xxxxxxx
朝鮮族通信 中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト Search by Google:
ホーム 朝鮮族概要 地域紹介 政治 経済 歴史 観光 ショッピング コミュニティー お問合せ



[社会] 中国同胞首席代表、朴ボンファ会長 (韓国)

“気楽に働くける日が早く来てほしい”

多くの人々が、自分の話を文に書けば何冊かの長編小説が出るはずだという。そんな大そうな人が どこにいるのかといえば、ここ中国同胞会の朴ボンファ会長の人生こそ、まさに小説的だ。

それなのに朴会長の印象にはそんな陰がない。朴会長に初めて会ったのは、在外同胞新聞社で選定した ‘今年の人物’表彰式場であった。今年の受賞者である中国同胞を代表して授賞式に参加したが、 短いながらも奥深い受賞所感で同胞会会長というタイトル、そして表情が明るく見えて印象的だった。 九老洞外国人労動者病院に彼女を訪ねた。

朴会長は現在、労動者病院ボランティア奉仕者として働いている。そして同じ所にある中国同胞教 会伝道師としても働いている。


▲ソウル九老洞にある中国同胞教会と外国人労動者病院の建物

先に病院の話から始めた。 “去年7月に開院してからもう9ケ月になったわけです。その間多くの外国人労動者、兄弟たちがここへ 来ました。まだ足りない部分がたくさんありますが、追い出されたり虐待されたりしなければならなかった 私たちを抱いて磨いてくれる、こんな空間があるということに感謝感激のようですね。”

九老洞の陸橋のすぐ下の優雅で淡白な5階の建物が外国人労動者病院だ。 5階全体を使っているが、 前述のとおり、病院建立の父である金海性牧師の中国同胞教会と共に入っていた。

1階は事務室、 2階は病院診療室、 3階は入院室、4階は講義室と憩い場、 5階が礼拝室、内科専門医の 李ワンジュ縛士が院長を引き受けており、3人の医者4、 5人の看護婦さんたちがボランティアをしている。

“私がしている事は受付から漢族兄弟たちの通訳、入院患者たちの面倒を見る看病まで何も決まった ことがないです。忙しい時はやたらと忙しくて、多くの人と接しているといろいろなことがあるが、 大きなやりがいを感じています。”

国内唯一の外国人労動者病院、冷遇と差別に悲しい思いをした、体が痛くても病院さえまともに捜す ことができなかった彼らにとって、この空間は千軍万馬の味方であるのは想像に難くないことだ。

“今までおよそ2千名が診療を受けました。中国同胞が多くのパーセントを占めることは事実だが、 東南アジア、西南アジア、中東出身の人々もよく訪ねて来ます。その中にはここの医療陣の真心のこもった 治療により全快して出た方々も多いが、大きな病院に移した患者たちもいて、その中には治療の 甲斐なくここで世を去った患者たちもいます。”

この病院で亡くなった人々は、たいてい肺と肝臓が悪かった人々だという。大部分、中国同胞であった。 難しい環境に自分らの身の面倒を見る暇がなかったからだと言いながらも、自分のことのように悲しんだ。

“ここで世を去ると、私たちの牧師様が一番苦労します。牧師様が病院車の運転手の役目もしていらっしゃる ということをご存じでしょう?その車に死体を乗せたのは、1、2回ではありません。死骸が積まれていれば霊柩車、 死骸を下せば牧師様のマイカーではないですか?” 病院建立と運営が普通の仕事ではないということは見当がついたが、金牧師の苦労はやはり認めなければならないだろう。

霊安室が他にないから、1階のトイレで死骸を拭き、解剖検査までするという。そのせいか、1階トイレに漂う 妙な臭いが、今更ながら妙な気持ちで感じられたことも事実だ。 ここには1百名余りの同胞が寄宿している。いろいろな事情で自分らの居所を確保することができなかった 同胞たちの憩い場としても活用されているのだ。このごろ病院は、安いの診療費を受けているが、憩いの場は 宿泊皆無料だ。景気も悪くて取り締まりも厳しく、働き口を得ることができなかった同胞たちが寄り集まって来るが、 寝泊りしたり食べたりする場所としては決して良い方ではない。

“それでも無いよりははるかにマシですよね?行くところもない私たちみたいな人を食べさせてくれて、 寝かせてくれて、また痛ければ治療してくれて、死ねば葬礼まで弔ってくれる、そんな所があるということに、 本当に感謝しますよ。実は中国朝鮮族の同胞たちが、こちらでなにしろ迫害と冷遇を受けたから、よく言う 反韓感情が少なくないのが事実です。しかし金牧師様みたいな活動家がいて、こんな施設でも用意したから、 そんな悪感情も 相殺することができますね。これからこんな施設、機関がたくさんできたらとというのが私たちの大きな希望です。”


