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[特集] 同胞生活の現場報告書(1)


▲いつどこにいても味噌甕なしには生きられない我が民族(ユン・ヒョンギュン記者)

民族文化共同体の新しいメッカに生まれかわる


▲日々新しくなる牡丹江朝鮮族風情街

11日、取材車が汪清県を脱して牡丹江地区に至ると、不意に降って来た暴雪で道路は 一面の雪に包まれた。中国最北端の行政区域黒龍江省に入ったことを実感した瞬間 だった。

取材チームが吹雪をかきわけながら到着した都市は牡丹江市で、朝鮮族がおおよそ10 万名暮している地区だ。牡丹江市内の朝鮮族の人口だけでも4万名に達し、散在地域 ながらも相対的には集中している地区で、朝鮮民族の生活現場をうかがうことができ る機会を持つことになった。

牡丹江朝鮮族芸術館の韓東杰書記によれば、今年、牡丹江市3期3次人民代表 大会の決議を経て現・西長安通り 西3条から西11条まで長さ1900m(総面積10万平方 m)の距離が、朝鮮族風情街として正式に改称された。記者が西3条通りから見た “朝鮮族風情街”と大きく刻まれた巨石は、長く伸びたこの通りが朝鮮族風情街 であることをはっきりと示してくれた。

通りの両側にあちこちで見られる朝鮮語の看板は、記者の目を楽しませてくれたし、 退屈せぬようにとばかりに聞こえて来る聞き慣れた朝鮮語は、取材チームが故郷を 発って黒龍江省に来ているという事実を忘れさせもした。

韓東杰書記は、もうこの街が新しい企画と修繕を経て、牡丹江市の名物通 りとして投資誘致を活性化し、都市の品位を向上する上でも貢献するだろうと意味あ りげに解説した。韓書記は現在、牡丹江の朝鮮族文化事業は経費難に直面している と率直に述べ、今後はもっと多様な活動を組織して政府からの資金援助を確保したい と打ち明けた。

午後3時半、取材チームが牡丹江市朝鮮族小学校に到着した時は、ちょうど子供たち が下校する時間で、友達同士集まってぺちゃくちゃ喋りながら下校する生徒たちで校 門は一杯だった。

子供たちは近所に停車していた私たちの取材車に付けられた“延辺日報”という字を 見て、不思議そうに私たちを囲んだ。取材チームが資料保管用に撮影したビデオカメ ラを意識したいたずらっ子たちは、猫も杓子もレンズの前に集まって来てVサインを 見せたり舌をベロリと出して滑稽な顔をしてケラケラ笑ったりした。子供たちの天真 爛漫な湖水のように清くて深い両眼に、取材チームは我が民族の未来の明るい面を見 出すことができた。

調べによれば、牡丹江市朝鮮族小学校と中学校には、1800人余りの学生が勉強して下 り、学校を取り囲んで農村の朝鮮族たちが大量に都市に進出していて、市内の朝鮮族 人口はむしろ増加している趨勢だ。去年一年だけでも400戸余りの朝鮮族家族が牡丹 江市内に定着し、朝鮮族風情街が位置した地区の人口4万人のうち1万3000人が朝鮮 族で構成されていた。

牡丹江地区は牡丹江医学院院長、市政協副主席が朝鮮族であり、少数民族として地域 社会での位置を確保していた。我が民族の生活の新しい基盤で、 21世紀民族文化共 同体の新しいメッカとして生まれ変わることを祈って取材チームは牡丹江を後にし た。

綏芬河の今日を見て、琿春の明日を描いて見る


▲綏芬河鉄道通商区で購入物資を確認しているロシア商人達

ロシアから輸入する原木の半分が綏芬河通商区を経て中国に入って来る。人口5万名 に過ぎない北方の小都市にふさわしくない輸入量だ。

道路と鉄道を通じる出入国人数は、日平均5000人、 300台の大型トラックが毎日綏芬 河を出入りしている。一人当たり国民生産総額も、2万元をはるかに越え、北京、天 津のような大都市を超越しているし、主要な街並の1平方m当たりの分譲価格は3万 元を上回っている。同じ鉄道と道路の通商区を兼ねている延辺の琿春とは比較もなら ない統計数値が出る。今年にはさらに200億元という大変な資金が綏芬河自由貿易区 に投入される。我が琿春がどんなに急いでも、いやロケットに乗ったとしても綏芬河 に追い付くことが出来るかという危惧すら覚えた。

