一体何が問題なのか?−民族の礼節 [2006.07.25]
もし今日の延辺の朝鮮族青年が民族としての自負心が不足というのなら、一体何が問題なのか?
伝統文化を知らないことなのか?
1)延辺文化企画院で我が民族伝統の文化体験キャンプを組織することに対しては何ら反対するつもり
はない。知らない朝鮮族に昔の礼儀作法を教えることも悪い事とは思わない。
問題は、今日の朝鮮族の青少年たちが当然持たなければならない礼節とは何かということだ。
ハングルを正確に書くことから注意しなければならない。朝鮮語文科を通じて、新聞や放送を通じて、
美しく優雅な我が民族の言語を正しく使うようにしなければならない。
礼節は他にもあるだろう。敬語を使わなければならないところでぞんざいな言葉を使うのは、礼節では
ない。親兄弟や隣りの目上の方々、そして先生たちと話す時、当然、どのように話さなければならない
のかを知らなければならないのではないか?某大学寮で見たことだが、先生が用事があってある学生
を尋ねて寮へ来た。ベッドに横になっていた学生が先生を見ても横になったまま "知りません!"と
無愛想な言葉を投げる。これが礼節といえるか?行動に注意をしなければならない。公共秩序を守ら
ないことについては、あまりにもひどい。公共バスに乗る時、先に乗るとまるで青春の活力を誇示するか
のようで、そんな姿を見れば礼節はやめて最低の道徳も失ってしまったかに見える。車中で老人や子供
を抱いた母親に席を譲る現象は、とうの昔の話。今はすっかり見られなくなった。たまに幼い小学生たち
が老人に席を譲る美しい挙動を見れば、彼らがどの学校の生徒なのか、誰の子なのか知りたいという
衝動すら受ける。あまりにも珍しい光景だからだ。両親が苦労して稼いで来たお金を、何のためらいも
なく浪費する学生も多い。伝統の礼節を学べば、こうした問題が解決されるというのか?
2)本当に民族の青少年たちの将来を心配し、民族の未来を憂慮するのなら、伝統礼節よりもまず
現代の礼節を学ばせてあげなければならない。私たち青年が現代社会での位置づけを確固たるもの
にし、有用な人材になるためには、現代先進文化で自分を武装し、現代の礼節をよく知らなければな
らない。上下左右の人間関係をしっかり処理できなければ、伝統儀礼に詳しくても無用の長物になる。
だから先進文化と伝統文化に対して、現代礼節と伝統礼節に対して正確に認識し、その関係を正確
に処理しなければならない。先生に会って挨拶も出来ない学生が、道端で見知らぬ人に土下座をした
ら、"精神病者"の扱いを受けるだろうが、私たちはそんな学生を養成してはいけない。
3)民族の自負心はどこから来るのか?決して伝統礼節から来るのではない。優秀な民族文化、それも
自分だけではなく他の民族も見習う先進文化を所有した民族だけが感じることができる心だ。優秀な
文化はその民族を奮起させ、富ませ強くさせる。様々な分野にわたり多くの優秀な人材を確保し、
経済が発展し、歌と笑いが絶えず、多様な運動競技やコンクールで主導権を握れる時に、初めて民族
の自負心が生ずると思う。
(L.PK)
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