▲安ドンイル論説委員長(右側)が中国同胞の家4階で朴ボンファ中国同胞会会長と話を交わしている。

本当に感謝してしてやりがいを感じる朴会長を見ながら、むしろもっと良い環境と施設を作り上げることが できなかったことに対して、また朝鮮族の同胞たちにどのように接したのかを思いながら、申し訳ない 気持ちにならざるを得なかった。 朴ボンファ会長の履歴は、まさに朝鮮族同胞たちの履歴でもあり、処した状況の典型だ。延辺自治州 出身である朴会長は、去る99年、貧しい身一つでソウルへ来た。 6年目に入るが、食堂の下動きから家政婦、 そして病院の世話役など、して見なかった事はないほどに多くの事をした。去年、一括救済措置の時は どうにか不法滞留身分は免れたが、来る5月末までに自発的に出国しなければならない。それで心配が多い。

朴会長は65年生れだ。延吉から白頭山へ行く道にある長白という村で生まれた。 “両親ともに中国籍を取得せずに最後まで北朝鮮籍で暮しました。母の話によれば、母方の祖父は独立軍を かくまったという理由で日本軍に鴨緑江辺で殺されたといいます。 元はと言えば私みたいな人こそ同胞に 認められなければならないのに、実際においては両親が北朝鮮籍だったために、むしろ多くの困難がありました。” 彼女は自分の苦労話を披露するのに全く憚ることがない。

“父が 11歳の時に亡くなり、それに母が体の具合が悪かったため、妹まで含めた三人の家族がどれだけ 苦労したのか分からないです。女一人で幼い娘二人を連れて山村に住むのは不可能だったから、母は その痛い体でも隣のサピョンという村に嫁ぎました。継父とまたそこの子たちと経験した葛藤も、少なくな かったです。すべては貧しかったからなんですね。” サピョンで中高等学校を終えた彼女は、暮らし向きのため進学など思いもよらず、裁縫技術を教えてくれる 職業学校に入った。あの頃は人民学校5年、中学校3年、高等学校2年という課程だったので、18歳だったわけである。

ところがそこで病気にかかった。その頃中国山村の職業学校の施設というのが、殺風景な造りで、冷たい床に、 湿気に満ちた所で何日も過ごしていると、全身の肌に湿疹が出来、腐って行くひどい皮膚病にかかったのだ。 “何もできなかったです。足がぶくぶく腫れて、歩くこともままならなかったです。病院でも何も打つ手がないと 頭を振るのでした。友達が背負って家まで送ってくれたんです。”

あの時に助けてくれた友達が、朝鮮族の友達ではなく漢族だったことが記憶に新しいという。家とはいっても、 なにしろ難しい家庭事情で、また継父の嫌がる気色が見えたので、すぐ後に母と荷物をまとめて、嫁いでいた 姉が住んでいる輝南に移って静養した。

信仰の力で重い病気が治ると、彼女は熱心に働き、教会の仕事にもさらに積極的に出た。その頃中国政府は 宣教の自由は認めなかったが、信仰生活自体は黙認したそうだ。

“病んだ嫁を見ても嫌な顔一つしない舅、姑様たちのために、何かしなければならなかったです。私の病気を 治すために作った借金が問題でした。それで決心したのがにソウル行きでした。” 旅券手続きでビザ発給にかかる費用などが問題だったが、教会の友人たちが出て解決してくれたし、他人なら 何年もかかるという手続きを27日だけで終えて、ソウル行きの旅客船に乗ることができた。

こんな彼女にとって、最も大きな試練は法務部の取り締まりだった。 “よく通った食堂で、取り締まりがひどいから何日間か休んでくれ、と婉曲に解雇通知を受けた時は、目の前が真っ暗 でした。有り金すべてはたいて中国に送る日々でしたからね。” 幸いにも病院の世話役の仕事は取り締まりがひどくなかった。彼女は看病する患者を自分の親友のように思って 真心をつくした。自分も経験した痛い人の心情、同病相憐の気持ちがあったからでもあった。

3年前、彼女は夫もソウルに呼び入れた。二人が力を合わせて少しだけ手網を引けば、借金も清算して舅姑と 子たちのためにも、結構しっかりした生活基盤を作り上げることができるという希望があったからだった。

“夫もサッシを作る工場で熱心に働きました。今思えばあの時が良かったです。夕方ならば二人が新婚のように 楽しく過ごしたんです。”


▲朴ボンファ中国同胞会長

しかし自由ニ往来できないビザの問題は、彼女に大きな問題を投げかけた。 2003年秋、その優しかった舅が世を去ったが、再入国の可能性が不透明だったため、 彼女は故郷へ行くことができなかった。幸いにも夫は合法滞留だったから行くことができた。 ところが今は夫が問題だ。まだソウルにいるのに、雇用許可制に縛られて、もう何ヶ月も仕事探し が出来ないまま家にいるだけというのだ。

夫は一応、今月末に出国をする事に心を決めたと言うが、彼女達夫婦はすべてのことが同胞法 改訂にかかっていると言う。 “是非、自由に往来して思い通りの職業を持つことができる、そんな 日が来たらと思います。そんな日が来るでしょうか?”ドイツやイスラエルの場合を見れば、 当然の話ではないかと思うが、この話をする朴ボンファ会長の表情がどこか決まり悪そうに 見えると感じたのは、記者の勘違いだろうか?   

(延辺通信 アン・ドンイル記者 2005年3月16日)
Copyright(C) 朝鮮族ネット