名前を名乗りたがらないある朝鮮族男性(綏芬河居住16年)の李さんは、こういう。 “琿春にも行ったことがあるが、ロシア市場に売るほどの品物が見られない。図体の 大きなロシア人達は、琿春市場をすべて歩き回っても彼らの体に合う服類をいくつも 選べない。ましてや夥しい量の貿易活動は想像もできない。”“これ以外にロシア商 人達との信用問題にも延辺人たちは随分と遅れている。多くの延辺商人たちはロシア 商人が現地の実情をよく分からない弱点を利用して詐欺を働くものもいるが、好まし くない。綏芬河人は、場合によってはロシア人達がお金を直接任せて帰り、品物を配 達してもらうようにするほどに信用関係を確立している。”

綏芬河での朝鮮族商人たちも、去る90年代の初めには出国人数の60%以上を占めるほ どロシアビジネスでの“先駆者”として残っていたが、現在はさほどでもない。大部 分の朝鮮族は分散的な貿易により大規模な展開をせず、市場競争から退き、漢族はお 互いの間の丈夫なネットワークを形成して大部分の貿易領域でしっかりと地盤を築い ている。綏芬河に長く居住しているという李さんは、その原因を漢族たちはひとりが 商売をすれば家族、親戚友達、甚だしくは町内人たちまで付いて来て、ビジネスが難 なく開かれて気軽に事業を展開して行くことができ、貿易経営でスケールメリットを 形成することができたのだと推察する。

綏芬河には“妻がなくとも暮らせるが、長靴なしには暮せない”と言う諺がある。そ れほど綏芬河の昔の道は泥だらけで歩きにくかったという話になる。この言葉を外地 人たちが揶揄すると、綏芬河の人々は“それは10年前の話です”と否定する。私たち 琿春人も10年後ならばもっと豪快に笑って外地人たちにこのように言ってやれるよう になることを期待したい。

さわやかな朝鮮族富裕村

一人当たりの収入4000元、去年8人の大学生輩出

取材チームはハルピン地区阿城市料甸満族郷に珍しくも紅新セマウルという純粋な朝 鮮族村があるという噂を聞いて、とうとうこの村に駆け付けた。

村は道一つを隔てて他の村と隣り合っていた。隣村の慌しい風景とは全く違った道の 名前まで表示した小ぎれいにまっすぐに伸びた村道は、この村が農村であることを忘れるほど だった。村の入口に朝鮮語で“紅新セマウル”と書かれた村標識と朝鮮族の村特有のさわやかな 色相に塗った壁、トラックで朝鮮語で叫びながら遊び回る子供達が目立ち、親近感がいっそう加わった。

紅新セマウルには1979年、荒涼とした原野に朝鮮族村の建設を企ててから今日まで、朝鮮族 だけが一団となって暮しているとソン書記は自慢げに紹介した。現在この 村の131世帯、796人の村民中、一人が嫁入した漢族の女性で、その外は皆朝鮮族だ。 一人当たりの収入も4000元を上回り、料甸郷その他村はもちろん、市内の人々も嫉妬する ほどに豊かな生活をしていた。マイカーを持つほどの村民も多いという紅新セマウルは、 阿城市の文明村鎮模範地点、全国美徳農家活動の模範として注目されるようになり、韓国の金泳三前大統領もこの村を訪問したことがあるという。

阿城市内にある朝鮮族の小学校、中学校との距離は通勤車でわずか10分、村にいる46人の生徒 の教育にも差し支えはなく、去年一年だけも8人の大学生が出た。満族郷の朝鮮族村!それも他民族よりずっと裕福な生活を享受する紅新セマウルこそ、私たちのすべての朝鮮族村が模範としなければならない鑑ではないかと思った。

