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[特集] 丹東を行く(1)−徐々に形成される三馬路一帯のハンギョレ商業区

ユーラシア大陸の関門である丹東は、最近、北朝鮮の新新義州特区設立の動きが再開したことにより、再び世界が注目するダークホースとして浮上している。 丹東における韓国・朝鮮人社会の現況を重点とし、丹東・北朝鮮間の取引の現場に集中的にスポットライトを当てることで、近々始まると思われる 対北朝鮮投資の時代に備えるという主旨で、本社ニュース部は特別企画「丹東を行く」を特集する。 幅広い読者の関心とご愛読を期待するとともに、今回の取材に物心両面で多くの御助力を下さった丹東白風貿易有限会社のキム・クァンリョン社長と、 遼寧朝鮮文報のユン・ソンイル記者に心から感謝申し上げたい。−編集者

鴨緑江を挟んで北朝鮮・新義州と向かい合う丹東は、面積1.49平方キロメートル、人口240万人(都市人口70万人)を有する中国最大の国境都市である。 丹東は川沿い・海沿い・国境沿いという、独特の地理的長所を持ち、北東アジア地域の中心部にあり、北朝鮮の平壌から220km、韓国ソウルから420kmという距離にあり、 下関→ソウル→平壌→北京→モスクワと続くユーラシア大回廊の重要な通路であると同時に、中国の渤海・黄海経済圏の交差点として、北東アジア地域対外開放の窓口でもある。 地理的にも歴史的にも、丹東は朝鮮民族と共に苦楽を共にした緊密な紐帯で結ばれており、日本統治時代に生計を求めて広大な満州原野に向けて飛び出して行った人々の 息遣いが残る故郷として、終戦とともに帰郷した人々の足跡がそっくりそのまま残っているところでもある。

調べによると、終戦前後の丹東における朝鮮族の人口は最高で30万人に達した。後にこの大半が朝鮮半島もしくは中国大陸に移動することで激減し、 現在丹東に戸籍が残る朝鮮族の人口は1万6000人余りになる。 そして中韓国交樹立とともに丹東に進出した韓国人が1000名余り、貿易・投資あるいはその他の用件で常駐する北朝鮮人400名ほど、改革開放とともに 進出した東北3省の朝鮮族が5000名ほど、北朝鮮からの帰国華僑が600名ほど住んでいるものと推定されている。

現在、丹東の韓国・朝鮮社会は比較的分散しており、瀋陽の西塔のような集住地域は形成されていない。丹東市振興区浜江路周辺の三馬路(三経街)一帯に 2000人余りが暮らすコリアタウンを形成している。 三馬路一帯には「白頭山」「豆満江」「東海館」「ソウルマート」「平壌閣」などのハングルの看板が随処にあふれ、ソウルや平壌のどこかの一角を丸ごと移して来たような錯覚すら覚える。 現在、公式的には「三経街」という名称があるにもかかわらず、「三馬路」で通っており、コリアタウンの代名詞になっている。

もともとこの地域は、付近に丹東市朝鮮族中学校(既に移転)および幼稚園、丹東市朝鮮族芸術館などがあり、朝鮮族が比較的密集して住んでいたところである。 後に開発され、もともと住んでいた朝鮮族住民は他の地域のアパート等に移り住み、現在は大部分が他の土地から来た朝鮮族、韓国人、北朝鮮人、北朝鮮からの帰国華僑で占められている。 この地域には大型商店街や店よりも零細な企業が集まっており、飲食店・食品店・カラオケ・サウナ・按摩施設・民宿・インターネットカフェ(PCバン)などのサービス業者が200余り営業している。 社長も韓国人・朝鮮族・北朝鮮人・朝鮮華僑であるケースが大部分であり、北朝鮮人が経営する「平壌閣」、韓国人が経営する「民俗村」、朝鮮族が経営する「オムジソンファロ」などの飲食店が並び、 ここが丹東の韓国・朝鮮社会の和合と出会いの場であるということを如実に示してくれている。

北朝鮮新義州特区の設立が具体化した2002年9月に前後して、この地域には商店街や店が雨後のタケノコのように立ち始め、家賃・賃貸料が天井知らずの急騰を見せた。 ところが何がしかの理由で新義州開放が延期されると、ブームが沈静化し、ようやく安定を取り戻すようになった。 とはいえ、他の地域に比べるとこの地域のアパートや賃貸料は他の地域に比べて高い方である。 50〜60平方メートルのアパート賃料は月々1000元以上で、80平方メートルの商店の年間賃料は10万元を越えている。 一発のチャンスを求めてやって来た事業主達は堪え切れずに既に撤退した状態で、残っているのは長期的な目で見てコツコツと北朝鮮の開放に備える事業主が大部分であるといわれる。

1998年に丹東に進出した李社長(延吉出身) は、現在ここでサウナ・カラオケを経営しており、これを足がかりにして北朝鮮の貿易人達と活発に接触しながら北朝鮮への進出をはかっている。 大連で公務員を退職後、2000年に丹東に進出して健康院を経営しているという金社長は、高麗人参、蔓人参、枸杞の実などの漢方薬剤をエキスにして北朝鮮の商人に提供しており、 韓国の取引先相手にさらに大きな利益をあげているという。 黒龍江省出身の張社長は、飲食店、コーヒーショップから始め、進出後1年で丹東の観光地開発と対北朝鮮輸出入業務に進出している。 現在の丹東の消費水準と市場を見ると、青島、大連、天津などの沿海地域に進出するよりは見劣りするものの、北朝鮮の開放に備えた先行型市場獲得という次元で見ると、 将来性があるというのが彼らの見方である。つまり三馬路のハンギョレ(韓国・朝鮮)商業区は、現在好況というよりも現状維持期にあるというのが適切であろう。

伝えられるところによると、最近、北朝鮮の新義州特区設立再開説が浮上し、統治は再び投資家達の踊り場になりつつあるという。 民宿を経営している崔女史によれば、最近、韓国人や朝鮮族のお客さんが増えているらしく、朝鮮族については韓国からの労務帰還者が大部分であり、韓国人については韓国の景気低迷により 丹東で新しい事業基盤を模索しようという人々がかない多いという。 別なところでは、ハンギョレ商業区に否定的な見方もあった。丹東の韓国人・朝鮮族誘致は、長期的なビジョンや資金もなく北朝鮮の開放だけを睨み、 無条件に丹東に進出して来る朝鮮族や韓国人が増えており、このような現象が続くと、家賃の上昇に拍車がかかるだけで、ハンギョレ商業区の健全な成長にとっては障害になるというのだ。

以上のような現象を分析して見ると、自然発生的に形成されて来た丹東のハンギョレ商業区は、様々な要因の影響を受けつつも、今後の対北朝鮮取引において大きな役割を果たすこと になるものと思われる。

(黒龍江新聞 ユン・ソンイル記者 2004年10月27日)
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