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[文化] 中国サッカーの風雲児が帰って来た!

民族精神を高揚する延吉サッカーファン協会



延辺のサッカーファンたちはまだ記憶に鮮やかだろう。 2000年12月初に延辺サッカーチームが 浙江緑城サッカークラブに売られて行く時、涙に咽んだ延吉空港の哀れな姿を・・・延辺サッカーチームが 全国サッカー甲級チームから乙級チームに脱落した後、財政難でやむなく‘南方’に売られる不運に見舞われた。 自分の子を育てることができずに‘養子’に出す延辺というこの地、この親たちの心は如何なものだったのか。

‘愛する弟を失いました’

延辺サッカーチームが浙江緑城サッカークラブに売られ、遠征への旅に出た2000年12月初の延吉空港、 優に数千名のサッカーファンたちが雲のように集まった。悲痛と寂しさで感極まった心で嗚咽するサッカーファンたちは、 止めどもなく流れる涙で延辺健児たちを見送らなければならなかった。延吉サッカーファン協会会長の柳長春 氏は、あの時のその胸の痛みまだ慰めることができず、‘長年、延吉サッカーファン協会副会長と して活動して来た金鍾黙氏(1957年生まれ)が肝臓癌末期の身で空港に出て涙で延辺チームを見送ってから、 その悲痛に打ち勝つことができず、そう、72時間後にこの世を去ったんです’とすすり泣きながら話した。

その金鍾黙氏は生前にカラー印刷工場を経営しながらサッカーファンたちの統一服装印刷、 各種彩色期印刷を無料で担当した人物だった。彼は延吉サッカーファン協会の副会長でありながら、 資金難に喘ぐ協会のために延吉市西市場へ行って金3〜5元ずつの協賛を受け、不足した資金にあてたりした。 彼は肝臓癌との診断を受けてからも民族サッカーに対する私心なき情熱で延辺サッカーチームに民族精神を 高揚するために東奔西走したのであった。

柳長春会長は手ずから金鍾黙氏の遺体に服を着せて、‘安らかに逝きなさい弟よ・・・’と、 彼の遺言によって遺灰を延吉競技場に振り撤いたと言う。

‘本当に愛する弟を失いました’人力車夫から教授、警察官も

今の延吉サッカーファン協会は‘系図’でいえば第2代協会だという。 1990年代初盤から延吉市の 布爾哈通河の河畔には三々五々、サッカーファンたちが集まり始めた。当時、そのあたりには延辺 サッカーチームの訓練場があったが、毎回選手たちが訓練をする度にサッカーファンたちがこの場 に集まり始めた。それで世間では彼らに‘川べりサッカーファン’という微笑ましい称号をつけてくれた。 これがきっかけで柳長春氏は1997年度に社団法人延吉サッカーファン協会を設立した。 現在この協会は会長に柳長春氏を、常務副会長に高元哲氏(延辺園芸材料有限公司社長、 修士生)を副会長に、許憲氏(許憲歯科院長)とソン・ギョンチョン氏(工場長)で構成された会長団 を中心に、500人余りの正規会員を確保している。会員には人力車夫がいるかと思えば大学教授、警察官たちもいる。

協会、中国サッカーの黒い疑惑除去に率先

高元哲副会長によれば、1997年度から延辺サッカーチームは上海での遠征競技で 審判(チン・グククァン)の誤った判断で1対2で敗れ、成都での遠征競技でも審判(デ・ウグァン)の 出たらめな裁定で0対6で大敗した。こんな惨めな現実を前に、この協会は先後二度‘中国サッカー で唯一の少数民族サッカーチームである延辺サッカーチームをこんなに差別しても良いのか?’ という提訴書状を中国サッカー協会に送ると同時に、アジアサッカー協会にも送った。協会では また2万〜3万名になった群衆を率いて、堂々たるデモ行進を断行すると同時に、高元哲 副会長が直接、延辺ラジオ放送に出演して中国サッカーの非理を手厳しく糾弾した。ついに中国 サッカー協会では謝罪文を発表し、こんな事が二度と起こらないように措置をとることを約束した。

厳密な組職体系を取り揃えて

柳長春会長は‘2002年韓日ワールドカップの時期にソウルへ行ったが、 市民が先を争ってサッカーファンの服を買うのを見て、サッカーは単純な競技ではなく、 民族精神の具体的な表現’と意味深長に語り、しかし延辺で多くの人がサッカーが好きだがポケットを はたくとなるとケチになると言った。高元哲副会長は‘中国200万朝鮮族同胞の中で、 中国朝鮮族科学技術者協会が名実共に朝鮮民族の代表的な科学技術団体だとすれば、延辺サッカーチーム は単純に延辺内のサッカーチームではなく中国200万朝鮮族のサッカーチームだ’と言った。高副会長に よれば柳会長は会社の収益金を全部協会運営に充当、今までずっとそうして来たと言う。

この協会の掛け声は‘朝鮮民族の発展と延辺サッカーの発展のために’で、この掛け声こそが目的であり ゴールだと言う。この協会には‘サムルノリチーム’、 ‘管楽チーム’などで構成された表現チームが 猛烈な活躍をしているが、人々が演奏する‘アリラン’、 ‘ソウル賛歌‘、‘チョングドンワン歌‘、 ‘トラジ’などの音楽は毎回競技がある度に観衆たちを興奮のるつぼの中に導く。

この幾年間、延吉サッカーファン協会が先頭的にサッカーファンを導いて進んだため、去年のように 中国サッカー舞台で観衆が盛り上がらないにも、延吉競技場は2万〜3万名余りの観衆たちで溢れ、最高は 4万名余りに達したと柳会長は説明した。

応援に皆が参加しよう

長年、競技がある度に少なからぬ黒龍江省の朝鮮族サッカーファンたちが延吉に来る、と柳会長は 説明した。しかし協会も運営して行くとなると資金が必要だ。毎年ホームグラウンドでの競技が13回、 遠征競技が13回あるが、延辺サッカーチームが遠征競技で寂しくボールを蹴ることを十分分かっていても、 資金難で応援に行くことができないのが実情だ。柳会長によれば、少なからぬ会社が延辺サッカーが 発展しなければならないと言うものの、応援のために協賛してくれと言えば躊躇する、と惜しがった。 幸いにも2003年に延吉ビール工場で4万元を協賛し、2004年にまた4万元、延辺世紀グループでも4万元 を協賛して応援の環境が回復したと言う。紹介によれば入場、道具準備、楽隊運営、車などの運営で最低で 毎回8000元余りの資金が投入されなければならないのに、ホームグラウンドでの競技を13回だけしても 10万元余りの資金が投入されなければならないので、とてもではないが遠征競技場への応援までは意欲が出せないと言う。

今年はまた延辺サッカーチームが甲級リーグに復帰した初年度なので、資金がたくさん必要なことは明白 なことだ。それでこの協会会長団は朝鮮民族の士気を高めため、延辺サッカーの動産再起のために延辺は もちろん、東北3省、さらに一歩進んで散在する地域の企業人、理事、幹部たちも暖かい後援の手を差し 伸べてくれることを切に望んだ。

(黒龍江新聞 ユン・ウンゴル記者 2005年3月10日)
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