まれかわるようになるという事実もある。 ただ、ここのむさくるしい零細住宅と蜂の巣で少なくとも共同体を成して暮した中国同胞は、果してどこに 行かなければならないか気にならざるを得ない。ソウル中国人教会の崔ファンギュ牧師が指摘するのもまさにこの部分だ。 “ホテルも良くて公園も良くて娯楽施設も良いが、彼らに対する対策もなしに追いやるだけではいけないと 思う。ここ加里峰洞でも200万の中国同胞が自然に小さな共同体を成して韓国社会に同化される機会を持ったが、 もう彼らはばらばらに散らばるしかないのではないんでしょうか。” 崔牧師は続けて、“再開発をしても彼らが集まって暮すことができる新しいスタイルの小型住宅村を用意してあ げたらと思う”と言う願いを打ち明けた。もちろん彼のこんな望みが資本の論理の前でどれだけ説得力を持つ のかは分からない。 (ニュースメーカー チェ・ソンジン記者 2005年4月15日)
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