モンゴルの高麗襲来と八万大蔵経
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750年前、韓半島の高麗の人々は仏教の経典を木版に刻み、残していた。経板8万余枚、文字数5千万字に
いたるいわば八万大蔵経は、長い歳月が過ぎた今も、製作された当時の様子のまま保存されている。
今では世界文化遺産になった八万大蔵経の製作背景及び過程や保存方法などについて多角的に見てみたいと思う。
高麗大蔵経
韓国南部の内陸の南部に位置いる大寺刹、海印寺に保管されている八万大蔵経は、高麗時代の仏教を集大成したもので、
正式名称は高麗大蔵経である。しかし経板の数が8万枚にも至ることから、一般的に八万大蔵経と呼ばれている。
膨大な分量のほか、八万大蔵経はその質が高いことでも有名だが、まるで一人の熟練な職人によって作られたかのように、
板刻が一定で誤字も脱字もほぼなく、その状態が近来のもののように、とても良好であるという。こういうところから
"木版印刷術の極致"または"世界の不可思議"と世界から賛辞を浴びている。
製作過程
大蔵経の木材は南海の干潟地に3年間埋めておいた山桜(バラ科の落葉高木)を使っていた。
それは自然の状態に放置した伐木はひび割れやすいため、板刻のできも良くないが、干潟地に
長く埋め、官吏した伐木はほぼ変化が起きない立派な版木用の木材になるからである。
優れた清廉技術を持っていた高麗人は、できあがった木材に現在よりも鋭い彫刻刀を使って
板刻したあと、保存処理として製漆(漆の塗料)を使用していた。
製漆の効果は防腐防虫はもちろん防水にも良く、経板保護に大きな役割をするため、八万大蔵経製作の時は
2〜3回重ねて塗っていたという。このように高麗人は八万大蔵経を作るために当時の技術と知恵を総動員した。
そしてその大規模なプロジェクトは高麗500年の大きな国策事業として完成された。
製作背景
八万大蔵経の経板一枚一枚には高麗の総力が籠っている。しかしこの経板が作られていた当時高麗は、
アジアのほぼ全域を征服していたモンゴルと戦争していた時期である。高麗の最大のプロジェクトとがこの時期に
実行されたということについては、李奎報(1169-1241高麗時代文人)が1237年に書いた「大蔵経版 君臣祈告文」
の中に収録されている。そこには、1011年契丹族(5世紀以降、モンゴルシラームレン河流域に現れた遊牧狩猟民族)
が侵入してきた時、大蔵経を刻み始めたら契丹族が自ら進んで退いたとしながら、モンゴルも八万大蔵経を製作することで追い払える
のではないかと綴っている。つまり八万大蔵経製作は、仏様の力に頼ってモンゴルを退かせようと始まったものであった。
大蔵経の製作背景には、当時高麗国政を握っていた武臣政権の国泰民安の政治的意図があったといえる。
従ってその完成は高麗人全体の仏心と、護国精神が一つになって可能になったものと考えられる。
内容の完璧さ
八万大蔵経は現存する仏教の木版の中で一番古いだけでなく、収録されている経典の量も大変多い。
また経典内容の正確さはほぼ完璧とも言われている。中には経典を校正する際、製作済みの経典の中に誤字や脱字を発見すると
、板自体を変え、作り直したものも沢山あるといわれている。このような細密な作業が行われたことにより、今日まで世界が認める人類文化遺産ができたのである。
八万大蔵経と日本の仏教
1999年3月、仏教の関心が高かった日本の故小渕総理は、来韓した時海印寺に寄って八万大蔵経を閲覧した。
日本の仏教界の高麗大蔵経に対する関心は14世紀末から始まり、15世紀初め、つまり三浦の乱以前の朝鮮の対日輸出品は
、主に大蔵経印刷本であったほど、一時期大量の印刷本が普及した。時には武臣を使って経板自体の略奪を計画していたという。
八万大蔵経がモンゴル襲来当時、高麗の臨時首都であった江華島から、今の韓半島南部内陸の海印寺(慶尚道 陝川)に移転保管
されたのも海に接した江華島より、海印寺の方が倭寇の略奪から逃れると考えたからである。また日本は朝鮮時代初期、強制的に
連れて行った多くの朝鮮人の刷還を平和交渉の条件として、経板事態を要求するなど、八万大蔵経に関心が高かったという。
実際記録によると印刷本などの交換によって、多くの捕虜が送還されたとしている。
現在京都にある南禅寺には、朝鮮時代の八万大蔵経印刷本が今も大事に保管されている。八万大蔵経は朝鮮と日本の平和交渉
にもその力を発揮、その後日本の仏教の発展にも大きな役割を果たしたと言える。
八万大蔵経は、製作された当時から最近まで幾度となく印刷が行われ、印刷本は日本だけでなく世界各国に広まっている。
高麗人が総力を注ぎ、作り上げた八万大蔵経が世界の仏教研究と拡散に貢献したと言えるだろう。
高麗が八万大蔵経を完成させたにもかかわらず、モンゴルの侵入は続いたため、結局講和を結び、その後高麗は100年も
支配されることになった。しかし八万大蔵経は高麗人全体の仏心と護国精神、そして優れた印刷術と文化民族としての自負心
が籠っている。その精神は大蔵経を通じて高麗という一時代を越え、今日を生きる我々に偉大なる遺産としてこれからも伝えられるであろう。