この村の主要経済収入源泉は、他の村と特に違わない農業収入、違うといえば営農方式が 機械化水準が高く、緑色食品生産基地として有名だということだ。.村 では対外出稼ぎも積極激励し、田を代わって管理してくれて子たちも村全体が心一つになって 面倒を見る。精米工場を経営して米を売る農家もあり、運輸 業など副業も怠らないここの村民たちは、生活が楽しいと口を揃える。 一丸となって団結した民族共同体意識が、生活の柱となって経済力を高められるという有力な証拠だ。

慶尚道村の“和龍花嫁”

阿城市 料甸郷 紅新セマウル ロ・サングク、キム・スンヒ夫婦の面白い生活

“会計は聡くて真面目で、ハゲ山に追い出してもうまく暮らせる人です.”

“性格が活達な妻も同じです。”

阿城市 料甸郷 紅新セマウルでの取材で、ソン書記は、ロ・サングクさんを を何度も誉めた。

普通の背丈でちょっと痩せ気味、引き締まった顔に清くて精気溢れる大きな目を 持ったロ・サングク(33歳)さんは、とても人なつこく見えたし、初対面でも旧知でも相手を 見る時でも物を言う時でも、いつも顔全体に笑みが溢れていた。

取材を終わらせて村のソン書記と会計ロ・サングクさんと共に、シレギゲタンを食べながら 話題はロ・サングクさんに集まった。

“あ、そうそう、そういえば会計の奥さんは延辺の嫁さんですよ"

“ええ?!”

一同は驚きを禁じ得なかった。ロ・サングクさんは頭をちょっと下げ、黙ってほほ笑むだけだった。.

“本当ですか?延辺のどこのお嫁さんですか?”

私たちの矢継ぎ早の質問に彼は、“そうです。和龍の人です”と答えた。 興味津々の私たちが“いつ?どうやって会ったんです?”と息をつく間もなしに聞くと、 彼はただにこにこしてお酒をしきりに勧めた。

お酒を一杯飲んでから、うら恥ずかしさが消えたのか、こちらが黙っていても“私がすべて 話しましょう”と二人の恋物語を語り始めた。

“1998年に北京へ行った時、天津にいる友人の家に立ち寄ったが、そこで会うように なって2日間滞在する間に馴染みになり、北京に一緒に行くようになりました・・・。”

ロ・サングクさんは、その時彼女が先にトランプで遊ぼうと自分に話し掛けて来たと いう部分をことさら強調して言った。その時天津にいる親戚の家に遊びに行った和龍 市街地の娘キム・スンヒがロ・サングクを先に気に入ったということ明確にしておこうという暗示だったのか・・・。

“その年、延辺の花嫁がこの村に嫁いで来た後、誤解を受けて非常に苦労が多かったのです。 そうですね、北朝鮮から渡って来た花嫁だといって、実家はその日から上層部の疑いを受け、数次にわたって調査を受けている途中、2年前に娘の一歳の祝いに和龍から親たちが来てからは疑われないようになりました。”

“私の家内は男性的な性格なので、真面目だし何でもしっかりとやり遂げます。今もっぱら金儲けに注力してますが、妻さえ真面目ならば良い暮らしが出来ますよ。”

“今は家におりません。車を運転して市内へ行きました。”

彼はすぐに携帯電話で“和龍花嫁”に連絡した。故郷の人たちが来たから早く家に帰って来なさいと・・・

私たちは“和龍花嫁”に是非会おうと、ロ・サングクさんと一緒に村の入口に陣取って待った。 故郷を遠く離れて不慣れなここに来て、里の人々皆から褒められ、親孝行で、真面目で 慎ましやかに幸せに生きて行く彼女に会わなくては、到底このまま立ち去れないとの思いであった。

赤い小型ワゴン車が村の入り口の私たちの前へ来て止まった。ロ・サングクさんが近付いて一言 二言したら物言いも慶尚道物言いに変わってしまった“和龍花嫁”がにこにこ笑って私たちに近付き、 有り難うと握手して来た。

