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[社会] 安重根義士埋葬の推定地、旅順を行く

眠れぬ魂、墓の跡もなく



松林の生い茂った山は放置されて捨てられていた。松の枝をかきわけて10分位上がると、いつのまにか 頂上だった。高さ100mにも満たないと思われる低い丘は、監獄を屏風のように巡らし、その中に眠った 無実の魂たちを収容するには充分なスペースだった。 去る25日、在中同胞ガイドは山の下の自動車に隠れ、“中国公安に見つかれば皆おしまい”といって、 “早く下りて下さい”と叫んだ。中国遼寧省旅順(=大連)は、軍港を持つ港湾都市で、外国人の出入りが 禁止されている。伊藤博文を暗殺して東洋の平和を守ろうとした若い魂は、故郷に帰ることができずに95年経った 今もこの地を彷徨っている。目をあげて南側を向くと、港越しに見える渤海湾の青い波が手にとるように近かった。

1911年に撮った写真の中にある松林、住宅に立ち入って 全面的に発掘すれば発見される可能性も

安重根は32歳の年齢でここ向上街139号元宝坊‘旅順監獄’で死刑になり、後方の山‘囚人墓地’に 葬られた。彼は1910年3月26日午前10時3分頃に絞首され、12分後の10時15分頃死んだ。絞首台の上 で“東洋平和万歳!”を叫ぼうと思ったが看守たちが阻んだと伝えられる。二人の弟に遺言で“天国へ行っても 国権回復のために努力する”と言い残した。命を失った日、夜明けから早い春雨が降ったという。

満州で発行された1910年3月27日紙<満州日日新聞>を見れば、 “安義士の弟である定根と恭根が 遺体返還を要求したが、日本に拒否されて泣きながら帰途についた”と言う内容がつぶさに書かれている。 日本は安重根を殺したが、彼に対する恐れまで振るい落とすことはできなかった。墓の周りに人々が集まることを恐れた 日本は、家族に墓の位置さえまともに知らせなかった。

襟をただして丘陵をかきわける歩みが苛立たしくなった。これまで95年もの間、安義士の遺体発掘 は、韓中日の学者たちの熱い関心事だった。この問題 が最近再びクローズアップされたのは、昨年12月22日、鄭東泳統一部長官が “光復60周年記念事業で南北韓が協力して安重根義士の遺体発掘事業を推進する”と明らか にしてからだ。これまで安義士の関連資料が発掘される度に、いろいろな議論はあったが、 政府高官が出て来て発掘可能性について述べたのは今回が初めてだ。 95年という歳月が流れる間、 3階位のアパートと平屋が墓地を侵食し、幾多の墓が毀損されたように見える。これと反対に山の中腹には 最近作られたように見える新しい墓が疎らにある。

鄭長官の発言の背景には、安義士が死ぬ時に旅順刑務所長の娘だった 今井房子(死亡)がチェ・ソミョン国際韓国院長など韓国の学者たちに渡した二枚の写真(写真左側)がきっかけになった。 この写真は1911年、追悼会が終わった後、刑務所職員たちと思われる男10人余りと 死刑囚の家族20人余りが一緒に取ったものだ。今井は10歳の時に見た安義士の埋葬地を 思い浮かべ、写真の上の墓と推定される所に矢印を描いて入れた。これを土台としてチェ院長ら は昨年10月頃、現場を踏査した後、安義士の墓が‘北緯38度49分3秒,東京121度15分43秒’にあるという暫定結論を出した。

ところが27日、<ハンギョレ>取材陣の現場確認の結果、遺体発掘を確信するのは難しいと思われた。 今井が韓国の学者たちに渡した写真に表示された矢印地点を尋ねて見たら、矢印地点のまん前まで 3階位の多世帯住宅が侵犯していることが確認された。矢印地点には封墳どころか、場所に墓があった跡すらない。 山で会った70代の老人に聞いたら“この周辺に朝鮮義人安重根の墓があったという話を聞いた” と“80年代から朝鮮人がよくこちらに通って来ている”という。



こちらをよく訪れる在中同胞学者たちは、遺体発掘の可能性に否定的な見解を見せた。ファン・ ユボク(62)中国中央民族大学教授は、“80年代ノ中盤から北朝鮮政府と中国内の朝鮮族の学者たちが 遺体発掘のための調査に乗り出したが、皆失敗した”とし、“墓の推定位置を探すことはできるが、 遺体発掘の可能性は低いと見なければならない”という。チェ院長も“私としても学者の立場で 推定位置を提示しただけ。発掘作業は政府が中国側と対話して進めなければならない”と述べた。

ところがまだ希望を捨てることはできない。旅順監獄の中に作られた囚人墓地の模型を見れば 、日本は死刑囚を絞首して殺した後、死骸を 木棺に入れて木柵を打ちこむようにびっしりと埋めたことになっている。 木棺には死刑囚の名前も身分も表示されなかったが、安義士は木棺ではなく松の柩に入れた。 墓地推定位置の付近を全面的に掘り出して見たら、意外に簡単に遺体が発掘される可能性もある。 キム・サンウン独立記念館長は、“安義士の遺体が発掘されたら、南北ともに記念出来る意味深い場所を決め、 遺体を安置して記念しなければならない”と述べた。下って来る道に人の気配に驚いたキジ10羽余りが 野山の静寂を壊して空へ飛んで行った。

旅順/ キル・ユンヒョン記者



“中国も発掘資料検討中”
パン・ムチュン旅順監獄所長


パン・ムチュン‘旅順監獄’所長は<ハンギョレ>とのインタビューで、中国の側でも“安重根義士遺体発掘のための 作業が進行中”として、“中国でも関心を持っているので、結果を見守らなければならない”と述べた。 旅順監獄は公式手続を通じた外国取材陣の接近が禁止されていて、<ハンギョレ>はパン所長に電話で インタビューをした。通訳は中国西安にいた光復軍2地帯軍のオム・イクグンの孫オム・チァンフィ(42)さんが引き受けた。

−安重根義士の遺体発掘に関して中国の側の動きがあるか?=ある。関連資料を検討してよく見ているところだ。

−去年、韓国の関係者たちが旅順監獄に行ったというが?=キム・サンウン(現独立記念館長)さんが他の 関係者の一人と一緒に去年末に行った。その外にはない。チェ・ソミョンさんなどには会うことができなかった。 (これに関してキム・サンウン館長は、“旅順監獄に今まで3回行って見て、去る2000年にパン所長と会って 安義士に係わる質問をしたが、具体的な情報を得ることはできなかった”と確認した。)

−発掘手続きはどうなるか?=旅順は大っぴらに開放ができない所だ。発掘が決まれば、中国政府からまた 方針が出るはずだ。今の状態では何とも言いにくい。

−遺体の発掘可能性はどの位と見るか? =上層部で推進すると言っていたから、結果を待つ他はない。 結果を速断するのは難しい。

(ハンギョレ  キル・ユンヒョン記者 2005年2月28日)
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