Weberの報告書:大韓帝国明成皇后の最期
大韓帝国の皇帝である高宗(1852-1919)の皇后であった明成皇后(1851-1895)は、宮闕(景福宮)に乱入した日本人によって 1895年10月8日明け方、残酷に殺害された。しかし事件があってから既に100年余りが過ぎた今でも、明成皇后の殺害についての 具体的な真相は明らかになっていない。そのなかこの疑問を解く鍵となった報告書がロシアで発見された。 300余ページにも至る明成皇后殺害報告書には、当時の目撃者らの証言も加えながら、今まで知られなかった事件の 真相が細かく記録されていた。 |