一年に二回ほどはご主人と一緒に二歳の娘を連れて故郷に行って来るという “和龍花嫁”は、取材車が村を離れるまで手を振って故郷人たちを見送った。立ち去 る私たちの心は名残惜しい限りだった。ご主人と一緒に有機稲作をして、自動車運輸業も して、また姑と一緒に味噌作り売りして、一年に家庭純収入を8万元余りずつ あげ、去年160平方mの新居もしっかりと作り、人を羨むこともなく生きて行く彼女が誇らしい限りだった。

生命科学研究の星


▲熱心に指導する李玉花院長

李玉花、東北林業大学に生命科学学校創設

14日午後3時、李玉花女史は優しいほほ笑みを浮かべて、朝鮮語はすべて聞き分け ることができるが言葉は下手で申し訳ないと言いながら、とても温かく記者を迎えてくれた。

“私が幼い頃、お母さんが釜で米を炊きながら‘数えきれないほど多くの白米の中で 良い米はひと目で判るね。人も同じで、この白米の中の良い米のようにならなくてはならないと!’ とよく言ってましたが、私はこの言葉を胸深く刻んだのです。”

地味な身なりに知性美をたたえた李玉花女史が幼少の頃を思い出して感銘深く言った言葉だ。

何の仕事をするにも最高、一流になりたかったし、日本へ留学して、研究に携 わった時代にも最高の給料をもらったし、3回も科学研究最 高賞を取ったし、研究成果が国内外の注目を集める彼女は、“今、私は母の教えたこ とが私の成長、学習、研究事業でどんなに大きな役目をしたのかを今更感じています。 ”

思いきり平気な口調に理路整然とした話を聞いて、また彼女のたおやかな姿を 見て、記者は彼女の人並みはずれて深い探求精神と不断の努力に感嘆した。

李玉花女史は胸に手を当ててこう言った。

“私は今まで自分が中国に住む朝鮮族であることを一時も忘れたことがないです。 いつも自負心を感じたんです。私に悠久な中華民族の文化と優秀な朝鮮族文化 がお互いに融合され、朝鮮族の血が流れていたから今日があるようになったのだと思いま す。そうでなかったら私は今日のこの席に座っている李玉花ではなかったと思います。”

“中国に住む朝鮮族だと言って私たちは絶対に卑下する気持ちを持ってはいけないで す。私たちはこの社会を正確に認識して、誰よりも頑張り、努力して自分を強くするこ と”と指摘しながら、彼女は現在我が民族が経験している胸の痛む現実、変わり行く価 値観及び民族教育、家庭教育などにこの上なく大きな関心を見せた。

いつのまにか窓の外の校庭には、深い闇が立ち込めて、街燈が点けられた。李玉花 女史が、記者や皆が、時間の経つのを忘れたのだ。

李玉花女史は私たちの手を握って“同胞、生の現場報告で取材活動”はま ことに意味深いことと言いながら、我が民族の文化発展に大きな貢献をするよう祈 るとしきりに言った。東北林業大学の校庭を発って、私たちは延辺、 いや中国朝鮮族の立派な娘で、この大学で生命科学学校を建てた創始人で院長である李玉花 女史の明日が、さらに素晴らしい成果につながることを心の中で切に祈った。

李玉花、女1961年4月生まれ、吉林省敦化出身、現・東北林業大学生命科学院院長、 森林生物工程学科と発育生物学学科教授、博士生指導教師、花卉生物工程研究所所長、 黒龍江省花卉協会常務理事、中国園芸学会高級会員、日本園 芸学会と植物育種学会正式会員。

1979年9月から1983年7月、延辺農学院果樹学学科。

1994年6月から2000年6月、日本東京大学 農林水産省 野菜茶業研究所博士の後、合作研 究員、日本科学技術庁博士の後、研究員、日本学術振興会特別博士研究員。

日本、韓国、ベルギー、オランダ、カナダ、アメリカ等で学術交流活動。

2000年7月、東北林業大学に勤務。

主要成果

国家8.5計画いちご育種果品種の開発。

いちごDNA分子表式の研究。

東北林業大学花卉植物工程研究所、生命科学研究院設立。

各種論文28編発表、科学研究成果2件、

2件の発明特許獲得。        

(アリランジャーナル チ・チョルホ、キム・リョンパ、ユン・ヒョンギュン記者 2005年3月19日)
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