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[文化] 中国ロック界の大御所、朝鮮族歌手・崔健

中国観光テレビ、崔健の個人コンサートを放映



様々な事情で長い間、国内のテレビに顔を見せていなかった中国ロック音楽の大御所、朝鮮族歌手・崔健が 12月31日の夜8時、中国観光衛星テレビに12月10日に録画制作した個人コンサートで2時間もの間、新年を華麗に迎える演奏をした。 1999年、湖南衛星テレビの「永遠の音楽」で初めて顔を見せた後、2002年の延辺テレビ旧正月夜会を除いては基本的に国内テレビに 顔を出したことがなかった崔健について、中国観光衛星テレビのプロデューサーは、特に新年を迎えるに当たり、破格的な2時間にわたり、 崔健の個人コンサートを録画制作することを決定、これに崔健自身も歩調を合わせ、香港・台湾などから20名余りの制作専門チームを招き、舞台・音響・照明などに格別に神経を使ったという。

この日の夜、北京の某酒店で開催された崔健個人コンサートの現場には、600名余りのファンが詰めかけ、翌日の明け方まで 大盛況だったというが、ほぼ2時間、崔健は「何もない」「花屋の乙女」「雪の上に気ままに寝転がってみよう」「一切れの赤い布」など 中国ロック音楽の代表的な歌で、自身の20年余りの音楽人生を振り返り、また続いて郷土歌謡の王といわれるソク・ジャムミョンとともに「私が知らないのではない」という歌を歌い、場内の雰囲気を熱狂させた。 一方、崔健は、これに先立ち、中国観光衛星テレビが破格的に彼の個人コンサートをゴールデンタイムの迎春企画に迎えてくれたことにつき、感謝しつつ、「これは私が友人達に感謝表明出来る最高の機会」と答えた。

人物紹介

中国ロックの大御所、崔健

今年44歳になる崔健は、北京のある朝鮮族文芸一家に生まれた。14歳から父からトランペットを習った彼は、1981年、北京歌舞団に トランペット奏者として招かれ、音楽人生を始めた。 以後、北京交響楽団で6年、活動をしながら歌を作り、他の6名の仲間とともに「七合板」という、中国の初期の大衆音楽部隊を結成した。 1986年、崔健は、初めてのロック歌謡である「私が知らないのではない」を創作した。 同年、北京で開かれた国際平和年を記念する100名歌手コンサートで、彼は清朝の上着を着て古いギターを抱え、北京労働者体育館 の舞台に登場、観衆たちがぼやっとしている間に今まで聞いたこともなかった疎い音楽が響き、崔健の不慣れで仄かな歌が始まった。 その歌こそが「何もない」だったのだが、歌が終わると観衆席は一面の歓呼と拍手につつまれた。この時から中国でロック音楽時代が始まり 、中国ロックの大御所、崔健が誕生したのだった。

(黒龍江新聞 本社総合 2005年1月4日)
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